16.逃亡危機
「俺の左目に封印されし力よ、
今こそ解放の時だ」
夏侯家の元譲が左目の眼帯を外し、
追手を振り切る為、馬車の操縦に
全力を注いでいる。
眼帯を外したくらいで馬車の速度は
上がらないのだが、両目で見ることに
よって片目の時より視界が広がり、
運転の安全性は上がったであろう。
牢へ収容された妙才を脱獄させに
向かう途中で、なぜか彼を保護した
俺たちは、その時点から逃亡者と
なった。
追手に顔を見られないよう隠す為、
とっさに仮面を被ったが、悪臭を放つ
その緑の仮面に俺は意識を奪われよう
としている。
意識が朦朧とする中、俺を呼ぶ声が
聞こえた。
「孟徳さぁん」
声の主が俺たちに近づくにつれ、
その声が次第に大きくなってきた。
「あれは、仁くんか」
仁くんは俺の従弟で、彼もまた深い
緑色の仮面を被り、つむじ風のような
速さの白馬を駆って、こちらへと
向かっていた。
助っ人がこちらへ向かっているのは
分かったのだが、一つ問題があった。
それは、大きな声で俺の字を呼んで
いる事である。
せっかく悪臭を堪え仮面を被って
いるのに、これではすべてが台無しだ。
「なっ、名前を」
俺は悪臭に耐えながら、名前を
叫ぶのをやめさせようとした。
「どうした、孟徳」
義兄弟の幼陽が大声で聞き返す。
こいつは、わざとやっているのか。
それはともかく、
俺は手負いの妙才を一刻も早く
安全な所で手当てを受けさせられる
よう、この場を脱する方法を急いで
考えた。
「幼陽、馬車から飛び降りるぞ」
「なるほど、馬車を少しでも軽く
するんだな」
幼陽は俺の考えをすぐに察して
くれた様だ。
「飛び降りた後は、仁くんがどちらか
を拾ってくれるだろう」
そうこう言っている内に、追手と
俺たちが乗る馬車の距離が縮まって
いた。
仁くんに拾われなかった時の事を
考えている余地は無い。
「蒼天さま、ご加護を」
そう叫びながら、俺たちは馬車から
飛び降りた。
「孟徳が飛び降りた。逮捕しろ」
追手の指揮官が部下に指示を出す。
「えっ、俺ぇ」
皆が俺の名を叫ぶので、追われる
対象が妙才から俺へとすり替わって
しまった様だ。
俺は自分が追われていると知り、
条件反射的に走り出してしまった。
だが、それがまずかったようだ。
後ろから猛追していた仁くんが
拾って行ったのは、幼陽の方だった
のである。
「あっ」
仁くんの白馬が走り去って行く。
俺は一人ここへ取り残されて
しまった。
追手が迫り、俺は捕らえられようと
している。
そもそも、妙才は俺の代わりとして
牢に入っていてくれたのだ。
今度は妙才の為に牢へと入ろう。
俺は、覚悟を決めた。
だがその時、幼陽が大声で叫んだ。
「曹孟徳は俺だ」
それを聞いた追手たちは、
「曹孟徳があっちへ行ったぞ」
と、妙才を乗せた馬車と仁くんを
追って行ってしまった。
幼陽が機転を利かせてくれた
おかげで助かったのである。
ただあいつは、ご丁寧に曹孟徳と
姓名で言いやがった。
これでは、どこの孟徳さんか
丸わかりではないか。
「ありがとう幼陽。後で必ずしばく」
幼陽をどう成敗するかはさておき。
俺は、今のうちにこの場から徒歩で
動く事にした。
南へ向かって暫く進んで行くと、
遠くの方から地鳴りが聞こえて来た。
新たな追手の蹄音である。
俺が今歩いている兗州や、俺たち
曹家が居を構える豫州などの地域を
中原(中国)と呼ぶ。
原の文字が示す通り、農業に適した
平原が広がっており、俺たち漢帝国の
民は、儒教が理想とする周王朝の時代、
いや、それ以前から、この地で食料を
得て国の力として来た。
まあ、何が言いたいかと言うと、
周りに隠れる場所が無いと言う事だ。
こちらが徒歩に対して、あちらは馬
を使っているので、追いつかれるのに
そう時間はかからなかった。
「あれは、曹孟徳だ」
指揮官の声であろうか、俺の名が
聞こえた。
一難去ってまた一難。
「仕方がない」
俺は剣の柄に手をかけた。
だが、騎士たちは弓を装備している。
護身用の剣でどこまで抵抗できるか。
騎士たちが俺との距離を
詰めようとした。
騎士が弓を張り詰める。
まさに張り詰めた空気である。
そんな中、地鳴りが大きくなって
きた。
ちょっと待て。
騎士は、ほぼ歩みを止めている。
先ほどから感じていた地鳴りは
騎士の物では無かったようだ。
俺は振り返って、地鳴りの主を
見極めようとした。
全身鉄の塊を纏った様な出で立ち
のそれは、地鳴りをさせながら
いつの間にか、かなりの距離まで
接近していた。
「あれは、曹洪か」
「曹孟徳」
騎士の一人が俺の名を叫んだ。
その叫びを防ぐ様に、曹洪が間へ
割って入った。
「従兄、防護服第二号が完成した」
曹洪も顔全体を覆う仮面を被って
いたが、その出で立ちは一度曹鼎さまの
お屋敷にて見ていたので、直ぐに彼だと
わかった。
「おおっ、助けに来てくれたのか」
「従兄、防護服第二号が完成した」
曹洪が先ほどの言葉を復唱する。
「ところで、仮面をしているのに、
なぜ俺だとわかった」
「従兄、防護服第二号が完成した」
どうやら曹洪は防護服が完成した
事にしか興味を示していない様だ。
この場の全員、被り物によって顔が
隠れているという異様な空間で、
俺たちのやり取りを見て、騎士の
一人がこっそりと笑っていた。
次回に続く。
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