2.
まさか。
誰もいないと思い込んでいた図書室によりによって先生が居るなんて、予想外だった。
「ああ、確か、」
「はい、先生が授業担当している2Bの、橘です」
何だか居心地が悪い。
本当ならば本なんてそっちのけで、今すぐここから逃げ出したいくらいに。
「先生も、ここ、使うんですか」
「まあ。ここは静かだから、仕事に最適なんだ」
先生はそう言って左手に抱えている書類———ちらりと見えた内容からするに、今日わたしのクラスで授業で実施した小テストだろう———を見せた。ということはこれから採点か。
少し自分の点数が気になるが、それよりも早くここから逃げ出したい。
「それじゃあ、先生の仕事の邪魔になるのでわたしはこれで」
そう言って急いで立ち去ろうとしたのだが、腕を掴まれた。
もちろん先生に、だ。
「小テストの採点、手伝ってくれないか」
何でこうなったのだろう。
「それじゃあ橘にはこの半分お願いするよ」
図書室の机の前、先生にプリントを渡されながらそう言われたら、断れる筈もない。
一刻も早く終わらせて立ち去るべく、わたしはすいすいと採点を進める。
暫く無言で作業は続けられた。
西日がペンの走る音しかしない室内を赤く照らし、影を作っている。
「君はいつも満点だ」
隣の先生はちょうどわたしのテストの丸つけをしていた。
プリントには綺麗な字で満点と書かれている。
良かった。
内心ほっと胸を撫で下ろす。
「国語が好きなのか」
「ええ、まあ。
文章を読んでいると、筆者と同じものを感じたり見られる気がして、好きです」
先生はふっと笑みをこぼした。
「いい感性だ」
「ありがとうございます」
ああ、はやく帰りたい。
何度もそう思いながらてきぱきと採点を進めると、思ったよりもあっさりと作業は終了した。
「採点終わりました」
「有難う。橘は採点も優秀なんだな。お陰で助かった」
先生はわたしが採点した小テストをぱらぱらと見ながらにこりと微笑む。
どき。
「それじゃあ、わたしはこれで帰りますね」
「ああ。ご苦労さまでした」
わたしは赤ペンを筆箱に仕舞い、鞄に入れた。
そのまま立ち去ろうとしたとき、
「橘」
「何でしょうか」
また何か頼まれごとだろうかと一瞬頭をよぎったが、それに反して先生は一冊の本を差し出した。どうやら図書室のものではないようだ。先生の私物だろうか。
「これ、読んでみて」
「萩原朔太郎、ですか」
「日本文学、好きなんだろう、」
少し戸惑った。これを受け取ったらまた返しに来なければならない。
しかし今はそんなことより一刻も早くここから出なくては、という気持ちが先行していた。
「じゃあ、お借りしますね。さようなら」
本を受け取ると、半ば強引に会話を終わらせて図書室を飛び出した。
渡り廊下の扉が開けっ放しになっていたせいで別棟の廊下にも冷たい空気が流れ込んでおり、図書室を出た途端に肺がすうっとした。
寒い廊下を足早に歩きながら、いつも自分らしくいられるはずのあの場所が、今日はひどく居心地が悪かったとわたしは実感した。
今日はついてない一日だった。