第11話 命令違反未遂
その違和感は、ほんの一瞬だった。
だが、確かに存在した。
◆
現場は、屋内型の公共施設だった。
平日の昼間。人の出入りが多い。
『異能反応を確認。出力、中程度』
イヤーピース越しに黒瀬の声が響く。
『爆発まで、およそ五秒』
短い。
だが、今までなら十分な時間だった。
俺は走る。
胸が痛む。呼吸が浅い。
それでも、足は前に出た。
爆心は、中央ホール。
ガラス張りの天井の下に、人が集まっている。
――間に合う。
そう判断した、次の瞬間。
視界の端で、小さな影が動いた。
子どもだ。
母親の手を引かれて、出口へ向かっている。
まだ、間に合うかもしれない。
その考えが、頭をよぎった。
俺が、今すぐ突っ込まなくても。
あと、ほんの少しだけ待てば。
――死なずに済むかもしれない。
その思考が生まれた瞬間。
時間が、引き延ばされたように感じた。
◆
『朝倉さん』
黒瀬の声が、わずかに強くなる。
『突入してください』
命令。
俺は、足を止めなかった。
だが――踏み出しも、しなかった。
ほんの、〇・五秒。
自分でも気づかないほどの、僅かな躊躇。
子どもと母親が、出口に届く。
自動ドアが開く。
次の瞬間、爆発反応が急激に上昇した。
『今です!』
叫ぶような声。
俺は、反射的に身体を投げ出した。
◆
熱。
衝撃。
視界が白く染まる。
身体が砕ける感覚は、もう慣れている。
だが今回は、違った。
――間に合わなかったら、どうなっていた?
その考えが、最後まで消えなかった。
◆
目を覚ました時、天井が滲んで見えた。
医療区画。
いつもの場所。
「……被害は」
声が、かすれる。
「民間人被害、ゼロです」
黒瀬の声。
胸の奥が、少しだけ緩んだ。
「よかった……」
それが本音だった。
死んだことより。
救えたことより。
“間に合った”という事実が。
◆
だが、その安堵は、長くは続かなかった。
後日の簡易レビュー。
壁のモニターに、任務ログが映し出される。
『対応時間:想定比+0.5秒』
赤字で、強調されていた。
「ここだ」
鷹宮課長が、淡々と指摘する。
「判断が遅れている」
遅れた。
その言葉に、胸がざわつく。
「結果として、被害はゼロです」
誰かが補足する。
「だが、前例がない」
上層部の声。
「朝倉は、即断即決が前提の戦力だ」
前提。
俺は、そこで初めて気づいた。
俺に許されているのは、“考えない判断”だけだ。
◆
「……質問、いいですか」
俺は、思わず口を開いていた。
室内の視線が、集まる。
「今回、もし俺が――」
一瞬、言葉に詰まる。
「死なずに済む可能性があったとしても」
喉が、ひりつく。
「それを考えること自体が、問題なんですか」
沈黙。
数秒。
鷹宮は、はっきりと答えた。
「問題だ」
迷いは、なかった。
「お前は、考えるために現場にいるんじゃない」
その言葉が、胸に突き刺さる。
「結果を引き受けるためにいる」
◆
会議が終わり、廊下に出た時。
黒瀬が、追いかけてきた。
「……大丈夫ですか」
「はい」
反射的に答える。
大丈夫かどうかなんて、分からない。
「あなたは、間違っていません」
黒瀬は、小さな声で言った。
「人としては」
その続きが、言えないのが分かった。
俺は、苦笑した。
「……人として、ですね」
それが、ここでは免罪符にならないことを。
二人とも、分かっていた。
◆
居室に戻り、俺はベッドに腰を下ろした。
あの〇・五秒。
あれは、命令違反ではない。
結果も出ている。
それでも。
俺は確かに、“死なない可能性”を考えた。
その事実が、頭から離れなかった。
この場所では。
それ自体が、異物なのだ。
俺は、静かに息を吐く。
「……考えちゃ、いけなかったんだな」
誰に言うでもなく、呟いた。
でも。
考えてしまったことを、なかったことにはできない。
その小さなズレが。
きっと、もう戻らないことを。
俺は、なんとなく理解していた。




