第32話 契約の正体
男は、ようやく落ち着いた呼吸を取り戻していた。
◆
路地裏の片隅。
壊れたブロック塀に背を預け、虚ろな目で地面を見つめている。
「……契約は、無効だ」
朝倉は、そう告げた。
男は、小さく笑う。
「違約金、払えると思うか?」
◆
朝倉は黙った。
男の端末を差し出される。
そこには、簡潔な契約書が表示されていた。
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《死因引受契約書》
・対象:本人
・引受回数:1回
・対価:債務全額消去
・違約時:債務倍額請求
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「……ふざけてる」
思わず漏れた言葉に、男は首を振る。
「ふざけてない」
「俺は選んだ」
◆
その瞬間、背後から足音が響いた。
「そこまでだ」
低く落ち着いた声。
◆
振り返ると、男が立っていた。
スーツ姿。
柔らかな物腰。
だが目だけが冷たい。
「初めまして」
微笑む。
「レオニス・ヴァルクと申します」
◆
「リコレクター幹部、か」
朝倉は距離を取る。
レオニスは否定しない。
「“幹部”というほど物騒ではありません」
「我々は、調整者です」
◆
「調整?」
「ええ」
レオニスは、壊れた塀に手を置く。
「死は、必ず発生する」
「ならば、それを“最も納得できる形”に整える」
穏やかな口調。
◆
「国家は、死を管理する」
「我々は、死を選択可能にする」
レオニスは続ける。
「違いは、それだけです」
◆
「違う」
朝倉は、即座に言った。
「お前たちは、売っている」
「ええ」
あっさり認める。
「ですが、国家は無料で奪います」
◆
言葉に詰まる。
否定しきれない。
◆
「あなたは、朝倉恒一」
レオニスは、まっすぐ見つめる。
「予定された死から脱落した男」
「……知っているのか」
「当然です」
微笑みは崩れない。
◆
「あなたは、構造を壊しました」
「だが」
視線がわずかに鋭くなる。
「壊した後を、設計していない」
◆
「……何が言いたい」
「単純な話です」
レオニスは、契約書を指差す。
「国家の管理が揺らげば」
「人は、市場に流れます」
◆
朝倉は、初めて理解した。
自分が数字を狂わせた結果。
管理が弱まり。
死は分散し。
そして――商品になる。
◆
「あなたは、善意で止めた」
「ですが」
レオニスは静かに言う。
「この男の家族は、再び借金を抱える」
「そして、次はもっと危険な契約を結ぶでしょう」
◆
男が、目を伏せる。
朝倉の胸が締め付けられる。
「……だから、死なせるのが正解か」
「いいえ」
レオニスは首を振る。
「だから、構造を設計し直せと言っているのです」
◆
「あなたは、否定しただけ」
「我々は、現実を運用している」
◆
その言葉は、刃だった。
正論に近い。
◆
「……公安と、繋がっているな」
朝倉は、静かに言った。
レオニスは、笑った。
「“繋がっている”というより」
「役割分担です」
◆
国家が予測し。
市場が調整する。
独占ではない。
分業。
◆
「あなたは、どちらにも属していない」
レオニスは、最後に言う。
「だから危険です」
「そして」
一歩、距離を詰める。
「最も価値がある」
◆
空気が張り詰める。
朝倉は、拳を握る。
「俺は、売られない」
「存じています」
レオニスは、微笑んだまま後退する。
「ですが、いずれ選ばされる」
◆
彼は、静かに立ち去った。
男だけが、残る。
◆
朝倉は、空を見上げた。
壊しただけでは、足りない。
管理も、市場も。
両方が存在する世界で。
予定された死は、形を変えただけだ。
◆
端末が振動する。
『見ただろう』
ノクス。
『これが、分散の末路だ』
◆
朝倉は、目を閉じた。
敵は、単純ではない。
悪でもない。
ただ――合理の延長だ。
ならば。
壊すだけでは、終われない。
次は、設計だ。
それが、第3部の本当の始まりだった。
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