6.
職員室に先生を探しに行ったのだが姿が見当たらなかった。他の教師に尋ねるとここには来ていないと言われ、出鼻を挫かれた。
そこでピンときた。
もしかしたら———
わたしは急いで別棟に向かった。
四月とはいえ夕方は肌寒い。
渡り廊下の扉を開けた際に風が吹き込み髪が乱れたが、気にせず走って廊下を通り過ぎる。
勢いよく図書室の扉を開けると、そこに彼は居た。
机にプリントを広げ、こちらに背を向けて座っている。
わたしは息を切らしながら机を挟んで真正面に立った。
「ここに、いた」
先生は少し驚いた顔をした。
「橘、」
「これ、返します。遅くなってすみません。有難うございました」
そう言って傘を差し出す。それから鞄を開いて読んでいない例の本も机に置いた。
わたしは苛立っていた。理由はよく分からない。
先生はわたしの様子に気がついていてわざとそうするのだろうか、にこりと笑って尋ねてくる。
「この本、どうだった、」
「読んでません。ごめんなさい。でも他の作品は読みました」
尖った言い方をしてしまった。まずかっただろうかと不安になる。
先生は一瞬ではあったがわたしを見据えた。
「もしかして怒ってるのか」
静かな声。
それが逆に怖かった。
わたしは何も言えなくて、ただ先生の目を見ることが出来なくて、俯く。
「橘」
恐る恐る顔をあげる。
先生はわたしをまっすぐに見つめていた。
ああ。
眼鏡、してない。
はじめてその瞳に映る色を知ることができた。
どうして。
どうして、あなたはそういう顔をするの。
「せんせ、」
胸が苦しくなる。
苛立ちはいつの間にか消えていた。
不意に目頭が熱くなってきて、つうっと一筋の粒が流れた。頬が濡れるのが自分でもわかった。
「先生は、ずるい」
「うん」
わたしの反応に安心したように、先生はふっと淡く笑った。
「嫌いです」
「知ってる」
「わたし、皆が先生のこと構ってるから、なるべく関わりたくなかったのに、」
「それもわかってた」
「それじゃあどうしてですか。どうしてこの本貸したり、傘まで。
先生に借りた本は読む気になれなくてそのままで、とりあえずこの本以外の作品は読んだんです。それから凄く考えて、でも全然分からなくて、」
あれ。
自分が何を言いたいかあやふやになってきた。
複雑な感情がぐるぐると渦巻いていて、ただそれを吐き出したいという欲求が私の中を占めていた。
ただ先生は黙って耳を傾けている。
「先生の授業は楽しくてテスト対策も他の教科より頑張って、でも何考えてるか全然分からなかったから先生のことが怖くて。
それで、こんなことに、なって」
そこではっとした。すべて先生に吐き出してしまった。これでいいのだろうか。
いや、これ以上言ったら良くない———
急に理性がストッパーをかける。
「あの、何かもう、いいです、」
思わず小さい声になる。急に後悔の波が押し寄せてきた。
恥ずかしい。もしかしたら幻滅されたかもしれない。今までずっと優等生だと思われてきたのだから。
わたしが複雑な表情をして俯いていると、先生はぷっと吹き出して笑い出した。
「え、」
「ごめん。可愛くてつい」
それってどういうことだろう、と思案していると、先生は自らの隣の椅子を引いた。ここに座れということだろう。
「とりあえず、落ち着くまでここに居なさい」
わたしは言われるまま、机を回って先生の隣に腰掛けた。どういうことなのか分からないがまあいいか。
ちらりと横を向くと、先生の目はいつも以上に優しいようにおもえた。眼鏡をしていないからだろうか。
それでも、良かった。
ほっと胸を撫で下ろす。
「橘、泣かせてごめん」
「えっと、こちらこそ、すみませんでした」
「いや、」
すぐに沈黙してしまう。
お互いに少しだけばつが悪い。
それでも不思議と今までのような居心地の悪さは感じなかった。
わたしたちは閉館まで一緒にいた。
それから、帰り際先生にまた本を借りた。
今度はちゃんと読もうと思う。