◆ まるで…恋患いだな ◆
プロポーズの返事を貰えないまま、僕は気も漫ろな日々を過ごしていた。
『返事は直ぐじゃなくていいから…』
そんな言葉を言った手前、返事を催促するのは何だか男らしくない気がしていた。
彼女といると素直な自分がいる。
彼女と一緒にいたい気持ちは変わらない。
彼女はどう想っているのだろう…
あの、プロポーズから半月が経とうとしている。
年末、僕は実家へ戻った。
毎年、短い休日に帰省するのは面倒で ここ何年もの間、両親の顔を見ていなかった僕がそんな行動に出たのは、彼女の話をしたかったからに他ならない。
17歳も歳上の彼女の話を切り出すと、両親は口をアングリと開け言葉が直ぐに出て来ないようだった。所謂、『鳩が豆鉄砲を食らう』と言うのはこんなときに使う表現に違いなかった。
僕の真剣な想いに、彼らの反対は反対で無くなり、帰る頃には、生まれて初めて紹介する彼女の存在に「とりあえず、一度連れてらっしゃい」と、母親は少し楽しみにしているようにも見える。
父親は決して手放しで認めてはいないものの、口多くは語らず僕を批難することはなかった。
こうして、年が明け何時もと変わらない日常を取り戻していった。
『近々、逢えない?話したいことがあります』
冬の風に曝されて冷たくなった僕の指が、何度も変な日本語に変換される度に焦る気持ちが苛つきに変わる。
しかし…今の僕には、その苛つきでさえ微笑ましく、口元がニヤケているのを感じている。
祝福の可否は別として、親に報告したことで彼女との未来への足掛かりになったという自己満足がそうさせていたのかもしれない。
僕は、ようやく彼女に一本のメールを送信した。
相変わらず、素っ気ない内容である。
絵文字や顔文字が入れば、少しは気持ちも伝わるのであろうが…苦手である
一時間が経ち三時間が経ち…
メールの受信ボックスには彼女からの返信はない。
電話をしてはみたものの、応答は無く何度目かのコールを確認し、電話を置く。
『只今、電話に出ることが出来ません。暫く経ってからお掛け直し下さい』
(ナオさん…どうしたんだろう)
留守番電話にメッセージも儘ならない事が、僕の不安を増長させる。
あれから何度も、電話やメールをしてみたものの…7日以上もの間、連絡がとれていない。
職場で待ち伏せしても姿は見当たらない。
マンションにも帰っていないようだった。
(これだけ、連絡がとれないのはおかしい。もしかして、避けられている?それとも、何かあった?)
逢えなければ逢えないほど、逢いたい想いは募る…
それからの僕の一日は180度の変化を見せた。
まるで駅前で見かけた彼女に恋に落ちた時のような気分…
いや、もっと苦しい日々を送っていたかもしれない。
夢の中で彼女に逢えた朝には、暫く放心状態で…
ベッドから降りる気力も失せていた。
(まるで、恋患いだな…)
こんなことではイケナイと自分を奮い起たせ仕事へ向かう。
(何も連絡が無いなんて…嫌われたのかもしれない…)
女々しいと思われても僕は、一目彼女に逢いたかったし、声が聞きたかった。僕は彼女の職場の出入が一望出来るいつもの場所に駐車し彼女を待った。
◆
近くのcoffee shopでコーヒーを買い求め、運転席から、彼女の職場のビルを見上げる。
彼女と出会ってからは、いつも二人分のコーヒーをテイクアウトしていた日常がなんだか遠く感じる。
5階建ての、然程高くは無いビルから次第に明かりが消えて行く。
ビルの出入口から一気に人波が襲うが、彼女の姿は無い。
今の時期は18時にもなると、街の景色は夜へと変わる。周りは、街灯が煌々と光り始めていた。
どれくらいの時間僕はそうしていたのか…
コンコン…
助手席に影がかかる。
もしや、彼女ではないかと昂る気持ちを抑えそちらに目をやる。
しかし、そこに居たの、はノックと共に会釈をする男性である。
助手席の窓を下げると、彼の姿は鮮明に映し出された。グレーのスーツにブルーのストライプのネクタイ。多分40才代と思しき男性だった。
俳優の竹野内ユタカに似た感じがする。
何となく何処かで会ったような気がするのは僕の気のせいなのだろうか…?
「こんばんは。もしかして、一宮さんの…?」
その男性は僕の直接の知り合いでは無いようだったが、その言葉には彼女の名前があった。
「あの…どなたですか?」
「いきなり、スミマセン。僕は進藤と言います。一宮さんの同僚で、まあ後輩なんですが…」
「ああ…あの時の…」
僕の頭の中に電球があれば、それはピカッと今輝いたに違いない。あの、彼女に好意を持っている進藤だと。
「それで…何か…?」
「少しだけ話せませんか?」
彼に誘われ車を彼女の会社の駐車場に入れた僕は、近くの公園のベンチに腰をおろした。
男二人で夜の公園のベンチに並んでいるなんて、学生の時以来だろう…
彼は僕に会う事を予定していたかの様に、その手には二本の缶コーヒーが握られている。
そして、その1つを僕に差し出した。
「一宮さんと会えていますか?」
「え?会えて…と言うのはどう言う…」
思いがけない彼の言葉に僕は戸惑った。
「彼女、元気なんです。いつも通りなんですけど…元気過ぎるんです。何だかカラ元気と言うか…」
彼は手にしていた缶コーヒーを口に運び、溜め息をついた。
「……会社には来ているんですね…」
体調が悪いとか、何か予期せぬ悪い出来事がおこった訳ではないことに、とりあえず安堵する。
「何かあったのかな…って気にしています」
「僕にも解らないんです。いきなり音信不通になって連絡つかなくて…」
「失礼ですが、一宮さんの他に彼女とか…どうですか?」
「え?それは、本当に失礼ですよ」
不躾な質問に、僕は怪訝な表情をかくさなかった。
「ああ、スミマセン。でも、君ならモテるでしょう?」
「……いませんが、でも…」
でも…
涼子の事が脳裏を過る。決して彼女を裏切っている訳でもない。しかし、彼女に何らかの感情を抱かせた事は否めない。
そんな僕は、「いません」と否定出来ないことが情けなかった。
僕の言葉を聞き終わらないうちに、彼は言葉を続けた。
「イチミヤさんが惚れる位の人なんだから君が浮わついた人じゃないのは解ります。でも、彼女は君の為に離れようとしているんじゃないかな?」
「離れる…?」
「君は30ぐらいかな?それだけで彼女は引け目に感じているはずです。いくら美人でも優しくても人気があっても、そんなの関係ないんだよね………
年齢差は君が思うよりも遥かに高いハードルなんだと思います」
「ハードル…」




