アレルヤ
俺の身柄は、運転手から小杉原と名乗る小太りの教頭へ引き渡された。
白いバスは俺のトランクを――少なくともこれから1年半は過ごすことになるであろう――寮の部屋に届けるため、今来た道をゆうるりと戻って行った。
「結城くん、制服はどうしたんですか?」
教頭は明らかに場違いな俺のファッションに動揺していた。
「いや…ちょっとした手違いで…。引越しの荷物と一緒に送っちゃいまして。今頃寮の部屋かと…」
苦しい嘘だ。
本当は送られてきたここの制服を見た瞬間、俺は段ボールの奥深くそいつを押し込めていた。
リボンタイのついた白シャツに、細身の黒のパンツ――絵に描いたような坊ちゃん風の制服を着て街を出る勇気がなかったのだ。
「そんな身なりで始業式に参加させるのは不本意ですが――仕方ありません。せめてシャツの
ボタンぐらい一番上までとめなさい」
教頭は眉間にしわを寄せたまま、上等そうな革ベルトの時計にに目をおとすと低く唸った。
初日から目をつけられるわけにもいかない。
こっちとしても不本意だが、俺は素直にシャツのボタンを一番上までとめた。
「じゃ、チャペルに向かいましょう」
「チャペル?」
「わが校はカトリック系ですから、大切な行事はみなチャペルで行います」
「へえー」
説明もそこそこに教頭は歩き出した。
サングラスが欲しいぐらいにあたり一面が眩しかった。
これが朝日というやつなのだ。
かなり長い間、俺はちゃんと朝日さえあびていなかったことに気づく。
よくて夜通し遊んだ帰り道、日の出を拝むぐらいのもんだった。
倒れそうな気分のまま、俺は小柄な教頭の後を追った。
神殿はしんとしている。
聞こえるのは小鳥のさえずりだけだ。
前を歩く教頭の必死なペンギン歩きから察するに、もう全校生徒はチャペルに召集されているのだろう。
どこまでも広い敷地内には、細微な彫刻が施された貴族館のような建物が点在し。
柔らかな芝生の中庭では、ヨーロッパの庭園にあるような立派な噴水が高く水しぶきを上げていた。
「結城くん、早く来なさい!」
子供みたいに噴水に手をつっこんでいた俺を、教頭は面倒くさそうに呼びとめる。
「あ、すんません。すごいっすね、噴水」
「急がないと、君ばかりでなく私まで遅刻です」
教頭は愛想もくそもなく言い放ち、歩を進めた。
「ねえ、教頭先生。この学校って学費相当高いんでしょ?いや俺ね、親代わりの人にここに編入させてもらったんだけどさ…普通に考えて庶民の通える学校じゃないよね、ここ。2年生からだからなんか割引とかあったのかな?」
俺は教頭に並んだ。
いくらペンギンが足を速めようが、コンパスの差でいくらでも追いつくことはできた。
「結城くん、そういうお話は後見人の方となさい」
「こおけんにん?」
「あなたを学校に通わせて下さるその方と、という意味です」
「ああ、そーすね」
ブルータスおまえもか、だ。
ここで俺の言葉が通じないのは、バスの運転手で実証済みだった。
俺にだって学習能力はある。
だけど…いや、だから――。
「それにしても教頭先生」
もうひるまない。
俺は気にせず喋り続けた。
「本当にここ、一体どんな家の子供が通ってんの?政治家の息子とか?財閥の御曹司とか?あ、もしかしてどっかの国の王族とか?」
質問攻めにして、気がつけば額に汗した教頭の前に回り込んでいた。
「ここの生徒が王族なら…君は低俗ですね」
薄い頭を振り、悪いウィルスにでも冒された顔で教頭はネクタイをしめなおす。
「何それ、教頭ジョーク?ウケんだけど」
「ここから先は私語は慎んでください」
「は?」
「無意味なことをべらべら喋らないようにと…」
「いう意味ですね、了解」
教頭が立ち止まる。
俺の目の前には日本武道館くらいはあろう巨大な教会がそびえたっていた。
教頭は古い真鍮の取っ手に手をかけた。
乾いた心地よい音をたてて、両開きの扉が開く――。