2.王者の剣
「はっ、母上」
劉備に母と呼ばれた藁まみれの女性は、
非常に背が高く、とても整った顔立ちをしていました。
彼女は、もともと良家の出だったようで、
その歩き方には気品が漂っています。
「今年で齢十五、道を始めるには良い頃合いです。
あなたも一応勢家の端くれ、『儒教』を学び、
一廉の人物とおなりなさい」
母の言う「儒教」とは、「春秋」などの孔子さまの教えや、
古代の聖なる言葉をまとめたものをそう言います。
劉備たち親子は、藁で編んだ莚やわらじを売ってなんとか
生活しており、稼ぎを学資に回すような余裕なんてありません。
「高名な先生に師事するには、
それなりの学資が必要だと聞いております。
我々母子のような莚売りごときに」
恐れながらそう諫言しようとすると、母は食い気味に、
「なにを言っておる。学資は、嫁入りの際に実家より賜った
絹の着物と、先祖伝来の『王者の剣』を売ればよいこと」と、
言い放ちます。
絹は当時大変高価なもので、
中央アジアやローマ帝国への交易品としても輸出されて
いました。売れば相当な金銭が手に入るでしょう。
そんな事よりも、
一族の宝剣である「王者の剣」を手放すという言葉に、
劉備と徳然は思わず言葉を失ってしまいました。
一呼吸おいて、
「母上」「おば上」
劉備と徳然が同時に言葉を出しました。
「ご先祖さまは、この世を乱す悪が現れた時、
大いに揮いなさいとこの剣を我が家に残されました。
これこそ皇族の子孫であることを証明するものです、
それを手放すなどと」劉備がそう言い終わると、
母は体を震わせています
「んだまらっしゃい」
母の大喝一声が飛んで来ました。
同時に母の身体中の藁がパラパラと落ちました。
母が続けてピシャリと言い放ちます。
「物の道理を理解せずに剣を揮わば、
それは意志なく戦う犬畜生と変わりません。
ふさわしくないものが皇族を騙ったところで
必ず滅ぼされるでしょう」
そして劉備を指差し、
「剣なぞは学びを修めた後に
手に入れればよろしい」と説きました。
劉備たちは言葉が返せませんでした。
しかし、一族の宝剣を手放すとなると一大事です。
徳然が少し思案して恐る恐る口を開きました。
「おば上、剣は僕の家へ頂くと言う形でいかがでしょう。
そうすれば僕の父上も剣の見返りに学資を肩代わりして
くれるでしょうし、宝剣を我ら一族の外へ手放す事にも
ならないかと」
徳然がそう言うと、劉備は顔を引きつらせ彼をにらみつけ
ました。
徳然は苦笑いをしています。
徳然の提案に劉備の母はうなずき、顎に指を添えます。
「元起さんにねぇ」
結局、劉備は徳然と一緒に「礼」の凄い先生の所へ
行くことになりました。
徳然の父親は、思いがけず宝剣が手に入ることになって
ニコニコ顔でしたが、奥さんは不満顔でした。
「それぞれ別に一家を構えているのに、
どうしてそんな事をなさるのですか」となじる奥さんに、
「われらの一族の中にあの子がいて、
あの子はなみの人間ではないからだ」
と、徳然の父は鞘から抜いた宝剣の美しい刃を眺めながら
答えました。
「まあ、従兄の事もあるからな」と、
彼は劉備の亡き父の事を偲びました。
足取り軽やかな徳然に比べて、
劉備はトボトボとその後を付いていきます。
お屋敷の門を出た所で、人の声がしました。
「あっ、いたぞ」
広場から追ってきた男たちが劉備を指差しました。
劉備が「あっ」と言って逃げようとすると、
お屋敷の門から大きな影が飛び出して来ました。
劉備の母でした。
「お主らは何ものじゃ」
母が男たちにたずねると、中の一人が
「引っ込んでろ婆」と罵ります。
その言葉が放たれた瞬間、
劉備の母は、まばたきする間に身を躍らせ、
その長身から放たれる電光石火の平手打ちで
男を張り倒しました。
「ここを長沙定王の系譜を継ぐ、
臨邑侯が末裔の屋敷と知っての狼藉か」と、
母が啖呵を切ります。
「はぁ、誰だよそれ、知らねえよ」
男たちが声を振り絞って言い返すと、
「このわからずやめらが」
と、劉備の母が手を上げました。
その迫力のあまり
「きっ、今日のところはこれで勘弁してやる」
と捨て台詞を言いながら男たちは逃げて行きました。
「莚売りをナメんじゃないよ、クソが」
と、母は懐に持っていた小さい茶壺を、
男たちが逃げて行く方へ雑に投げつけました。
母は振り返って、
「劉備よ『儒教』を修めなさい」と二人を見送りました。
「そもそも、俺が儒教って。しかも『礼』を習うなんて、ありえねえ」
劉備がボヤくと、
「僕たちも君の親父さんのやお祖父様のように
官職に就いて国に尽くさねばね」
そう話す徳然の目は輝いていました。
そんな事を話しながら歩いて行くと、村の外れに
草廬がありました。
二人は草盧をそっとのぞくと、
そこにはすでに沢山の生徒たちがいました。
建物の奥にある教卓にはヒゲの大男が座っています。
「あれは学者って言うより豪傑だな」
劉備が徳然に小声でそう言うと、
教卓の大男がこちらに気づきました。
大男は、いきなり立ち上がって大声で、
「どうも、こんにちは」と、頭が地面に付くくらい
お辞儀をしながら挨拶をしました。
生徒たちも劉備たちに注目します。
「確かに、すっげえ『礼』だ」
二人は思わず腰を抜かしてしまいました。
次回に続く。
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