第25話 取引
指定された場所は、地下だった。
◆
古い駐車場。
天井の低いコンクリートの空間。
使われていないはずなのに、照明だけは点いている。
足音が、やけに響いた。
『ここだ』
端末に、短い指示。
俺は、歩みを止めた。
◆
影の中から、一人の男が現れる。
背は高くない。
派手な装備も、威圧感もない。
だが、目だけが異様に静かだった。
「……朝倉恒一」
初めて、名前で呼ばれた。
「初めまして、でいいかな」
声は、落ち着いている。
あの通信の声と同じだ。
「ノクス、だ」
◆
俺は、距離を保ったまま立っていた。
「逃がしてくれた礼を言うつもりはない」
正直に言った。
「俺は、まだ信用してない」
ノクスは、小さく笑った。
「当然だ」
「信用は、契約の後に発生するものだからな」
◆
「ここは?」
「一時的な退避地点」
あっさりした答え。
「君を匿う場所じゃない」
「捕まらないようにする場所でもない」
胸が、少しだけざわつく。
「じゃあ、何のために」
「話すためだ」
◆
ノクスは、壁にもたれた。
「君は、勘違いしている」
「俺たちは、君を救う組織じゃない」
はっきりと言い切る。
「国家に代わって、死を引き受けるつもりもない」
◆
「じゃあ、何だ」
思わず、声が低くなる。
ノクスは、視線を逸らさない。
「“独占”を壊す」
短い言葉。
「死を、一人に押しつける構造を壊す」
◆
「……理想論だ」
俺は、そう返した。
「現場を知らない言葉だ」
「知っている」
即答だった。
「だから、壊せない」
言葉の意味が、すぐに理解できなかった。
「構造は、現場で成立している」
「だから、現場にいる人間が壊さなければならない」
ノクスは、俺を見る。
「君のことだ」
◆
「俺は、ただの逃亡者だ」
「今はな」
ノクスは、淡々と続ける。
「だが、君には“選んだ実績”がある」
「死なない選択を、意図的にした」
胸の奥が、重くなる。
「それは、国家にとっては欠陥だ」
「だが、俺たちにとっては――条件を満たしている」
◆
「条件?」
「命令を拒否できること」
それだけだった。
「正義でも、感情でもない」
「自分で線を引けるかどうか」
◆
沈黙が落ちる。
俺は、拳を握った。
「……俺は、まだ何も変えられない」
「分かっている」
ノクスは、初めて少しだけ声を和らげた。
「だから、取引だ」
◆
「君は、すぐに俺たちの仲間にならなくていい」
「公安に戻る必要もない」
「ただし」
一拍。
「俺たちの“条件”を、現場で使え」
◆
「条件……選別のことか」
「そうだ」
ノクスは、頷く。
「誰を救い、誰を救わないか」
「国家の基準ではなく、君の基準で」
◆
「それで、何が変わる」
俺は、問い返す。
ノクスは、少しだけ目を細めた。
「数字が、狂う」
その言葉が、妙に重かった。
「予定された死」
「想定された被害」
「それらが、成立しなくなる」
◆
「俺は、道具だ」
俺は、吐き捨てるように言った。
「そう作られた」
「違う」
ノクスは、否定した。
「君は、“道具になることを拒んだ道具”だ」
それは、救いでも肯定でもない。
事実の提示だった。
◆
「選べ」
ノクスは、最後に言った。
「俺たちは、君を縛らない」
「逃げたければ、また逃げればいい」
「だが」
視線が、真っ直ぐになる。
「選ばない限り、何も壊れない」
◆
俺は、しばらく黙っていた。
ここに来た理由。
逃げた理由。
すべてが、頭の中で絡まる。
「……分かった」
ようやく、口を開く。
「条件は、俺が決める」
「それでいい」
ノクスは、頷いた。
◆
取引は、それだけだった。
握手もない。
誓約もない。
ただ、立場だけが変わった。
俺は、もう守られない。
だが、完全に使われることもない。
◆
「ようこそ、とは言わない」
ノクスは、背を向ける。
「君は、まだ途中だ」
その言葉を背に、俺は立ち尽くした。
救われたわけじゃない。
未来も、見えない。
それでも。
選ぶ場所に、立った。
それが、この取引の全てだった。
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