21.燃えよ‼阿超拳
冷たい風吹く北の大草原。
帝国騎士団は、かねてから準備
していた作戦によって、鮮卑族と
の戦を有利に進めていた。
騎士の攻撃を受け大地に横たわ
る剃り込み頭の勇者たちが、呻く
ように民族の霊歌を口にしている。
男は、それに応えるかのように、
一人で大軍の前に立ちはだかって
いた。
「おっ、お前は何者だ」
騎士団の指揮官である臧旻は、
突如として疾風のようにあらわれ
た黒の長袖の男へ名乗りを求めた。
男は臧旻の問いかけに答える代
わりに、顎を前に突き出してから、
手の指を上にして、二、三回手招
きをした。
帝国騎士団に、かかってこいと
挑発しているようだ。
蓮の姫君が白馬から飛び降り、
長い巻き髪をなびかせて、男に駆
け寄った。
「八百屋の師匠ぉ」
男は、目の前で手を組んで拱手
の礼をとる女性へ、訂正するよう
に言い放つ。
「八百八屍将ぉ」
八百八屍将と名乗った男は、
上着の襟を弾いて正すと、気を取
り直してもう一度、騎士たちに顎
を突き出した。
「はっ、八百八屍将だと」
その名を聞いた臧旻の顔から、
一気に血の気が引いて行く。
帝国騎士団の中でその名を知ら
ぬものはいなかった。
かつて、鮮卑族の一人の男が
八百八人の屍を積み上げた、
その伝説を。
彼の本当の名は”檀石槐”
ある日、彼の部族が襲撃され、
その財産はことごとく奪われて
しまった。
しかし、当時若干十四歳だった
彼にはすでに功夫の才能が開花し
ており、単身にて敵地へ乗り込ん
だ檀石槐は、その怒りの鉄拳で
略奪者へ血の復讐を行ったと言う。
臧旻は震えた右手で、目の前に
いる綺麗に切り揃えられた前髪の
男を指差した。
「やっ、奴こそ鮮卑の大人だ」
大人とは、北方騎馬民族の
支配者を意味する。
八百八屍将は、静かに上着を
脱ぎ、その鍛え引き締められた
筋肉を敵に見せつけた。
「すっげえ」
帝国の騎士たちから感嘆の声が
上がる。
彼らは今回の作戦の為に、体を
大きく太らされていたのである。
時に男子は、鍛えられた筋肉に
強い憧れを抱く。
騎士の数人は、膨れ上がった自
分の腹をつかみ、失意の念を抱い
て脱落していった。
「者ども、狼狽えるでない」
臧旻は騎士たちの鼓舞を試みる。
続けざまに八百八屍将は、腰に
差した短い棍を素早く取り出した。
「なっ、何だそれはっ」
臧旻が湧き上がる恐怖を飲み込
んで質問すると、彼は鎖で連環さ
れた二つの棍を、おのれの目の前
で横一文字に伸ばし、
「阿超ぉぉぉっ」
と、突然甲高い声を発し、
二つの棍を前後左右へと振り回し
始めた。
それはまるで、伝統的な舞踊を
舞うかの如く、棍が鍛えられた筋
肉の周りを舞う。
「かっ、格好いい」
影響された騎士の一部が、
急ごしらえの棍を振り回し、八百
八屍将の真似をし出した。
「いかん、罠だぁ」
臧旻の静止の声も空しく、
振り回した棍を当てて怪我をする
者が続出するばかりか、隣の者へ
ぶつけてしまい、謝罪に追われる
者まで現れ出した。
「あっちょぅぅぅ」
「あいたっ」
「すいません」
「あっちょぅぅぅ」
「あいたっ」
「すいません」
部隊はもう、大混乱である。
よく見ると、棍を練習している
者の中に、痩せた上半身を痣だら
けにしながら、熱心に練習する
初老の男がいた。
「かっ、夏育どのぉ」
そこにいたのは、鮮卑族討伐作
戦総司令官”夏育”その人であった。
寒空の中、鼻水をすすりながら
棍を振り回すその痛ましい姿に、
かつての満ちあふれた自信は微塵
もなかった。
「あちょぅぅぅ、あいたっ。
あちょぅぅぅ、あいたっ。
すいません、すいません」
なんと、討伐隊の本体はすでに
鮮卑族の手に落ちていたのだ。
「何というお姿に」
本体の援軍が望めない以上、
鮮卑族掃討作戦の成功率は著しく
低下した。
臧旻は、何とかこの最悪の事態
を回避するべく作戦を考える。
いや、こうなってしまっては
答えは一つしかなかったが、彼の
誇りがそれを否としていた。
だが、もうそんな事は言ってい
られないほど事態は切迫していた。
悲鳴を上げる騎士たち。
このままでは全滅は免れない。
「もはやこれまでか」
臧旻は意を決し、
馬から降りた。
「八百八屍将ぉぉぉっ、儂が相手
になってやる」
もう、大将同士の一騎打ちでし
かこの形勢をくつがえすことは出
来ない。
臧旻は、大地へ左右と豪快に
四股を踏んだ。
「弩守来ぉぉぉい」
四股を踏みながら、「ぱちん」と
両手を鳴らす。
臧旻も年老いたとはいえ、帝国
騎士の端くれ。
彼は大木を見つけて、日ごろの
稽古の成果を見せつける。
「弩守来ぉぉぉい」
大木へ張り手を浴びせるごとに、
それは大きく揺れた。
「弩守来ぉぉぉい」
その張り手、まるで
鋭い矛の如く。
その技には、騎士の綱とりを務
めるのにふさわしい、威厳のよう
な物が感じられた。
「弩守来ぉぉぉい」
臧旻に帝国の洗練された技を見
せつけられた八百八屍将は、蓮の
姫君に何か耳打ちをした。
漢語が話せる蓮の姫君は、腰に
左拳を添えながら臧旻を指差し、
八百八屍将の通訳として、少し
ものまねまじりの声色で言い
放った。
「棒っ切れは、反撃しない」
彼女がそう言いおわると、八百
八屍将は沢山の細い棒が突き出て
いる木の柱を用意させた。
臧旻の手が止まる。
彼はそれを見て驚愕した。
「なにぃ、柱から無数の棒が出て
いるだとぉ」
八百八屍将は”木人”と呼ばれる
木の柱へ向かい合うと「ぺちんぺ
ちん」と、もの凄い速さで両手を
使い、変幻自在に柱を打ち始めた。
「阿超っ、阿超っ」
小刻みな功夫の掛け声と、
「ぺちぺちぺち」と無数の棒へ
打撃を加える音が鳴り響いた。
「ぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺち」
帝国の騎士たちは、その見事な
攻防一体の功夫に見とれていた。
「阿っ超ぉぉぉっ」
大きく気合を叫びその手を止め
ると、八百八屍将は臧旻をちらっ
と見た。
「こんな棒っ切れ、
何でもないわぁっ」
臧旻は木人の前に立ち、左右に
四股を踏んでから大きく息を吸い
込む。
「弩守来ぉぉぉい」と、張り手技
を柱へ勢いよくぶちかますと、
木人は音を立てて真っ二つに折れ
てしまった。
「どうだっ、一撃だ」
臧旻は勝利を確信し、辺りを見
渡す。
「ああ、あっ、俺たちもやりた
かったのに折っちゃったよ」
騎士たちから、臧旻に幻滅の声
が上がった。
冷ややかな視線が臧旻へと向け
られる。
「何だ、この感じは」
どうやら彼の手間暇かけて完成
させた張り手技は、周りの支持を
得られなかったようである。
「こんなのまるで、空気の読めな
い人みたいじゃないか」
膝から崩れ落ちる臧旻。
すっかり戦意を失った臧旻へ
止めを刺すべく、八百八屍将が
体を震わせながら、悲痛の表情で
跳躍する。
「阿っ超ぉぉぉぉっ」
その瞬間は、遅く動いているよ
うに感じられた。
覚悟を決めた臧旻。
だが、その時、
「八卦良ぉぉぉい」
一人の騎士が叫びながら南東の
方角から白馬で駆けて来たと思い
きや、臧旻を軽々と片手で持ち上
げ、北西の方角へ離脱して行った。
臧旻は危機一髪、死地を脱した
のである。
戦場には、遠ざかって行く「八
卦良い」という声だけが残った。
次回へ続く。
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