プレリュード~序曲
潮田芸能事務所――。
俺は背中に隠したipodを後ろ手に再生する。
「これ以上問題起こしたら即刻解雇だって言ったろ?最近お前が話題になると
ロクな事がないんだよ!飲酒、喫煙、バイク事故、舞台の降板に続いて今度はこれか?」
潮田のおっさんの怒りは、まだ当分収まりそうもない。
俺は耳にかかる髪でイヤホンを隠し、パンクロックに興じることにした。
「――ったく!」
おっさんは派手なスーツを着て、ヤクザの親分みたいな身なりをしているが、
名の通った芸能事務所の社長だ。
そして俺はそこの一所属タレントだ。
とはいっても。
最近は華々しい成果もあげず、泣かず飛ばず。
齢17にして芸歴12年。
輝かしいのは過去の栄光だけ。
昔の契約書1枚でいまだ首がつながっていると言っても過言ではない。
おっさんの派手なパントマイムに爆音のドラムが折り重なる。
俺はソファーに深く座りなおして、指を組んだ。
体がリズムをとって動き出さないように、間抜な鳩みたいに首だけ動かし話に頷くフリをする。
おっさんのデスクの上には、今も俺が一番輝いていた時代の写真が飾ってある。
忘れもしない――7歳の夏。
俺は大劇場のステージの上に立って、歌ってた。
絶対音感。
天才子役。
ミュージカル界の天使。
完全に主役を食った神童と――みんなが勝手に名前をつけた。
満員の観客。
スタンディングオベーション。
意味も分からないまま、主役を差し置いてアンコールでまた歌った。
俺が歌うと観客は泣いて喜んだ。
教えられたとおり歌うだけで、至る所から、ありとあらゆる賛美が飛んできた。
それが楽しくて。
毎日出来る限り高い声で歌った。
どこまでも声は伸びた。
舞台を見に来たおば様方が失神して。
俺の人気もどこまでもどこまでも伸びて行った――。
茶色い巻毛のカツラに。
ベルベッドの衣装を着て。
写真の中の俺は満面の笑みを浮かべている。
そう、それから10年経った頃――自分がどうなるかなんてまったく考えてもない顔で。
屈託のない笑顔。
幼い日の自分が、俺をイラつかせる。
隣に写った潮田のおっさんも、あの頃は今より着ているものの趣味もいい。
金の卵の少年をそれはそれは大事そうに抱えている。
おっさんも、10年経ってまさか金の卵から腐ったヒヨコが生まれようとは――
思ってもみなかっただろう。
俺だってそうだ。
俺だって全然思わなかった――。
おっさんが、今日発売の週刊誌を俺の前に叩きつけた。
『地に堕ちた天使――結城丈児深夜の路上で大暴れ』
なあにが堕ちた天使だよ。
勝手なことばっかり言いやがって。
そもそも俺は天使であった事など一度もない。
声変わりを境に、みんながそう呼ばなくなっただけだ。
「だいたいなぁ、ゴシップ書かれるほど今のお前は人気もねえんだよ。
これ、穴埋め記事だぞ?本来はここ、お笑い芸人の電撃結婚記事が載る
予定だったんだとよ。それが咄嗟のところでおじゃん、で、お前だ。情けねぇ!」
ギターソロに、おっさんのため息が被さる。
イラついた様子で俺の周りをぐるぐる回っているかと思いきや――。
「い、痛てっぇ!」
斜め後ろから張り手が飛んできた。
俺のイヤホンが片方吹っ飛ぶ。
「顔はやめろよ!商売モンだろ!」
俺は痺れた頬をさすりながら怒鳴った。
「エラそうに!商売モンどころか、事務所の面汚しじゃねーか」
「だからって張ることねえだろが!」
「バカ、音洩れてんだよ」
俺はふくれっ面でイヤホンを外し、指にグルグル巻きつけた。
「たしかに騒ぎは起こしたけどさ、こん時はガラの悪い男に絡まれてた
女の子助けたんだぜ?。わざわざ道端で自分からケンカふっかけたりしねえよ」
週刊誌はあたかも俺が急に暴れだして、路上で善良な市民に襲いかかったかの
ような書き方をしている。
「分かってる。お前は昔っから正義感だ。頭の悪い子じゃあない。
騒ぎを起こすには必ずそれなりの理由があるんだろうさ」
「じゃあ謝罪文求めんなり、会見開くなりしてくれよ。それがおっさんの仕事だろ?」
「ジョーちゃん、正直言ってな、俺はお前が可愛いよ」
潮田のおっさんは急に甘い声音になって、昔の呼び方で俺を呼んだ。
「なんだよ…気持ち悪りいな」
遠い目で、今は亡き天使の写真を見つめてる。
「そりゃこんな小っちゃな頃から面倒見てんだ。肩入れもする。昨日今日一緒に
働きだしたヤツらとはワケが違わあな。出来ることならお前がどれだけイイ子か
マスコミかき集めて発表してやりたいさ、エンジェル・ジョージ」
「で、何が言いたいんだよ――?」
おっさんは急に真剣な顔つきになった。
「まあ、はっきり言うとな、お前と俺をつなぐものがだよ、消えかけてるっていうのかね。
いや、個人的な絆は切れやしねえよ。けどな、形あるものはそりゃいつかは壊れるだろ?」
「全然わかんね。てか全然はっきり言ってねーし」
俺がぼやくと。
「――悪いが手は打てない」
言っておっさんは、デスクの引き出しから黄ばんだ書面を取り出した。
「まさかっ――」
俺の手からipodが滑り落ちる。
「ちょっと待ってよ、おっさん…いやおじちゃま?まさか、だよね?」
気まずそうに俺と目も合わせず、おっさんが俺に突きつけた書類は――。
「今日で10年の契約が切れる。このタイミングだ、他のタレントやスタッフの手前、
俺ももうお前を庇いきれない」
「っちょ…それって……?」
「さよならだ、ジョージ。今日限りでお前との契約は打ち切りだ」
――。
芸能界にこれといって未練はない。
もはや未練を持つほど俺はイイ思いもしていないし。
けれど突然の解雇は困る!!
「頼むよ!俺、クビになったって行くトコないんだ」
今住んでるとこも事務所の名義で借りてもらってる。
停学処分くらってはいるものの、高校にも通わせてもらってる。
「ジョージ、ボランティアじゃないんだぜ?」
「分かってる。仕事するよ。昔みたいに文句なんか言わないから」
俺の人気が低迷する直前、お袋は男を作って出て行った――。
「舞台のチョイ役でも、バラエティでもなんでもいいよ!」
そしてそのショックで、親父は社長に俺を預けたまま蒸発した――。
「なんでもいいたって、お前にオファーがないんだから仕方ないだろ」
「んなこたないでしょーがっ!」
俺は行くところがないのだ――。