26.発動‼孫子の真言
かつて秦の始皇帝によって、
数々の言葉が葬られたと言う。
名将”孫武”の残した、その珠玉
の言葉たちも、その時に失われて
いた。
『兵とは詭道なり』
少年は無意識にその言葉を発す
ると、その体が神々しく光り、
得体の知れない説得力を宿してい
た。
「まさか、堅が”孫子の真言”を
発動させるとは」
少年の父親は、息子が発する力
を見て、喜びかつ、畏怖の思いを
抱いた。
互いに拮抗した戦力での消耗戦
では、持ちうる物資の量が勝敗の
鍵となる。
まあ要するに、
ここまで行われて来た売買合戦は、
孫家自慢の瓜が尽きるか、
賊の手持ちの金銀が尽きるか、
で勝敗が決まるのである。
だが、孫家の瓜はもうすでに、
全てお客様に提供済みであった。
「もうしわけ…」
堅の弟の静が敗北を認めてそう
言いかけた時、堅の脳内で雷の様
に、遥か遠くの記憶が走ったので
ある。
それが、二人の父親が言う所の
”孫子の真言”のようだ。
古代の得体の知れない言葉は、
人々の遺伝子の中を貫通するほど
に、呪文のような謎の説得力を宿
しているものだ。
「詭道の”詭”とは、その文字の示
す通り”いつわる”と言う事か」
そう父が理解し、叫んだ。
”瓜の在庫を生み出す”
その問題に直面した時、偉大な
るご先祖様の啓示が下ったのであ
ろう。
それを実行すべく堅は、背後に
ある密林を指差し、口元に笑顔を
浮かべ、そして、皆に見えるよう、
東から西へ大きく腕を振る舞った。
「何だと。
あんな所から在庫を出すつもりか」
かい賊の統領の顔に冷や汗が
噴出する。
「いや、おもいっきり『詭』って
言ってますよ」
賊の一味である、亡国の姫が
統領を諭した。
そんなことはお構いなしに、
堅は口角を上げて、その余裕を
見せながら腕を振る舞い続ける。
今や、説得力の塊となった堅の
挙動を、誰も疑うことは無かった。
笑顔の密林から底なしに仕入れ
られたものを買い取って、希少価
値の低くなったそれを赤い箱で売
る。
賊の統領は、その愚を頭の中で
瞬時に計算して答えを出した。
だが、何もない密林から品物が
出てくるはずは無い事くらい、
幾多の修羅場を経て来た彼には分
っていた。
「このままじゃ、俺たちの金銀が
尽きて、大損こいちまう」
「そうだっ、そうだぁ」
部下たちが、口々にそう言いな
がら、右往左往し始めた。
大衆とは、その真実よりも、
我が不利な情報のほうへ過剰に
反応するものである。
「今日のところは、あの小僧に花
を持たせてやるか」
その様子を見て引き際を察した
かい賊の統領は、そう言うと皆に
引き上げの合図を出した。
去り行く賊に堅が大喝一声して
啖呵を切る。
「古の道理こそが正義。
それを持たぬものは悪である」
賊の多くはその言葉に恐れなが
ら、我先にと川沿いに西へ走って
行ってしまった。
「あの少年、かい賊を追っ払っち
まった」
戦いの一部始終を見ていた市場
の店員や客が堅を賞賛する。
「でっ、その噂は呉郡中へと広ま
り、そこからお前の活躍が始まる
んだよな」
屋敷の一室で堅の活躍を楽しげ
に語っていた若い男が、そう言っ
てこの物語を締めた。
「まあ、賊の話は子源の嘘が
かなり混ざっているがな」
子源が語る物語をずっと聞いて
いた青年が注意をいれる。
「それにしても、文台があの
”孫子”の血を受け継いでいるとは
なぁ」
あれから数年がたち、堅は立派
に成人した。
「いやいや、酔っぱらって気が大
きくなった親父が言った戯言だよ」
文台はすこし顔をほころばせて、
自分の顔の前で手の平を振りなが
ら、軽く子源の言葉を否定した。
「まさに文台の言う通り、古い
言葉には正義が宿っていて、俺た
ち漢民族は、それを守る事によっ
て一つになっているからな」
子源はそう言いながら、頭を
小刻みにうなずかせる。
「そういえば」
文台が何かを思い出したかのよ
うに、話し出した。
「今、世間では”左氏春秋”などの
古の書とされるものが、再び広ま
り始めたようだな」
子源が答える。
「ああ、それを根拠に、お上への
反乱分子が増えているらしい」
子源が文台の言葉に答え、話を
続けた。
「それに対抗するため、お上の方
では何やら建造しているみたいだ
な」
文台が顎に手を当てて答えた。
「それが混乱の火種にならなけれ
ば良いが」
不安を予感する文台をみて、
子源が訊ねた。
「最近、賊鎮圧の出動回数が増え
ているそうだな」
「ああ、そうだな」
文台がそう答えると、子源は頭
を傾けてから、すぐに頭を上げて
文台に言った。
「まっ、そのお陰で俺の親父に
見いだされて、今では県令の副官
へと大出世したがな」
「子源、あんまり人の不幸を喜ぶ
もんじゃないよ。
多かれ少なかれ、人が傷ついて
いるんだから」
文台が、苦笑いをして目の前の
友人を諭した。
「それに俺の夢は、中華一の果物
商人だったんだからな」
そんな、友人同士の戯れのなか、
鎧兜を身に着けた男が慌ただしく
駆け込んできた。
「兄さん、県令から招集命令が出
ました」
「子源すまない、言ってるそばか
らこれだ。
分かった静、すぐに行く。」
文台はそう言うと、病床の子源
の父親に深く礼をして、静と共に
馬で屋敷を出た。
「あっ、お見舞いの富春の瓜を
使用人に渡しといたから、皆で食
べてくれ」
見送る子源に文台は振り返って
叫ぶ。
子源は、文台に笑顔で手を振っ
た。
場面は変わり、宮廷の一室。
漢帝国の各地から集められた、
博士たちがその歴史的な第一歩に
立ち会っていた。
「始皇帝により失われし言葉の
数々をここに復元し、その力を
集約する」
博士の一人がそう言うと、
目の前の巨大建造物が光を放った。
「キヘイ、セキケイ」
建造物から微かにそんな唸り声
が聞こえた。
次回に続く。
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