戒 - 3 -
本谷に八つ当たりされた石上は、地下の遺体安置室へ続く廊下を歩いていた。
「う・・うあああああ」
その時、突当たりの解剖室から叫び声が聞こえて来た。田倉の検視を行っていたはずである。
石上は廊下の床を蹴って遺体安置室へと駆けこみ、室内の光景に息を呑んだ。
「!!」
中央に置かれた処置台。その上には、カラカラだったはずの田倉の屍体が乗っていたはずだ。
しかし、カラカラの屍体はなく、代わりにパンパンに膨らんだ躰があった。風船のように田倉の躰が膨らんでいるのだ。それは、未だに止まっていない。どんどん膨らんでいく。
近くで尻餅をついた検視官は、わなわなと震えて膨らんでいく身体を呆然と見詰めていた。
石上も呆然とした。何が起こっているのか、現状が理解できない。入り口の扉を押し開いたままの体勢で、固まったように動けない。
ビキビキッ・・・
すると、三倍近くまで膨れた躰が、限界に達したように音を発し始めた。
パシュッ・・・
小さく空気の漏れる音がしたかと思うと、躰の真ん中が一気裂けた。臍辺りから、上下に一直線の裂け目が出来る。
石上も検視官も無言。その場に固まって、幻とも現実ともつかない光景を見ていた。
裂け目から、ぬるりと赤黒い液体に塗れた物体が現れ始めた。ソレは、丸めた背中を裂け目から突き出して、もぞもぞと蠢く。ゆっくりとした動きだ。・・・まるで、今から産まれようとするかのように。
※
『たった今、レヴィアタンが誕生しました。』
「そうか。」
『・・・しかし、予定外の目撃者がいます。如何いたしましょうか。』
「消せ。」
『御意。』
チンッ。
甲高い音を立てたのは、レトロなアンティーク電話機だ。このバロック調の部屋の雰囲気を壊さない様にと、態々、特別に作らせた物だ。
受話器を置いた右手を左手と口元辺りで組み合わせ、微かに嗤う。
「アーレア・ヤクタ・エスト」
ぽつりと吐かれた呟きは、誰もいない薄暗い部屋にやけに大きく響いた。
その響きが消えた後には、地の底から湧きおこる歓喜の様な低く不快な嗤い聲が微かに聞こえるのだった。
※
とぼとぼと駅に向かう麗奈。不意に視線を感じて、顔を上げて辺りを見回す。
あ・・・あれ?
顔を上げて、初めて気が付いた。まだ明るい昼間だと云うのに、人が誰もいない。
駅はすぐ其処だ。この時間、様々な人で賑わうはずの駅前通りなのだ。
しーんと静まりかえった通り。何の音もしない。何の匂いもしない。
キーーーンと痛い程の静寂が、麗奈に纏わりつく。
「え?・・・なに?」
ブルッ。
背筋に悪寒が走る。
異常な空間に迷い込んでしまったのか。怖い。
誰もいない、この空間が怖い。それに、姿は見えないのに、複数の視線を感じる。
「・・・やだ・・・。」
ガクガクと膝が震えだして、座り込んでしまいそうになる。力が、入らない。
ダメ。逃げなければ。ここにいたら、ダメ。
頭で警鐘が鳴響く。だが、躰が鉛にでもなったように動かない。
グヴヴゥゥゥ・・・・。
低い唸り声が突如、静寂を割った。
振り向くと同時に、黒い影は麗奈に飛び掛かって来た。
「い・・いやぁあ。助けて!!」
咄嗟に頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
ガシュ。
ギャン!キュゥゥゥゥ・・・。
襲いかかって来たはずのものが、哀れな悲鳴を残して消えた。
「・・・?」
恐る恐る顔を上げると、こちらを冷たく見下ろす御門と目が合った。
「・・え?み、御門くん?」
「・・・。」
御門の返答は無い。ただ、はぁと溜息を吐くのみだった。
「え?ええ?ま、待って、置いて行かないで!!」
麗奈は、さっさと踵を返して行ってしまう御門を、縋るように追い掛けた。