ライバル
研究棟から外へ出ると、すでに空は夕闇に染まっていた。
身体を刺すような冬の冷たい空気が、ビュッと叩き付けられるように吹いている。
その寒さを少しでもやわらげようと、俺はコートの襟を立てて歩き出した。
でも、本当に寒いのは、身体じゃない……
「よう、雅也!」
歩き出してしばらくすると、やけに明るい響きを伴った聞き覚えのある声が、俺の耳に聞こえてきた。
その声を耳にして、一瞬で不快な気持ちが湧いて来る。
「……新田」
「武藤く~ん、こんな時間にどうしたんだ?」
「……放っておいてくれ」
「愛しの先生と逢引きか? 何、もう、落としたの?」
「うるせえ!」
ニヤニヤと笑いながら話し掛けてくる男に向かって、不快感を露わに言い捨てた。
目の前にいる男は、依然とニヤつきながら煙草に火を点けて俺に向かって紫煙を吐く。
新田 省吾
この大学内で唯一、彼への気持ちを知っている男。
高校の時の同級生だ。
同じ高校……要するに、俺とこいつは同好の士。
新田も男でも女でも、どちらでもかまわないという奴だ。
「冷たいじゃないか、雅也。高校からの友達だって言うのに」
「俺はお前と友達になった覚えは、一回もないけどな」
「ハハッ、言うねぇ、雅也」
楽しそうに笑う新田。
人を馬鹿にしたような笑顔が、俺の気持ちを逆撫でする。
俺は奴の言葉を無視して、歩調を早める。
すると、新田は俺の脇に並んで、同じ速度で歩き出した。
自分と似たような奴とは良い友人になるか、とことん反発してライバルのような関係になる事が多い。
俺と新田は後者に当たる。
高校時代、奴は何かというと俺に絡んできていた。
新田も性格はともかくとして、見た目は芸能人のように良い男だ。
そんな新田に、付き合っていた男を盗られた事は一度や二度ではない。
高校を卒業して、やっとこいつとも縁が切れると思っていたら、ちゃっかり同じ大学にいやがった。
「で、どうなんだ? もうやった?」
「お前にそんな事を、答える筋合いはない!」
しつこく食い下がる新田を、横目でギロッと睨んだ。
しかし、新田はそんな俺の顔を見て、再び口角を上げてニヤリと笑う。
……本当に、頭にくる野郎だ。
俺が彼に何も出来ない事を、知ってやがるくせに。
「まあ、いい。……ていうか、コウタ君もリカちゃんもお前が最近冷たいって嘆いてたぜ?」
「何だと?」
コウタとリカ……
まあ、いわゆる俺の遊び相手。
セフレという存在だ。
いくら彼の事だけを想っていても、それだけでは溜まる一方の欲は吐き出せない。
「勿論、二人の愚痴はベッドで聞いたけどな」
ククッと小さい笑い声を漏らす新田。
まあ二人とも、俺が遊びと承知で付き合ってはいるが……
また、こいつにヤラれたか……
ムカつく野郎だぜ。
「何? 何も文句はない訳? 雅也君?」
無視を決め込んでいると、新田は急に俺の前に立ちはだかった。
「……別に? お前の好きにすればいいさ。あの二人に、特に未練はない」
「お前、相変わらずだな~。あ~あ、つまんねえの!」
俺がまったく動じない事に、新田は不満気な顔をしている。
……お前になんか、かまっていられるか!
「こうなったらお前の愛しの先生にでも、迫ってみようかな?」
その言葉には、身体がすぐにピクリと反応する。
自分で怒りを意識する前に、俺は目の前に立つ新田の胸倉をグッと掴んだ。
「そんな事をしてみろ……。お前を、殺してやる」
自分でも驚く程の、低く掠れた声が出る。
「……冗談だよ。本気の男は怖いね」
「お前のは、冗談に聞こえないんだよ!」
「放せよ」
すっかりビビったのか、新田はそれまでのふざけた態度から一変して真面目な顔になった。
胸倉から手を放すと、奴も俺を睨み返してくる。
もし本当に彼に何かをしたら、俺はこいつを許さないだろう。
「怖いね……。今日は取り敢えず、大人しく退散するよ」
そう言い残すと、新田は足早に夜の闇に紛れて消えた。
新田が去った後、俺はいつもより更にイライラとした気持ちが治まらなかった。
あいつがあんな事を言ったせいだけじゃない。
いくら想っても、俺の気持ちは彼に通じる事はないと、会う度に思い知らされているのだ。
いっその事、さっきあいつが言ったように、軽い気持ちで彼に無理矢理触れてしまいたい……
強引にでも、彼を手に入れてしまいたい。
……でも、そんな事が出来る筈もない。
新田の言葉に、ギリギリ状態な俺の心は、更に焦りが増すばかりだった。