18.黄土被覆
「何なんですか、あなたたちは」
頭に黄色い布を巻きつけた男が
もの凄い顔つきで、まくし立てる。
「いやいや、こっちが聞きたいわ」
俺は疲れもあってか、目の前に
立つ男に半分呆れた口調で返した。
「僕の名は波才。黄帝さまの名の
もと、医術を修学する者だ」
男は自信満々に答えた。
「ほほう、それで黄色の」
黄帝さまとは、この国で初めて
医学書を書き記した人物で、だい
たいの医学書には”黄帝”の名前が
冠されている。
「では、こちらも名乗らなければ
無礼だな」
俺は緑色の仮面を外し、自分の
名を、
男の後ろ側にあった岩の塔が、
光と共に崩れ去った。
「だからぁ、壊すなってぇ」
俺に同行している曹洪が、退屈
まぎれに右手を発光させて岩を崩
してしまったようだ。
彼は悪びれる様子もなく、と言
うか、顔が見えない兜を被ってい
るので、そもそも今の表情がわか
らない。
「これは、そんなに大切なものな
のか」
二つ目の岩の塔を壊され、半分
泣きそうな波才くんに俺は尋ねた。
「だぁめだぁよぉ、人が壊すなっ
て言ってる物壊しちゃあ」
波才くんは顔を引きつらせて
地団駄を踏んでいる。
「この岩が道中現れてから、ここ
三日間くらい同じ道を歩いてる気
がするのでな」
「そっ、それは気のせいですよ。
ここは普通の潁川郡ですよぉ」
と言うと、彼は俺から目をそら
した。
「今なんと言った、潁川郡だとぉ、
沛国とは正反対ではないか」
沛国という言葉を聞いた波才が
先ほどの涙目の表情から打って変
わって、体を震わせて笑い出した。
「いやあ、さすがに我らが石兵で
も、豫州全ては惑わせられません
よ」
「なにっ、石兵とな」
波才が思わずこぼした”石兵”と
いう言葉を、俺は聞き逃さなかっ
た。
そうこう言っている間に、また
一つ、岩の塔が崩れる音が聞こえ
た。
「なんだお前っ、さっきから無言
で石兵壊してぇ、面みせろやぁ」
波才が顔を真っ赤にして、防護
服二号を身に纏った曹洪に突っか
かった。
波才が唾を飛ばしながら曹洪に
怒鳴り散らしていると、どこから
か声が聞こえて来た。
「波才せんせぇい」
石兵を崩したせいなのか、うっ
すらと、人が住む集落の様なもの
が現れ、そちらの方向から少年が
こちらへと駆けて来た。
「妹が歩いたよぉ」
「そうかぁ、歩いたかぁ」
先ほどまで鬼の形相だった波才
の顔が、柔らかな表情になった。
泣いたり笑ったり、全く忙しい
奴だ。
「波才先生たちのおかげだよ」
「いやいや、これは医学を修学す
る者としての使命だ」
少年は先生”たち”と、言った。
規模はわからないが、波才のよ
うな医学に詳しい者たちの集団が
あるのだろう。
「この子の妹は、我々の助けがも
う少し遅ければ、今こうして歩い
ていなかったでしょう」
波才が、少年の頭をなでて俺に
そう話した。
またまた岩の崩れる音がした。
一体、岩の塔はいくつ積んであ
るのだろう。
「くらぁぁぁ」
波才がまたまた激怒した。
何なんだ、この流れは。
「おまえ、既に死す、私、まさに
立つべし」
波才が呪詛のような言葉を発し
曹洪に攻め寄る。
「こっ、ここは潁川だと言ったな。
ありがとう、なんとか帰れそうだ」
このままでは、暇を持て余した
曹洪がすべてを壊しかねない。
進む方向がわかった俺は、曹洪
を引っ張って、この場から去る事
にした。
「おじさんたち、気をつけてね」
少年がこちらへ礼をしている。
その身なりから、おそらく農民
の子供であろう。
それにしては、しっかりとした
礼である。
あの集落には、波才の教育が行
き届いていおり、波才もまた、
俺たちのように儒教を修めたもの
なのであろう。
しかし、医学は新たな発見によ
り日々更新していく学問であるの
に、それを学ぶものが、古のしき
たりを学ぶ儒教を修めているのは、
滑稽な話である。
儒教と黄帝さまの黄色。
まるで漢帝国を一時乗っ取った
”王莽”のようだ。
王莽の一派は、こう主張したそ
うだ。
「より古いものが真実である」
彼らが国を乗っ取る根拠として
掲げたのは、古文学と言われる太
古の学問で、書かれた時期が孔子
さまの在世されていた時代に近い
経典の方が、新しく書かれた物よ
りも孔子さまの肉声に近いはずで
あると言うものだ。
例えば、同じ”春秋経”でも、
”左氏春秋”のほうが”公羊春秋”よ
り古いので、左氏のほうが正しい
と言う事になる。
ちなみに頭についている左氏と
か公羊とかは、人の名前だ。
王莽は古文学を用いて、皇帝で
ある劉氏より帝位を奪い、帝位を
継いだ証として黄色い旗を掲げた。
まあ王莽は、赤色の御旗を掲げ
た英雄”光武帝”さまと”二十八人の
家来”たちによって偽皇帝として倒
されたのだが、それはこの国のも
のなら、子供でも知っている英雄
神話である。
そんな格好良い光武帝さまたち
"劉氏"の神話を心のなかに秘め、
この国の民は”漢の民族”として
まとまっている。
そんな事を考えながら、俺は
旅の途中、蒼天の屋根の下で
寝そべりながら目を閉じ、曹洪
に質問を投げかけた。
「あの子供は、波才たちのもとで
正しく大人になって行くのだろう
か」
返事がない、彼には興味のない
話しだったようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・
「すまない。
よく来てくれたな」
床に伏した白髪の男が、ひどく
せき込みながらひとりの客人を
迎えた。
筋骨隆々、きれいに日焼けした
その客人は、頭に赤色の頭巾を巻
いている。
「臧使匈奴中郎将さま、御身体の
調子はいかがでしょうか」
「よしてくれ。
私はもうただの平民だ」
褐色の客人に、臧と呼ばれた男
は卑下の言葉で返答した。
「あの時我々は、”八百八屍将”に
負けたのだ」
臧は静かに語り出した。
次回に続く。
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