◆ 未来予想図 ◆
近くのスーパーでちょっとした買い物を済ませてから僕は自分のマンションに車を滑らせた。
車から降りた僕は彼女の手を取り、部屋へ向かう。
彼女の足は於保ついていない訳ではない。
何となく、彼女を守っていると感じる自己満足なのだが、それを彼女は「お姫様になった気分」と言ってくれるのが嬉しかった。
階段を登りきった僕らの足は部屋の通路で止まった。
誰かの影が僕の部屋の前にあった。
ドアにもたれ掛かり項垂れている。
涼子だった。
直ぐに、涼子の視線は僕らを捉えた。
そして三人の間に、例えようの無いはりつめた空気が流れる。
空気に音があるとしたら、僕が聞いているこの感覚は凍りつく瞬間にも似た音であろう…
この状況をどうしたらいいのか見当がつかない。
彼女である女性と、彼女では無い女性との鉢合わせのはずなのに、僕は間違いなく狼狽している。
スーパーの袋をぶら下げた僕の手を一別すると、涼子の目は僕ではなく彼女に向けられていた。
ただならぬ雰囲気に素早く反応したのは彼女だった。
「カケルくん、ありがとう。またね…」
僕の手から彼女の手がゆっくりと離れていった。
離れて行く彼女の手に視線を向けたと同時に、涼子の声が通路に響いた。
「いいんです!」
その声に驚いた僕らは、涼子に目を向けた。
俯いたその顔からは、表情を読み取ることは難しかったが、その声にから想像するのは容易いであろう。
「私が勝手に来たんです。貴女は約束していたんでしょ?だから、私が帰ります」
涼子は小走りに歩み寄って来たかと思うと手に持っていた紙袋を僕に押し付けるように渡し、足早に階段をかけ降りて行く。
コツコツコツ…と早いリズムのハイヒールの音が通路を駆け抜ける。
僕は追いかけなかった。
それは、彼女の手前であるからではなく…
これ以上僕の無責任な態度で涼子の気持ちを惑わせたくなかったから…
有りもしない期待を持たせてはいけないと思ったから…
僕は涼子を見送らず部屋へ足を踏み入れた。
彼女は、涼子の姿が見えなくなるまで見送った。
言葉は発しなかった。
◆
涼子が置いていった紙袋を、食卓テーブルの上に無造作に置いた。林檎が零れ落ちた。
中には一枚の白いメモが添えられていた。
『さっきはごめんなさい。食べてね 涼子』
少し遅れて彼女が部屋に入ってきた。
「彼女…よかったの?」
「うん。ナオさんが心配することじゃないよ」
それ以上、彼女が涼子について尋ねてくる事はなかった。
「飲み直し…する気分じゃないか…お腹空いたよね?何か作るね」
彼女はこの息詰まる雰囲気を一掃しようとしてか、スリッパをパタパタさせ 何事も無かったようにキッチンで世話しなく動き出す。
「ナオさん…あのさあ…」
「ん?」
いつものイタズラっぽい瞳で笑みを浮かべながら答える。
僕は彼女の「ん?」が気に入っている。
何もかも解っているような…
それでいて、何かを探っているようなこの雰囲気が好きだ…
それだけで、僕の気持ちは落ち着くのだ。
彼女は、スーパーの袋の中から牛肉とトマトとたまねぎ、そして柘榴を取り出しキッチンに置くと残りの食材を冷蔵庫に終い始めた。
「ほら、カケルくん 手伝って」
「うん、何をすればいい?」
「お米研げる?」
「OK、何を作ってくれんの?」
「トマトと柘榴のカレー」
「何それ!食べたことない。美味しいの?」
「あら!美味しいの!」
「ふ~ん それって、食べれる物だよね?」
「あら!失礼ね。食べれるわよ。大丈夫よ、保険もあるから」
スーパーの袋の中から、胃薬のビンを取り出して見せた。
彼女がクスクス笑いだす。
僕もつられて笑い出した。
そして、それは大きな笑い声へと変わった。
一気に部屋の空気が変わる。
その笑い声は、記憶に新しい後味の悪い雰囲気を一掃させた。
こんな瞬間に、人は未来予想図を描くのだろうか…
この人と一緒にいようと決意するのだろうか…
いったい僕は何処まで彼女に惹かれていくのだろう…
炊飯器のメロディがご飯が炊けた事を知らせた。
程無くしてカレーの匂いが部屋中に広がる。
「出来たよ」
彼女の優しい声が響く。
その声が合図の様に僕は、食卓テーブルの上に乱雑に置かれていた、本やダイレクトメールなんかを角に追いやり、食べる場所を確保する。
白い皿によそわれた赤いカレーが僕の前に置かれた。
「どうぞ、食べてみて♪」
自信ありげに彼女が言う。
僕の目の前には頬杖をついた彼女の顔がある。
それは、まるで僕の評価を心待ちにしているようだ。
「いただきます」
僕は、恐る恐るカレーを口へ頬張る。
なにせ、トマトがカレーに入るだけでも不思議なのに柘榴がカレーに入るなんて聞いたことがない。
口の中に衝撃が走る。
「ウマイ!!」
「でしょ?」
スパイシーな中に何とも言えない味わいの甘さが口の中に広がる。
「何これ?ホントにウマイよ ナオさん!」
「良かった…沢山食べてね」
僕がカレーを食べる姿を嬉しそうに彼女は眺めていた。
僕は、その視線を感じながら何かを感じている。
何て言うか…母親に見守られている子供になった様に安心している自分を。
いつまでもこの時間を永遠に自分のモノにしたいと言う欲求を。
いつしか僕は彼女に未来を重ね始めていた。
カレーを頬張りながら、僕はタイミングを探していた。
男として卑怯であろう『弁解』という言葉の…
そのタイミングさえ解らないまま僕の口からそれは、飛び出していた。
「あのさ…さっきの何でもないから…少なくともそんな関係じゃないから…」
言い訳がましいが、彼女には解って欲しかった。
彼女が僕の事をどう思おうと、誤解だけはしてほしくなかった。
僕の気持ちは彼女以外には向いていないことを…
「そんな言いかた、駄目だよ。カケルくんはそうだとしてもさっきの彼女はそうは思ってないでしょ?…私は大丈夫」
僕を諭すように言った彼女は、付け足すように呟いた…
「だってほら…私は、彼女よりずっと…お姉さんだから」
そう言って笑った彼女の瞳は淋しそうに見えた。
そんな言葉を言わせてしまうなんて…
そんな悲しげな顔をさせてしまうなんて…
僕は不甲斐ないダメな奴だと、情けなかった…




