8.主役登場
こいつが皇帝さまか。
目の前で手を叩いている男子は、俺とそんなに
変わらない歳なのだそうだ。
こいつが言う「治世の能臣、乱世の奸雄」とは、
「月旦評」で付けられた俺のあだ名だ。
月旦評とは、月旦(月の初め)に行われる
人物評価だから、文字通りそう呼ぶらしい。
乱世の奸雄とは、あまり喜べない評価だが、
悪名で皆を恐れさせておいた方が、これから色々と
やりやすい。
「曹操、よく来ました。これも蒼天さまのお導き。
聖なる天子さまの下僕として忠勤に励むのです」
皇帝さまの傍で偉そうに講釈を垂れている
こいつは「張譲」というやつで、実はちょっとした
知り合いだ。
「ははっ、この曹操、天子さまの子として考を尽くし、
清廉を心掛けます」
この場には張譲を含めて、十二人の召使いが
皇帝さまに近侍している。
彼らは皆、皇帝さまを信奉し、時には武器を
手に取って命を懸けて皇帝さまの手足として尽くす。
ちなみに彼らの事を世間では「十常侍」と呼んで
いるそうだ。
何故十二人なのに十常侍なのかって。
細かいことは気にしちゃ駄目だ。
って言うか、ここにいる殆どが、元々知ってる
やつらだ。
何でかって。
こいつらはみんな、俺が小さい時に死んだ爺さんの
元部下だからな。
「曹大長秋は立派なお方だったそうじゃ。
まさに朕の仮の祖父と呼ぶべきか」
皇帝さまの言う大長秋とは、召使いの中で一番
偉い位の事で、俺の爺さんも無名の農民出身から
よく上り詰めたもんだ。
「陛下、お戯れを」
一応愛想笑いをしておこう。
「ならば、張譲は仮の父で、趙忠は仮の母か」
二人とも黙っている。
おいっ、否定しろよ。
「陛下、お時間です」
そう告げられると、皇帝さまは部屋の奥の方へと
行ってしまわれた。
常に傍にいる召使いを家族呼ばわりなんて、
皇帝さまは意外と孤独なのかもな。
まあ、
爺さんと俺も、血が繋がっていない家族なのだが。
祖父、曹騰には子供が出来なかった。
どうやっても男には子供が産めんからな。
そこで、自分の爵位を継がせるために拾われて
来たのが俺の親父だ。
俺は部屋を出る前に十常侍へ礼をした。
「では、持ち場に就きます。」
返事がない。
静かだ。
よく見ると、張譲と趙忠が裾の下で小さく
お互いを蹴り合っている。
「ママは私よ」
「あぁら、オヤジさん。残念でした」
どうやら先ほどの皇帝さまの発言を巡って、
ケンカが始まったらしい。
どちらが母かの。
いや、あの、それは物のたとえであって。
「あなたも曹大長秋さまのお孫さんだからって
調子に乗るんじゃないわよ」
なぜか俺にケンカが飛び火した。
「あっ、ごめんなさい」
こうして俺は、晴れて宮殿警護の仕事に就いた。
年に一回、地方から官僚候補生が儒教の徳目を
基準として、数人選抜される。
建て前では。
そいつらは俺みたいに、まず宮殿の仕事に
就いてからそれぞれの任地への派遣を命じられる。
「君が噂の、乱世の英雄、曹孟徳くんかな」
おそらく同期生であろう男に声を掛けられた。
孟徳とは、俺の字だ。
「俺の名は蔡徳珪、荊州の者だ」
荊州とは、ここ、首都雒陽の南側にある地域を
そう呼ぶ。
「君の言う曹くんとやらで無かったらどうする」
「いきなり天子さまの謁見を許されるなんて、
名のある偉い御方の子弟じゃないと無理だよ」
「確かに、俺がこうしてここに居るのは
全て偉大なる祖父のおかげだな」
皇帝さまに近侍する召使いたちは、
その身を捧げ奉公する代わりに、自分の近親者を
優先して政界の主要な役職へと送り込む。
そいつらの事を世間では「濁流派」と呼ぶらしい。
と、言う事は、俺も濁流派の一人だ。
「いやいや、君は月旦評で評価された、れっきとした
名士だよ」
蔡徳珪が笑いながら言った。
本来、政界を支えるのは儒教を修めた賢者たちで
あるのだが、今は色々あって宮廷から締め出されて
いる。
締め出された賢者たちは、形骸化した国の評価に
代わって、月旦評などで自分たちを評価し合い、
集団を作っていた。
その集団を「清流派」と言うそうだ。
「君は、濁流派であって、清流派でもある、
正に特異な存在だな」
「どっち付かずの存在は勘弁だよ」
なぜか張譲の顔が思い浮かんだ。
俺と徳珪は宮殿の警護の仕事を日々こなしていった。
宮殿警護と言えば聞こえは良いが、俺たちに与え
られるのは、ほぼ雑用ばかりだ。
俺たちが国の機密に触れることはないが、
ここの所「キヘイ」と言う言葉をよく耳にする。
今の元号は熹平だが、熹平、騎兵、奇兵。
「わっ。孟徳くん、噂は聞いたかい」
静かに俺の背後を取った徳珪が、思案を妨げる。
「キヘイの事か」
内心驚いたが、薄く反応してやった。
「近々、鮮卑族に大規模作戦を行うんだって」
「なんだって」
国家機密というが、大体どこからか話が漏れるもんだ。
そんな事より、対異民族戦で名を馳せた英雄は皆の
憧れ。
飛将軍李広しかり、驃騎将軍霍去病しかり。
俺の夢は、征西将軍になって、荒れた西側を整備して行き、
大秦国へ行くこと。
爺さんの力とは言え、今の仕事はその一歩だ。
「曹孟徳。梁孟黄さまがお呼びだ」
梁孟黄と言えば、人事担当官だ。
俺は期待を募らせて、尚書台へ歩みを進めた。
次回へ続く。
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