第16話 逃げ道は、まだ遠い
警報が鳴った瞬間、身体が先に動いた。
考える前に走る。
息が上がる。
胸が痛む。
それでも、足は止まらない。
◆
『異能反応を確認。出力は中程度』
黒瀬の声が、イヤーピース越しに聞こえる。
『対象は一名。周囲に民間人あり』
いつも通りの報告。
いつも通りの任務。
違うのは――俺だけだ。
◆
現場は、小さな商店街だった。
夕方。
買い物帰りの人間が多い時間帯。
シャッターの閉まりかけた店。
立ち止まって騒ぎを見ている野次馬。
爆心は、通りの中央。
距離は、近い。
――間に合う。
以前の俺なら、迷わずそう判断していただろう。
だが。
視界の端に、赤ん坊を抱いた母親が映った。
必死に、店の中へ逃げ込もうとしている。
足元がおぼつかない。
その瞬間、思考が割り込んだ。
――待て。
ほんの一瞬。
ほんの一瞬だけ。
◆
俺は、走りながら周囲を見た。
逃げ道。
遮蔽物。
人の流れ。
今まで、そんなことは考えなかった。
考える必要がなかった。
死ねば済んだ。
だが今は。
俺が、ここで死ななければ。
この人たちは、逃げ切れるかもしれない。
『朝倉さん』
黒瀬の声が、少しだけ強くなる。
『突入してください』
命令。
俺は、まだ走っている。
だが、距離を詰める速度を、わずかに落とした。
◆
爆発反応が、急激に上昇する。
時間がない。
――やるしかない。
俺は、爆心へ向かって身体を投げ出した。
◆
熱。
衝撃。
内側から潰れる感覚。
意識が薄れていく中で、俺は思っていた。
さっきの人たちは、逃げ切れただろうか。
◆
目を覚ましたのは、医療区画だった。
天井を見上げ、ゆっくりと呼吸を整える。
「……被害は」
「民間人、軽傷者のみです」
黒瀬の声。
胸の奥が、少しだけ緩んだ。
「……そうですか」
それでいい。
それでいい、はずだった。
◆
だが、立ち上がろうとした瞬間、足がもつれた。
「……っ」
壁に手をついて、なんとか体勢を保つ。
黒瀬が、すぐに駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか」
「……少し、力が」
自分でも驚くほど、声が弱かった。
「検査を――」
「いいです」
思わず、遮っていた。
黒瀬が、目を見開く。
「朝倉さん?」
「……今は、いい」
理由は、説明できなかった。
検査をすれば、また数字が出る。
下がった数値。
減った余裕。
それを理由に、また何かを決められる。
◆
帰還後、簡単なレビューが行われた。
「今回の対応、やや遅れが見られる」
上層部の声。
「だが、結果として被害は抑えられた」
成功。
いつもと同じ評価。
それでも。
「次回は、判断を早めろ」
その一言が、胸に残った。
◆
居室に戻り、俺はベッドに腰を下ろした。
今日の任務。
俺は、少しだけ“待った”。
結果は、変わらなかった。
俺は死に、誰かが助かった。
それでも。
同じじゃない。
俺は、死ぬ前に考えた。
選ぼうとした。
それが、どんな結果を生むのか。
まだ、分からない。
◆
端末が振動する。
非公式回線。
画面に、短いメッセージが表示された。
『変わり始めている』
それだけ。
誰からかは、分かっている。
俺は、端末を伏せた。
今は、答えない。
逃げ道は、まだ遠い。
だが。
もう、見えないわけじゃない。
その事実だけで、胸の奥がざわついていた。
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