3.礼の先生
ヒゲ面の大男は、もう一度ビシッッと膝をそろえて、
釣鐘のように大きな声で「こんにちは」と挨拶をしました。
「なんだこれ、すっげえ圧だ」
劉備と徳然はその挨拶の圧に耐えられませんでした。
「うっ、くっ」
徳然は真面目な性格なので、
挨拶の圧で押しつぶされてしまいそうです。
ヒゲの大男は、三度目の
礼をする動作に入ろうとしていました。
あんなのをまともに食らえば、
こんな草盧なんてすぐに出盧したくなるでしょう。
一族のはみ出し者である劉備は不真面目な性格なので、
何とか挨拶の圧に耐えています。
「くっ、これで帰ったら、母上に茶壷を投げつけられる」
劉備は、圧に耐えながら絞り出すように声を出しました。
「こっ、こんにちは」
その瞬間、二人を押さえつけていた強い圧は嘘のように
無くなりました。
ヒゲ面の大男は大きく目を見開くと、
劉備たちのもとへ駆け寄り、二人を抱き上げて言いました。
「ようこそ我が学舎(教室)へ」
「はぁあ、獄舎(牢屋)の間違いだろ」
と、劉備は小声で言いました。
とりあえず、落ち着いた様子の徳然が先生に
師事の旨を伝え、二人は快く弟子として迎えられました。
徳然は、一番前の列へ積極的に座ります。
劉備は、なるべく目立たないように
一番後ろの席へ積極的に座りました。
劉備が席に着くと、となりの青年が声を掛けてきました。
「盧先生の挨拶に耐えるなんて、てえしたもんだなぁ」
青年の話す言葉は、もの凄くなまっていました。
どうやら劉備たちが住む村よりも、北の出身者のようです。
「オッス、オラ遼西の公孫瓚ってんだ、
なげえ名前だから、孫さんって呼んでくれよな」
「おっ、おう、俺は劉備だ。よろしく」
劉備はこの人大丈夫かという顔で、
(公)孫さんのに返事を返しました。
「おめえみてえな奴に会うと、オラ心が弾むぞ」
(公)孫さんが言う遼西という所は、
町や村を騎馬民族の侵入によってたびたび
荒らされていました。
そこ生まれ育った(公)孫さんは、
強さに対して敏感だったのかもしれません。
「あはぁい、注目ぅ」
先生が片耳の髪の毛をかき上げながら、
生徒たちに言いました。
先生は、大きな木の板を片腕でひょいと持ち上げ、
それをドンと雑に教卓の後ろへ立てかけて、
小刀でカッカッカと字を彫っています。
「新しい仲間が来たので、わたくし自己紹介をします。
私は姓は盧、名を植、字を子幹といいます」
字とは、男子は二十歳、女子は十五歳でもらえる
呼び名の事です。
古代中国では、他人を名前で呼ぶのは失礼になるので、
普段は字で呼び合っていたそうです。
ちなみに、劉備はこの時十五歳だったので、
字はまだありません。
盧先生は自己紹介が終わると、文字が彫ってある板を
「ふんっ」と拳で粉砕し、通常の授業を再開しました。
盧先生の主な専門科目は、
儒教の五経と呼ばれるものの一つである「礼」という
分野で、「礼」とは、挨拶、服装、冠婚葬祭、はたまた
軍の出陣の形式など、表立ったしきたりをまとめて
そう呼びます。
徳然は盧先生の授業を聞きながら、
必死で木の板にメモを刻んでいます。
劉備は授業が退屈過ぎて、
眠くて仕方がありませんでした。
となりの(公)孫さんは、大いびきをかいています。
「礼」の授業が一通り終わると、
盧先生は咳ばらいをしてから、
「漢書」を取り出し、授業を始めました。
すでにこの時代では、木の板より薄くて、
持ち運びが簡単な「紙」が発明されていたので、
情報をより多く集められるようになり、
儒教は、一人一科目専門の時代から、
他の科目も総合して修められる時代へと
移り変わっている時期でした。
盧先生が「漢書」の飛将軍「李広」の
列伝を読み始めた途端に
「ひゃあぁ、オラワクワクすっぞぉ」と、
今まで大いびきをかいていた(公)孫さんが、
むくっと起きて興奮しだしました。
攻め入る十倍の兵力を持つ騎馬民族を、
勇気と知恵を使って追い払った「李広」の話に、
劉備は思わず聞き入ってしまいました。
盧先生は戦の経験があるのか、その読み方には妙な
説得力がありました。
そうこうしている内に、授業が終わりました。
「オラ、李広みてえな強え奴になりてえ」
授業が終わってからも、(公)孫さんは、
少年の様にはしゃいでいます。
盧先生の草盧を出ると、(公)孫さんは口笛を吹き、
右手の人差し指と中指をそろえて立てて、
立てた指で口笛をふぃふぃふぃっ、ふいっと切りました。
すると、遥か彼方から一頭の白馬が(公)孫さんのもとへ
やって来ました。
(公)孫さんは「よっ」と白馬にまたがり、
「また明日な」と言って去って行きました。
帰り道、徳然が劉備に話します。
「凄い先生だったね。『礼』はしっかり勉強しないと
将来、官職に就いたときに恥をかくよなぁ」
「おっ、おう」
劉備は上の空で、
ある言葉を思い出していました。
「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」
飛将軍「李広」の話の最後に盧先生が言っていた言葉で、
桃や李の木は何も言わないが、その下には自ずと人が
集まって道(蹊)ができるという意味です。
「桃の木の下に人が集まる、か」
劉備は、なぜかその言葉がとても気に入りました。
次回に続く。
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