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9月1日――。


そうしてついにその日はやってきた。


「マジかよ…」


都内にもこんな辺鄙なところがあったのか。


目の前に広がる光景に俺は目を疑った。


都心から電車に乗り継ぐこと2時間。


俺のipodから、パンクロックが早朝の田舎町に虚しく溶け出してゆく。


どこかで羊か山羊が鳴いた。


駅のホームを四方八方見渡しても、人の姿は見当たらない。


延々と続く畑と、連綿とつながる山々があるだけだ。


無人の改札を抜け、降り立った町ともいえない町はあまりにも穏やかで――。


これからの毎日を思うと悪寒が走った。


だが、俺には逃げ帰る場所もない。


パパもママもいない。


俺をこんな山奥へ追いやった、親代わりのタコ社長がいるだけだ。


このまま引き返しても、俺に待っているのはでっぷりした有閑マダムに抱かれる日々だけ――。


柄にもなく泣きだしたい気分だった。


そんな俺を地獄に引きずりこむが如く――。


朝日に照らされた真っ白な小型バスがやってきた。


『朝の8時半に迎えのバスがくるから必ずそれに乗れ』


潮田のおっさんに聞かされていたとおり、1秒の狂いもなくバスは来た。


封筒に押印されていたのと同じ、百合の浮彫が傷一つないピカピカの車体にくっきりと見えた。



バスが止まると、音もなく扉が開き――。


「あなたが結城丈児さんですか?」


中から黒い制服に白い手袋をはめた執事のような運転手が現れた。


「どうも…」


俺は音楽を止めて頷いた。


運転手は俺のなりを見て、どうにも納得いかない顔であたりを見回している。


ここには俺以外誰もいないのだから間違えようもあるまいに…。


「荷物はこれだけですか?」


運転手はようやく俺が駅前に立つ唯一無二の存在だと認めると、腑におちない様子のままトランクを手にとった。


「あ、自分でやりますよ」


遠慮して言ったものの、そつない運転手はそそくさトランクを積み込み、自分は運転席に戻ってゆく。


「あ、すんません」


「――ご乗車ください」


「え?」


「バスに乗って下さい、という意味です」


運転席から見下ろす顔には『こいつはバカか?』と書いてある。


「ああ…ハイ」


不安は的中した。


俺はこういう類の人間にとっては、言語すら分からない類人猿も同然なのだ。


慌ててバスに乗り込むと、クラッシュジーンズの裂け目が椅子の肘かけに引っかかった。


「どうしました?」


「いや、あの、よくあることですから…気にしないで。どうぞ行って下さい」


運転手は滑稽な猿を助けることもなく、首をかしげたままバスを発進させた。


発進の衝動で俺は転がるようにしてようやくシートに腰かけた。



それから――20分ぐらい走っただろうか。


バスは大木の生い茂る森の奥深く進んでいった。


安心しろよ、おっさん――。


俺は諦め半分に思う。


こんなとこまで来たら、人間多少のことじゃ逃げ帰る気にもならないってもんだ。


「まだ先ですか?」


退屈して運転手に話しかけてみる。


が――返事はない。


ミラー越しに視線だけは痛いほど感じる。


こんな狭い空間に2人きりなのに無視するなんてあんまりだ。


「ま・だ・先・で・す・か・あ?」


大声で繰り返してやると、運転手は聞えよがしにでっかいため息をついた。


「――失礼ですが、飲食禁止です」


「え?」


「バスの中では何も食べないで下さい、と言う意味です」


淡々とそう言われ、ようやく口の中のガムを指摘しているのだと分かった。


「ああ…」


舌打ちしたい気持ちを抑え、俺はミラーに映るようわざとらしくガムを包みに出した。


「もうすぐです。あと5分もせずに到着します」


納得したのか、ようやく運転手が答えた。


「そりゃ、ご丁寧にどうも」


森は拓け、バスはアルプスを彷彿とさせる穏やかな緑の丘をゆうるりと登って行った。


世間から見放された俺のリハビリ施設にはまさにうってつけの場所だ。



「隔離病棟に到着ってわけね……」


俺の独り言に――。


「えっ?!」


突然バスが揺らいだ。


反応しなくてもいいところで、運転手は俺を振りかえり目を見開いている。


「危ないよ!何っ!?」


「やっぱり病院の方にご用でしたかっ?」


おかしいと思った……って。


いくら俺が挙動不審だったとしても本気で疑われるとは――。


「違うよ!前見て!俺は聖マリオン学院の生徒ですって!!」


へたすりゃそのまま病院に向かってバスを走らせそうな運転手に、俺ははっきりそう言った。


そう――今日からおれは聖マリオン学院の生徒なのだ。


安定を取り戻したバスが丘を登りきったところに。


突然真っ白な宮殿が姿を現した。


「まさか……あれが?」


神殿と見まがうほどの壮大な建造物に、俺は息をのんだ。


そのあまりの巨大さは人の目で表面的にとらえられるものではなかった。


近づくにつれ、空恐ろしい威圧感が俺を動けなくした。


燦々と降り注ぐ朝日に、痛いほどの白、白、白――。


バベルの塔は神の怒りを買って崩れ落ちた。


それなら今、俺が目にしている物は何なのだろう――。


「到着です。ようこそ聖マリオン学院へ」


運転手が何の感嘆もなく言った。


「まじかよ……」


いやだ。


元の世界へ戻してくれ!!


俺の願いも虚しく――。


バスは巨大なアーチをくぐり、白亜の宮殿へと吸い込まれて行った。





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