23.世界の全て⁉銭塘江の市
船はゆっくりと、大きな川を進
む。
大いなる黄河は中華を流れてい
たが、その南に流れる河川群は、
それよりも水を多く蓄えていた為、
大型船による物資の大量輸送を
可能としていた。
堅たち親子が待つ岸へ向かって
煌びやかに装飾された大きな船が
音楽を奏でながら近づいて来た。
堅が耳を傾ける。
「これは、太鼓の音だ」
鈍、鈍、鈍。
規則正しい太鼓の調子。
次に鈍と太鼓の鳴ると、その合
いの手に、麾威と、弦楽器を弓で
弾く音が入る。
堅たち親子は、鈍、麾威の方、
手を振った。
船は桟橋の方へ、ゆっくりと
近づいて来た。
「お父つぁん、長江船が桟橋の方
へ向かってますよ」
若い堅は、向かってくる大きな
船を眺め、心を躍らせる。
船の壁面には大きな鳥の絵画が
描かれていた。
大きな鳥は中華の考えに方よる
と、南の守護神を意味していた。
王莽によって半ば途絶えた
漢王朝。
それを再興した、光武帝”劉秀”
は南より興り、”赤伏符”と言う
予言書にしたがって王朝の火徳を
示した。
赤、火、鳥はすべて南を示す
記号である。
「あれっ、あそこいつの間に鈍麾
になったんだ」
「昔は違う店だったのに」
近くにいた二人組の役人は、船
を見てそう言うと、堅たち親子か
らもらった瓜の皮を地面に捨て、
その場を去った。
「じゃあな」
「無事に茶を分けてもらえるとい
いな」
堅の父は、家族で栽培した大量
の瓜を桟橋の方へ運び込む為、そ
れを乗せた荷台の持ち手に手をか
ける。
「荷を運ぶぞ」
「この量で、如何ほどの茶と交換
出来ますかね」
父が答える。
「長江船では、高級品である茶も
取り扱っていると言うからな」
堅は脳裏に、煎じた茶を楽しむ
おっ母さんの顔を思い浮かべなが
ら、父を助けて荷台を力いっぱい
に押した。
岸に着いた船が桟橋に板を掛け
橋を作り、そこを渡って様々な
商人たちが、市を開くべく長江船
から降りて来た。
桟橋の辺りには、すでに人が
沢山集まっており、市の設営を今
かと見守っている。
「お父つぁん、長江船から高貴そ
うな人が出てきましたよ」
堅たち親子の荷台が、人だかり
の近くへ到着すると、船から支配
人であろうか、派手に着飾った人
物がその姿を現し、
「いらっしゃいませ、いらっしゃ
いませ。
ここは世界の全てがそろう殿堂」
と、市の開催を述べる。
その声を皮切りとして、戦いは
當に始まった。
市へ集まった多くの人々が、
各々目当ての物を購入するため、
各売り場へ殺到する。
その姿はまるで、攻め寄せる
十万の大軍のよう。
「お父つぁん、人の波に押しつぶ
されそうです」
あまりの人の多さに、堅が悲鳴
を上げた。
その時、日の光の具合であろう
か、父に一瞬後光のようなものが
射して、言った。
「孫子曰く、市ある所に戦あり、
戦ある所に市あり。
ご先祖さまの言葉通り、ここは
戦場だ」
父は、孫家に古くから伝わる言
葉を引いて息子を励ますと、人混
みをかわしながら、瓜を乗せた車
を引いた。
ちなみに、一般的に広まってい
る孫子の兵法の言葉の数々は、
すでに散逸してしまった物を集め
たものであり、孫家にはその失わ
れた言葉が口伝にて伝えられてい
るのだとか。
父は時折、息子にそれらの言葉
を語っていた。
押し寄せる客を次から次へと
さばいて行く商人の姿は、若い堅
に一騎当千の猛将を彷彿とさせた。
「俺もいつかはあんな猛将を従え
るんだ」
北平の桃、零陵の茘枝、遼西の
林檎、そして呉の蜜柑。
堅は将来、家業の瓜だけでなく、
世界中の果物を取り扱う漢になる
野望を心に秘めていた。
「おぉぉい、お茶はどこですかぁ」
堅が市を見渡しながら、お茶を
商う商人を探して声を上げた。
その声に応えるように、真緑に
染まった服を着たどじょう髭の商
人が、こちらを見て手を挙げてい
る。
その前垂れには、商人の姓であ
ろうか、”伊”と大きく書かれてい
る。
「当園で栽培してるお茶、ここあ
るよ」
彼は外国、西域の者であろうか、
その言葉は少しぎこちない。
「お茶を飲めば元気いぱい。
疫病、男女、はたまた死にそう
な蒼い天、何でもぎぐよ」
少々大袈裟にお茶の効能を述べ
る商人のもとへ、堅たち親子は力
一杯に車を寄せた。
「お願いです、お茶を買いたいん
です。
お茶を売ってください」
湧き出る、そのはやる気持ちで、
堅は商人に声をかけた。
「お客さん、お茶の味を知ってる
か。
他、売ってるやつ、お茶じゃな
いよ」
商人はそう言うと、深緑の色を
した茶葉が入った容器を出して見
せた。
その蓋を開けると、大草原を思
わせる香りが辺りに広がる。
感動のあまり、堅が商人へ素直
に感想をのべた。
「俺が求めているのは本物のお茶
なんです」
「はあっ、本物のお茶なんですけ
ど」
食い気味に堅の言葉へ被せる様
に、商人が言葉を放つ。
「しゃべり方、変わってる」
「あっ」
一瞬、間を沈黙が襲った。
茶の道とは、時によってその心
を表す物であると言う。
この会話がまさに二人の心を表
していた。
それはともかく。
堅の父親が商人に尋ねた。
「こちらにわが家自慢の瓜が五百
個ほどあるが、これ全てで如何ほ
どの茶と交換してもらえるのだ」
網目のかかった緑色の瓜を見て、
商人は二度見をする。
「こっ、こんな気持ちの悪い網目
のかかった瓜では、この容器一つ
分くらいしか交換出来ないあるよ」
商人はそう言うと、瓜をちらち
ら見ながら、大きいお茶碗ほどの
茶葉が入った容器を、両手で差し
出して来た。
「分かった、それで手を打とう」
堅の父親がお茶の入った容器を
受け取ると、商人が瓜を一つ割っ
て試しに食した。
「甜っ。
いやいやこんな甘い瓜、ご飯のお
かずにならないね」
そう言いながら、使用人へ目配
せをすると、瓜が積んである台車
は裏へ運ばせた。
そうこうしているうちに、日は
すっかり落ちて、堅ら親子は自宅
のある富春への帰路へ着こうとし
ていた。
その時、東側から河沿いに大量
の蹄の音が鳴っていた。
次回に続く。
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