27.光和年間
宮廷の一室にて、書類の日付に
目をやる。
「光和に改元されて、もう六年か」
光和の元年に遠い親戚の不祥事
に連座して、俺は一度官を去った。
「曹操はどこじゃ」
帝は、歳の近い俺を大層気に
入っていたようで、俺が宮廷より
姿を消すと、そう言って大騒ぎし
ていたそうだ。
そんな帝の計らいにより、
俺はしばらくしてから再び宮廷の
職に就いた。
光和に改元されてすぐに、容姿
が優れている何氏が帝の正妻、
つまり皇后となったそうである。
光和はまさに、何氏の年と言え
るだろう。
光和には他にも、今まで尊重さ
れて来た、儒教以外の価値観であ
る、書や画などを育成する学校が
創られた。
容姿、書、画などの良し悪しは、
生まれた家柄なんぞに左右されず、
その才能によるところが大きい。
まじめに教えを守る儒者たちに
とって、それを評価する世の流れ
は少々不愉快であるだろう。
「左側、力が薄いよ。
何やってんのっ」
表で、誰かを怒鳴りつける声が
している。
「今日はやけに表が騒々しいな」
俺は毎日送られて来る報告書に
目を通し、政治を議論するという、
いわゆるまあ、文官の仕事をして
いる。
今も目の前にある報告書に目を
通していた。
「また南で反乱か」
北の異民族が帝国内へ侵攻して
人や食料を奪い、それを北の英雄
たちが成敗すると言うのはよくあ
る事だった。
しかしここの所、帝国内での
反乱の報告が目立つ。
「また孫堅か」
反乱平定の報告書の中に『孫堅』
と言う名を最近よく見るようにな
った。
「これも孫堅、これも孫堅」
報告書をめくる度に、彼の輝か
しい功績が嫌と言うほど目に入っ
てくる。
「元々、俺も武官志望なんだがな」
国の任命で文官をやっていると
は言え、武官として功績を上げら
れない自分に苛立つと共に、会っ
た事すらない孫堅に嫉妬する自分
がいた。
「ん、なんだこれは」
誰が忍ばせたのか、報告書の
中にそれ以外の物が紛れ込んで
いる。
それにはこう書かれていた。
”ちょっと人手が欲しいあなた、
玄の印の玄武鏢局”
「何でも屋の広告か」
そう呟いてから、広告の文を
最後まで読む。
”桃のしるしが目印です”
「玄と桃、どっちが目印だよ。
…この文を作った奴は阿呆だな」
まあ、なまじっか文が出来るお
かげで、俺は文官をやらされてい
るのだがな。
武官ではないが、腕っぷしを
生業としているこの広告主にも、
なんだか腹が立ってきた。
俺が一人で苛立つ中、先ほどま
で騒がしかった表の作業が終わっ
たらしく、大きな拍手が宮廷に鳴
り響いていた。
気になった俺は、何に拍手して
いるのか見物するため、庁舎から
表へ出て拍手のする方へ向かう。
宮廷の南、儒教の高等教育を
行っている太学の前に来てみると、
博士やその学生たちが大勢いた。
「なんだ、党人の奴らか」
以前あった儒教の徒との権力争
い以降、彼らの事を一部では
『党人』と呼ぶ。
その先頭には見覚えのある人物
がいた。
「キヘイセキケイ、大地に立つ」
彼は党人たちに向かって、力強
く演説を行っている。
その男の名は蔡邕と言い、俺の
同僚だ。
同僚と言っても、蔡邕さまの方
が、かなり年上である。
彼の後ろには、城郭ほどの高さ
の、巨大な建造物が立ち上がって
いた。
「始皇帝により失われし珠玉の言
葉たちよ、今ここによみがえらん」
蔡邕さまがそう言うと、建造物
に刻まれた七つの文字が光を放っ
た。
七人の博士が建造物の前に進み
出て、一人一人と刻まれた文字を
解説していく。
「未来を知る『易経』」
「孔子さまの導き『論語』」
「聖君主の記録『尚書』」
「平和への願い『春秋』」
「天下の統一を示す『公羊』」
「古の聖なる詩『魯詩』」
「挨拶は大事『儀礼』」
解説が終わると、学生たちから
再び大きな拍手が起こった。
「見せてもらおうか、帝国の
建造物の性能とやらを」
大きな拍手の中で、俺は周囲に
聞こえないよう、小さな声でそう
呟いた。
その時。
「キンブンワ、バクハツダッ」
建造物から、謎の大きな説得力
が一直線に北の方角へ発射された。
突然の出来事に周囲が啞然とす
る。
その威力は、古の言葉何個分に
相当するであろうか。
「あの建造物は雒陽並みの説得力
を持っているというのか」
俺はその威力を目の当たりにし、
思わずそう叫んでしまった。
「おおっ、そこにいるのは曹操か」
俺の声を聞いた蔡邕さまは、俺
が居るのに気が付いた。
「こんにちは。
太学の方がにぎやかでしたので、
思わずつられて来てしまいました」
同僚とはいえ、目上の蔡邕さま
に挨拶をする。
「素晴らしい。
貴公は『礼』をしっかりと体現
しておるな」
大儒の誉れ高い蔡邕さまに『礼』
を褒められたところで、俺はそびえ
立つ建造物について質問をした。
「あの七つの教えが刺さった、
でたらめなやつは何ですか」
蔡邕さまは、うんうんと頷くと、
そのでたらめなやつを指差し、
かなり興奮気味に言った。
「なんだこれは。
そう、それは儒教のかたち、
『キヘーセキケイ』である」
「えっ、そっちなん」
あまりに話がでたらめ過ぎて、
思わず目上の人への礼が雑になっ
てしまったようだ。
「何がそっちだ。
まあ、よい」
心の広い蔡邕さまは、そう言っ
てから一呼吸置き、年少の俺を諭
すよう、口を開いた。
「学を修める我らはともかく、
民の心を統一するためには、多く
を語るよりも、それをまとめた
”一つのかたち”を見せつける方が
早い」
俺はキヘーセキケイを見上げて
答える。
「それが、あれなのですね」
「それが、あれだ」
辺りを見ると、俺たちがそんな
会話をしているうちに、集まって
いた学生たちの大半はいつの間に
かこの場を去っていた。
強大な儒教のかたちを見せつけ
られた若者たちに、帝国の未来は
どう映ったのであろうか。
庁舎へと戻った俺は仕事を再開
した。
「キヘーセキケイは、平和の象徴
となるか、それとも」
報告書の続きを開く。
「太平道。何だこれは」
それは、近ごろ民間に広まって
いるらしい、ある信仰の報告で
あった。
次回に続く。
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