第19話 壊れた先輩
最初に気づいたのは、視線だった。
◆
医療区画の通路。
いつも通り、消毒の匂いが漂っている。
朝倉は、壁に手をつきながら歩いていた。
息が、まだ整わない。
その時。
通路の向こう側で、一人の女性が立っているのが見えた。
年は、二十代前半だろうか。
身なりは、簡素。
だが、その目だけが、異様だった。
こちらを見ている。
――いや。
見て“いた”。
◆
視線が合った瞬間、彼女は慌てて顔を逸らした。
「……?」
すれ違いざま、彼女の口がわずかに動く。
「……また、死んだ?」
朝倉の足が止まった。
「……あなたは」
問いかけるより先に、彼女は小さく笑った。
「安心して」
声は、ひどく軽い。
「もう、引き受けられないから」
◆
黒瀬が、少し遅れて追いついてきた。
「……相川」
その名を聞いた瞬間、朝倉の胸がざわついた。
「相川……澪、です」
女性は、改めて名乗った。
「元・事故処理係の補助要員」
補助。
その言葉に、違和感を覚える。
「……元?」
朝倉の問いに、相川は頷いた。
「今は、経過観察」
経過観察。
それが何を意味するか、朝倉はもう知っている。
◆
「話、してもいいですか」
相川は、黒瀬を見る。
黒瀬は、わずかに躊躇した後、頷いた。
誰も使っていない小さな待機室に入る。
◆
「あなた」
相川は、椅子に腰を下ろすなり言った。
「完成品、なんでしょ」
笑いながら。
冗談みたいに。
「……誰から」
「ここでは、噂は早いの」
相川は肩をすくめる。
「それに」
視線が、朝倉の胸元に落ちる。
「同じ匂いがする」
◆
「私ね」
相川は、淡々と語り始めた。
「昔は、あなたみたいに走れた」
「死因転嫁は持ってなかったけど」
「“誰に引き受けさせるか”を選ぶ役」
誘導役。
事故処理係の影。
「最初は、楽だった」
そう言って、彼女は笑う。
「自分が死なないから」
「その分、割り切れると思ってた」
◆
「でも」
声が、少しだけ低くなる。
「途中から、分からなくなった」
「誰を生かして、誰を死なせてるのか」
「自分が、何をやってるのか」
指先が、わずかに震える。
「ある日」
相川は、朝倉を見る。
「“次は、あなたが引き受けて”って言われた」
息が詰まる。
「できなかった」
即答だった。
「身体が、動かなかった」
◆
「それで?」
朝倉は、喉を絞るように聞いた。
「……廃棄?」
相川は、少し考えてから答えた。
「寸前」
軽い口調。
「壊れてるって判断されたから」
「今は、経過観察」
「要するに、いつ切られてもいい在庫」
◆
朝倉は、何も言えなかった。
相川は、笑ったままだ。
「ね」
「あなたも、こうなる」
断言だった。
「壊れたら、終わり」
「完成品は、更新されない」
◆
「……怖くないんですか」
思わず、聞いていた。
相川は、一瞬だけ黙る。
「怖いよ」
それから、あっさり言った。
「でも」
視線が、真っ直ぐになる。
「もう、誰かを選ばなくていい」
その言葉が、胸に突き刺さる。
救いと、逃げが、同時に混ざっている。
◆
「あなたは、まだ選べる」
相川は、静かに言った。
「私は、もう無理」
「だから」
少しだけ、笑みが歪む。
「壊れる前に、逃げな」
◆
部屋を出る時。
相川は、最後に振り返った。
「……名前で呼ばれてるうちは」
「まだ、人間だから」
その言葉を残して、去っていった。
◆
通路に戻った朝倉は、しばらく動けなかった。
あれが、未来。
壊れた後の、自分。
完成品の末路。
◆
「……見せるつもり、なかったんです」
黒瀬が、ぽつりと言った。
「でも」
朝倉は、ゆっくりと息を吐く。
「見てよかった」
嘘じゃなかった。
怖い。
だが、目を逸らすよりは。
◆
その夜。
端末に、短いメッセージが届いた。
『彼女は、君の可能性だ』
ノクス。
『壊れる前に、選べ』
朝倉は、端末を伏せた。
逃げ道は、まだ遠い。
だが。
壊れた先は、もう見えてしまった。
それだけで、もう戻れない。
朝倉恒一は、初めてはっきりと理解した。
――このままでは、自分は“ああなる”。
そして。
それを、受け入れられない自分がいることも。
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