◆ 死んでしまえばいいのに… ◆
「貴女が現れるまでは、きっとカケルは私の事が好きだったはず。
なのに…どうしてカケルは貴女が好きなの?」
涼子の興奮した声が周りの視線集める。
「おい、止めろって…」
駆けつけた准が涼子の肩を叩いた。
まるで、准の事など見えていないかのように涼子は話を続ける。
「貴女は知ってる?カケルの好きな食べ物。カケルの好きなブランド。カケルの好きな事。カケルの好きな音楽。留学していたから英語が得意でピアノが上手くて…」
「涼子ちゃん!止めろって!」
涼子の腕を強く掴んだ、准の強めの口調が響く。
准ねその声に、ようやく我に返ったように涼子は泣き崩れた…
そんな二人の様子を見ながら、ナオの頭の中に色々な思いが浮かんでは消えていく。
涼子のカールのかかった髪の毛の色が赤すぎるとか…
准の着ているジャケットが好きな形だとか…
このティーカップの色が気に入らないとか…
テーブルの上の花が可愛らしいとか…
そんな、どうでも良い事ばかり…
自分の気持ちを保つために、意識的に考えを他に向けていることを、ナオは解っている。
自分には、素直な気持ちを相手にぶつけることは出来ない。
ナオは、ただただ静かに涼子を見つめている。
「お願い…カケルを私に返して…」
その声は、今までの自信に溢れた涼子のものではなく、まるで小さな子供が切願しているようにも見えた。
准は涼子の腕を掴み、外へ出るよう促した。
その掴まれたその手を振りきるように、涼子は叫んでいた。
「カケルを私に返してよっ!」
そして、呟いていた。
「あんたなんか、死んでしまえばいいのに…」
可愛らしい装いの涼子からは、考えられない言葉だった。
自分にはどうしようもない気持ちが、悪意に満ちた言葉を吐き出していたのだろう。
「涼子ちゃん!それって…」
准は驚きのあまり、言葉を失う…
それだけ言うと涼子はオーダーしたお茶に手もつけずに立ち上がり、店を飛び出していた。
「ナオさん、ここにいて」
そう言い残し涼子の後を准は追いかけて行った。
一人残されたナオは大きく深呼吸をする。
ナオはカップを口元に運んだ。
カップはカチャカチャと震え、上手く口に出来ない…
そして、暫くすると嗚咽を殺した…声にならない声を指で抑えた。
(あんたなんか、死んでしまえばいいのに)
涼子の言葉が氷のように胸に突き刺さる。
ナオの潤んだ瞳から、堪えていた涙が一気に溢れでた…
殺した声が時々息を詰まらせる。
握りしめた拳が微かに震えている。
顔を上げることが出来ぬまま、唇をかんだ…
「カケルく…ん…」
ナオにはそれ以上の言葉が見当たらなかった…。
ナオは、暫くその場から動く事が出来ず、呆然と窓に映り込んだ店内の暖かな雰囲気を眺めていた。
◆
「待てよ!」
速足の靴音が幾度も重なる。
カフェから150m程先の歩道橋の上で、走る涼子の腕を准は捕らえた。
准が握るその手は、逃すまいと無意識に力が入っていたのだろう。
「痛い!離してよっ」
涼子は有りったけの力で腰を引き、准の手から逃れる様に苦い顔を見せた。
その顔は涙でグチャグチャで、いつもの可憐な涼子ではない。
「あ…ごめん」
准は咄嗟に涼子の腕を離した。
涼子は全身の力が抜けたように橋の欄干に寄り掛かかり、街の灯りを見つめる。
「准くんたら、何熱くなってんの?バッカみたい」
泣きじゃくりひきつった涙の後を拭いながら、精一杯の強がりを言ってみせた。視線の先は遠い。
准は何も言わず、ただ同じ様に橋の欄干に歩みでた。そして涼子から少し離れた隣側には凭れかかる。
啜り泣く声と、たまに吐く准の白い吐息の音だけが、微かに響いている。
黙り混んでいた二人に時間だけが過ぎて行く。
「准くん…見て。灯りが綺麗だね」
「うん…」
どれくらいの時間二人でそうしていたのか…
涼子はポツリ…と呟いたまま黙り混んでいた。
涼子の横顔は、落ち着きを取り戻しているように見えた。
涙も渇いている。
「あれはさあ……良くないよ…」
「………」
「どっちかと言えば、悪いのはハッキリしないカケルだろ?ナオさんのせいじゃない」
「………」
「涼子ちゃんの気持ちは解るけど…」
「………」
「きっかけはナオさんかもしれないけど、それでもやっぱりナオさんのせいじゃない」
准の言葉は、涼子に響いているのか流されているのか…傍目には解らない。
それでも、言葉を選びながら准は彼なりに話していた。
基本的に女性に甘過ぎる位い優しい彼には、こんなアクシデントは有り得ない。
もしかしたら、唯一苦手とする部分かもしれない。
「……ねぇ、准くん。どうしてあの人なの?」
ようやく、涼子が口を開いた。
それは、思い詰めた様な…心がここに無いような面持ちで、一点を見つめながら…
「……。どうしてナオさんじゃいけないの?」
准は冷静に答える。
「どうしてって…准くんもどうかしてる。」
「じゃあ…ナオさんの何がいけないの?」
「どうしてあんなに年上の人がいいの!おばさんじゃない!カケルは遊ばれているだけだよ。あの人が本気でカケルを相手にするわけないもの…カケルだって本気であの人を相手になんてしてないに決まってる!」
涼子のその目は、ナオに対する不快感…いや、憎悪に近い感情を露にしていた。
例えば…自分の好きな相手が自分ではなく他の人を好きになった時、男性は相手にに不満や嫉妬をぶつける。
それに反して、女性は相手ではなく相手が好きになった女性にその感情をぶつける。
何故か不思議な事に、大抵の場合この法則が成り立つ。
男と女の何がそうさせるのか疑問だが、涼子もその思いをカケルにではなく、ナオにぶつけたのだろう…
彼女さえ居なければ彼は私の元に帰ってくる…という願いが涼子にそうさせたのかもしれない。




