7.天馬の拳
その男は胸の前で手を組み、軽くお辞儀をしました。
白髪に白髭と、その見た目からして、かなりの高齢だと
思われます。
老人は劉備が引いている「的」を見て言いました。
「なかなかの駿馬をお持ちのようですな」
「元の持ち主からは駄馬だと聞いていますが」
劉備はこの男が明らかに自分より目上そうなので、
一応敬語で答えます。
「駄馬だなんてとんでもない。
この子はおそらく西域天馬の血統じゃよ」
西域とは、漢帝国の西側にある外国の事で、
そこに生息する優れた馬を「西域天馬」と呼びました。
「だからあの時、幻想のような走りをしたわけだ、です」
劉備は老人に鮮卑族との勝負で的が見せた
驚異的な走りの事を話しました。
「その技は『天馬幻想』の動きではないか。」
老人は、とてもおどろきました。
「それにしても、鮮卑族がそんな所まで来ておるのか」
老人が少し思いを巡らせます。
鮮卑族と言えば、劉備は「蓮の姫君」の事を
思い出しました。
「蓮の姫君、かわいかったなぁ」
耿雍が劉備の耳元でつぶやきました。
「おっ、おう」
耿雍の言葉に劉備は一瞬ドキッとしました。
「また会いたいなぁ。今どこにいるんだろぉ」
耿雍が気持ちを昂らせながら、ブツブツ言っています。
思案を終えた老人が口を開きました。
「よし、貴殿ら、わしと勝負せんか」
「はあっ。勝負ぅ」
二人とも、いきなりの事で訳が分かりません。
「ワシに勝ったら、貴殿らに千金を与えよう」
「せっ、千金ん」
ちょうど、的を養うための資金に困っていた所
だったので、劉備にとってこの話はとても魅力的
でした。
「よし、乗った。」
劉備は即答します。
「よろしい。では、このお碗を取ることができれば
貴殿らの勝ちじゃ。
ただし、日没までにお椀を取れなければ、
ワシの所でしばらく働いてもらうぞ」
と言って、老人は自分の頭に、持っていたお椀を
乗せました。
「ケガしても知らないぜ」
二人は勢いよく、老人に向かって飛びかかりました。
しかし、老人はそれを軽やかにかわし、お椀を
お手玉の様にして挑発します。
「よっ、ほっ。ほれほれ、こっちじゃ」
「なっ、やるな、爺さん」
劉備たちは視線をお椀に集中します。
しかし、お椀へ釘付けになった目の動きも、
お手玉の様に操られていました。
「馬鹿っ、椀ばっか見てんじゃねえよ」
劉備が耿雍を叱咤します。
「おっと、いけねえ。つい」
二人はお椀から視線を外して、老人を再び
押さえにかかりました。
「おのれぇ、ちょこまかとぉ」
「劉さん、それ負けるやつが言う台詞」
耿雍が突っ込みを入れます。
老人はその見た目からは思いもつかない
ような身体能力で二人の追撃を次々と
かわして行きました。
「その動作、流星の如く」
だんだんと体力を消耗していく二人に対して、
老人の動きはキレを増して行きます。
まるで酸素の音が聞こえるかのように。
「この動き、どこかで見た事あるな」
劉備が記憶を辿りよせます。
その時、ずっと繋いだままで放置された
的の事が目に入りました。
「まさか、あれは」
老人の動きは、彼の言う『天馬幻想』の動きに
そっくりでした。
「ほれほれ、もう終わりかのぅ」
息を切らす二人を、再びお椀をお手玉の
ようにして挑発します。
その動きはまさに、十三の星の軌跡を
描いているかのようでした。
「おっと」
老人は、わざと手を滑らせて皿を落としました。
それを見逃さなかった劉備たちは
力を振り絞ってお椀に飛びつきます。
「飛翔せし事、天馬のように」
落ちたお椀を老人が軽く上へ蹴り上げると、
老人はあり得ないくらいの跳躍を見せ、
上空でお椀をつかみました。
「あっ、ありえねぇ」
二人が声をそろえます。
そうこうしている内に日が沈んでしまいました。
「まいった、降参」
二人は、ぜえぜえと息を切らしてその場に
座り込みました。
「では、約束どおり明日からワシの所で働いて
もらうかのう」
「あんた、一体何もんだ」
劉備が老人に訊ねます。
老人は触っていた白髭をから手を放して、
顔の前で手を組み。
「ワシは、馬商人の姓は蘇、名を双と申す。
皆からは『蘇家師』と呼ばれておる」
と、名乗りました。
「馬商人が何でそんな動きができんだよ」
耿雍が訊ねると。
「ワシら商人は、貴殿らとちがって『儒教』に
保護されておらん。だから、取引を反故に
されんよう、力を担保としておる」
蘇双がそう言って、細い腕の小さな力こぶを
みせます。
「すまん、意味がわからねえ。分かりやすく」
「要するに、力は金、金は力じゃ」
劉備は的のため、蘇双に提案します。
「馬商人か、そいつはちょうどよかった。
働く対価と言っちゃあ何ですが、
的の餌を分けてもらえないですかねえ」
「お安い御用じゃ」
こうして、劉備と耿雍は馬商人の蘇双のもとで
働くことになりました。
場所は変わって。
「本日付で官に就くことになりました」
漢帝国の首都「雒陽」にある謁見の間で、
一人の若い男が皇帝さまの前に跪いています。
「噂に聞く、治世の能臣、乱世の奸雄とは
貴公の事か」
皇帝さまが若い男に訊ねます。
「貴公、歳はいくつじゃ」
「今年で二十歳になりました」
皇帝さまは嬉々として、
「おおっ、朕と一つしか変わらんではないか」
と、手を叩きました。
次回に続く。
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