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はじまり  作者: 夕顔
3/6

仙台

 私と彼は、同じ暖かいコーヒーを手に会話をした。


 どうやら彼は夜景を見るのが趣味のようだった。

 先程窓を占領してしまっていた事を非常に申し訳なく思いながら、皮肉にもその際に覚えた感動を思い出し、心を躍らせながら彼の話に耳を傾けた。


 「最近は工場夜景に惹かれていて、神奈川へよく見に行くんです。」


 「工場の夜景ですか?」


 工場があまり無い地方で生活してきて、最近上京してきたばかりの自分には馴染みの無い話だが、夜景好きの人達にとって川崎の工場夜景は有名なスポットのようだった。


 「僕はあの景色を何度見ても飽きずに感動するので、時間ができるとよく通っています。」




 私は本来そこまで夜景を好んでいる人間ではない。

 しかし今彼が話してくれている事は、どれもこれも胸を高鳴らせ、気付くと私は一生懸命に聞いていた。


 先程眼下に広がった青森の夜景は、それ程感動的であったのだ。


 しかしそれだけでは無い。


 静かに発せられる彼の上品な声は周囲の空間を損ねる事なく溶け込むので、聞き漏らすまいと一言一言に耳を傾けているうちに、私は気付いたら彼が創り出す空気に飲まれていたのだ。




 「川崎の工場夜景を先日写真に納めたのですが、生憎部屋に置いてきてしまいました。

  こんな事なら持ち歩くべきでした。」


 彼は笑った。


 私はその工場夜景に興味を持ち


 「先日東京に越したので、時間を作って見に行きたいと思います。」


 と微笑んだ。




 気付いたら手元のコーヒーが無くなっていた。


 自覚はある。緊張しながら彼の話を聞いていた私は、自分を落ち着けようと度々コーヒーを口に運んでいた。

 偶然隣席となった赤の他人にここまで緊張するなどとは珍しく、さらにその緊張は久しい感じの種類であり、私は心底自分を落ち着けたかったのだ。




 自分の好きな物に私が興味を持って微笑んだからだろうか、彼も優しく微笑みながら手元のコーヒーの残りを飲み干すと、また英語の本を開いてそこに目を落とした。


 その横顔は微笑んだままで、彼を纏う空気すらも微笑んでいるように感じた。




 私はまた背をもたれて首だけを動かし窓の外を一瞥してから、先程閉じた小説を手に取った。


 一度は集中できずに閉じてしまったのだが、今度はそう言ってはいられない。

 完全に彼の空気と久しい緊張感に飲まれてしまった私は、先日結婚した仕事に対して裏切り行為を働いており、自分を取り戻さなければならないのだ。

 だから一刻も早くこの小説の中でも出会うであろうお気に入りのシーンに辿り着く必要がある。


 久しい緊張感ではあるが、私は子どもではない。

 多くの現実を知る事で仕事と結婚したのだから。


 都合よく、手元にある小説は私にとって外れ作品の無い作家さんのものだった。

 彼女の描く世界は私と波長が合うようで、ありそうで無さそうな世界観とストーリーは、いつも容易く私を引き込んでいく。




 彼の優しい微笑みの空気を隣に感じつつ、私もどこか微笑みながら本の世界へと旅立った。






 暫く時間が経過し、私も本の世界に無事入り込み始めたその時


 「窓の外を覗いてみて下さい。」


 彼が私の腕を軽くぽんぽんとしながら声をかけてきた。


 正直なところかなり驚いた。

 彼への意識を逸らせるために私は小説の世界を求めていたのだが、それを強引に当事者に引き止められたのだ。


 しかし彼の微笑みにまた飲み込まれた私は、少し驚いた顔のまま窓の外に目をやった。




 眼下に見えたのは仙台の夜景だった。


 それは青森で見たものとはまた違い、色鮮やかなネオンがあり、恐らく背の高い建物が集まっている場所から発する光は真っ白で、眩しさを覚える程だった。

 その光の多さは非常に多くの人がここに住まい生活している事を感じさせ、自分の存在はやはり石ころのように思いながらも、それを上空から見下ろす自由と優越感を与えてくれた。


 飛行中の客室内は照明により明るくなっていたが、それに負けない光を眼下に見える仙台の夜景は発していた。 


 私の中では日本海側へ迂回をするフライトのイメージだったので、最初はまさかと目を疑った。

 しかし眼下に広がる見覚えのある地形と海とが、現在仙台上空にいるのだという事を私に知らしめた。


 次第に夜景は遠くなっていったが、とてもたくさんの光が集合したその場所は、まるでそこだけまだ夕方であるかのように空気がぼんやりと輝き、見えなくなってからでも存在感を示していた。




 思いがけないものと出会い、私は夢心地に興奮をした。

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