届かぬ想い
今日は、彼の奥さんの告別式。
しとしとと小雨が降る中、彼の妻の葬儀は行われた。
彼は式の間中、泣いて縋りつく自分の娘を慰めていた。
しかし、その顔はいつもと違い、悲しげに眉がひそめられている。
きっと、傍で見たら涙の痕があるだろう。
彼の指には変わらずに妻との結婚指輪が光っている。
娘を抱き締めながら、小刻みに震える彼の身体。
いつもより彼の身体が一回り小さく見える。
ああ、彼の悲しみが伝わって、俺の心まで張り裂けそうだ。
あの日、結婚記念日と言っていた日、俺は嫉妬で彼の妻の不幸まで願っていた。
それが実現してしまうなんて……
こんな事は、本気で望んでいた訳ではなかったのに……
愛しい人の悲しみにくれる姿が、こんなに辛いとは思ってもみなかった――
~*~*~*~
月日が流れるのは早いものだ。
あの葬式の日から、あっという間に一か月近くが過ぎ去っていた。
彼の表情は、あの日から変わらず冴えぬままだ。
いつも悲しげに瞳は揺れていた。
身体は日に日に痩せていく一方だ。
彼の事が心配で、俺まで食が細くなってしまった。
事あるごとに、彼の研究室に訪れては手伝ってはいたが、彼は以前のような笑顔を見せる事は無くなっていた。
今までは研究室になかった奥さんの写真を、ボウッとした様子で眺めている事も多い。
話しかけても、すぐに返事がなかったりする事も一回や二回ではなかった。
そんな姿を見る度に、彼がどんなに奥さんを愛していたかが伺い知れて、俺の心は痛む一方だ。
結局いくら傍にいても、俺では彼の支えになれないのだ。
こんなに、好きなのに……
そして、そんな日々が続いたある日、俺は珍しく彼の方から研究室に来るように呼び出された。
「ああ、武藤君。良く来てくれましたね……」
相変わらず彼の顔は蒼ざめ、頬はすっかりとこけてしまっている。
「先生、大丈夫ですか? 大分顔色が悪いようですが……」
「君には色々と迷惑を掛けてしまったね、すまないと思っています」
今日の彼は、一段とふさぎ込んだ表情をしていた。
「今日、あなたを呼んだのは、研究論文についての事なのですが……。私は暫く休暇を貰おうと思っているので、論文は高村先生に引き継いだ事を伝えようと思いまして……」
「え?」
「本当にすいません。妻が死んでから、やっぱり体調がすぐれなくてね。娘もすっかりふさぎこんでしまって……。迷ったのですが、結局、今年いっぱいは休職する事にしました」
その言葉を聞いた俺は、ショックで頭の中が割れそうに痛んだ。
先生の言葉がエコーがかかったように頭の中でリピートを繰り返す。
「紫村先生……」
漸く出た彼の名前は、自分でも驚くほど低く掠れた声になってしまう。
もう、彼に会えないのか?
俺は来年にはもう卒業だ。
結局、どんなに慕っていても、俺は彼にとって一生徒に過ぎないのだ。
「……あの日、妻が死んだ日、武藤君に会いましたよね。あの日、結婚記念日のお祝いなどせずに、君の論文を見ていれば良かったと思わない日はありません。
妻は約束の場所に向かう途中、あの事故に巻き込まれたのです。いつもなら、結婚記念日は家でお祝いをしていたのに……」
彼はそう言うと、研究室のソファに深く腰掛けて頭を抱えた。
小刻みに震えだす、彼の背中。
そんなに、奥さんを愛していたのかよ……
どんなに愛していても、ずっと傍にいたとしても、俺は死んだ妻にも勝てはしないのだ。
彼の涙にくれる姿を見つめるうちに、俺の中で何かが突然切れて、大きく弾ける音が響いた。