隣席
シートベルトサインが消灯した。
客室内は明るくなり、周囲から少しだけため息のようなものが聞こえた。
夜景の余韻だろうか。
完全に窓の外にあった視界は室内に光が溢れたために反射され、窓に映る私の顔が視界に飛び込んできた。
不意に見せられた窓に映る私は、まるで子どものような表情で、少し驚いてから少し恥ずかしくなった。
その直ぐ後、隣席の彼がこちらに身を乗り出していたのをシートに背を預け戻す姿が窓を通して見えた。
その後彼は手元の本に目を戻した。
私の中の勝手な彼のイメージからは、夜のフライトも夜景も見慣れているというものだったのだが、実際はそういう訳でもないのだろうか。
しかしそのような妄想は私の勝手過ぎる脳内の産物でしかなく、それに気付いてから申し訳なく思い、手元の小説を開く事にした。
読みかけの小説はまだ物語の始まりで、ハッピーエンドと分かっていながら、どんな風景が待ち受けているのかに胸が膨らむ。
読み始めて少し時間が経過したのだが、どうした事かいつものように集中できない自分に嫌気がさし、本を一度閉じる事にした。
初めての夜のフライトと、青森の夜景が私の集中力を削いでしまったのだろうか。
窓の外を眺めた。
すると眼下には青森の夜景程見事ではないが、少しずつまとまった光が点在しているのが見える。
私はまた嬉しくなり身を乗り出して、まとまった光が眼下に向かってくる光景と過ぎ去っていく光景をずっと眺めていた。
暫くそうしていると反射する窓に彼が動く姿が映りこんだ。
彼は少しだけ体を前に倒し、こちらを見てからまた背中をシートに預けた。
もしかすると彼も窓の外を眺めたいのだろうかと思いつつ、室内を反射させる窓から顔を離した瞬間に、またも目に飛び込んできた自分を見て反省をした。
「まるで子どもだ。」
少し落ち着けてから客室内を見渡してみた。
夜の便だからだろうか、窓際の座席はほぼ埋まっているようだ。
先程私は隣席に人がいる事に少しがっかりしたのだが、もしかすると彼も窓際に座る事が出来ずにがっかりしたのかもしれない。
彼も窓の外を眺める事ができるように、身を乗り出すのは自重しよう。
気を遣いすぎのように見えるかもしれないが、離陸時に引き続き先程から見える眼下の風景は、それ程私に感動を与えていてくれたのだ。
それからは彼も窓の外を眺める事ができるように、体をシートにつけたまま首だけを傾けて光の点在を楽しんでいた。
暫くすると客室乗務員がドリンクのサービスを開始した。
私と彼は偶然にも同じコーヒーを頼んだ。
図々しくもまた「お揃いだ」などと思いながら客室乗務員の手元の作業を見ていると、彼は注ぎ終わったコーヒーを先に受け取ると、少し微笑みながら私に手渡してくれた。
「どうぞ。」
そして彼の手元にもコーヒーが無事に渡ったところでお礼を言った。
「ありがとうございます。」
なんて優しい人なのだろう。実はかなり嬉しかった。
久しくこのような振る舞いをされていない私は、不覚にも少しときめいてしまった。
本来ならば二杯目に注がれた物を、客室乗務員が直接私に手渡すシーンである。
コーヒーを口にしたところで彼が私の方を見ながら話しかけてきた。
「夜景お好きなんですか?」
私は驚いて飲み込むタイミングを少し逃したが、なんとか喉に流し込み
「実は夜のフライトが初めてで、空からの眺めが新鮮で嬉しくなっていました。
見辛くされていたらすみません。」
と答えた。
すると彼は少し笑いながら
「いえ大丈夫ですよ。
とても熱心に外を眺めていらしたのでつい気になって。」
先程から窓の外を見る度に目に飛び込んでくる子どものような自分の顔を思い出し、少し情けない気分になったが、それ以上に彼が話しかけてくれた事が意外な程嬉しかった。
言葉や言い回しがとても優しく丁寧な人だ。
「今夜は晴れて良かったですね。
僕は何度かこの便に乗っているんですが、今日程綺麗に夜景を眺められる日は多くありません。」
やはり彼も夜景を見たかったのだ。
「すみません。
私、身を乗り出していたので見えなかったでしょう。」
すると彼は優しい笑顔で
「初めての方でしたらそこはお気になさらず。
この便の夜景ファンが増えるなら、僕は嬉しいですから。」
と答えてくれた。
初めての夜のフライトは考えていた以上に楽しいものになってきた。