15.妙才救出
収監されている妙才を救い出すため、
俺たち三人は沛国を出て北の兗州へと
馬車を疾駆させた。
馭者として手綱を握る者が、俺たちに
語り出す。
「族弟妙才の命は風前の灯。
俺の左目がそう言っている」
沛国にて仲間を集めた際に、唯一快諾
してくれたのがこの男”元譲”であった。
夏侯家の者である彼は、名を”惇”と
言い、妙才の族兄にあたる。
左目がどうのこうの言っているが、
その左目には、彼お手製の眼帯が装着
されている為、隠されている。
彼の先祖は、伝説の運転手と呼ばれて
おり、彼はその伝説的な能力を受け
継いでいると思い込んでいるようだ。
俺たちは、たっての申し出により、
元譲に馬車の手綱を握らせ、その命を
預ける事となった。
「お前なぁ、馬車運転してる時くらい
眼帯取れよぉ」
幼陽が元譲に軽く苦情交じりの
注意をした。
「馬鹿野郎、これから牢破りだってぇ
のに、顔を隠さんでどうする」
元譲の言い分はもっともだが、
その髑髏があしらわれた眼帯は、
顔を隠すために着けられているという
驚愕の事実を、
俺は、今知った。
「左目以外まる出しの奴に言われても
なぁ」
ぼやく幼陽に、元譲が答える。
「俺が読んだ書物では、怪盗は片目を
隠して正体を見破られ無いのが相場だと
決まっている」
彼は元々儒教の徒だが、
どのような書物を読んだのであろう。
「元譲の身なりはともかく、俺たちも
顔を隠さねばならんな」
俺はそう言うと、以前、北部尉(警察
署長)だった頃、部下に造ってもらった
仮面の試作品を取り出した。
「なんだこりゃ、真っ赤だな」
「漢帝国の徳を表す赤色だ」
仮面と言うより兜に近いこの被り物は、
法の番人である”尉”への恐怖心を印象
付ける為に造らせたが、やはり俺自身の
顔が見えた方が良いとの事で、お蔵入り
になった代物だ。
「お前の分もあるぞ」
幼陽に俺のと色違いの仮面を渡す。
「なんだ、今度は真緑だな。
臭っ、何だこの匂い。臭っ」
「緑の発色がなかなか上手くいかなくて、
色々と混ぜていたらそうなってしまった
そうだ」
俺がそう言うと、幼陽はとりあえず
一度仮面を被ってみた。
「無理っ、鼻がおかしくなる」
幼陽が凄い顔をして緑の仮面を
脱ぎ捨てる。
脱ぎ捨てられた緑の仮面から
悪臭がただよっていた。
袋へ入っているときには何も思わな
かったが、一度意識してしまうと
気になってしまうものだ。
「孟徳、赤のやつと換えてくれよぉ」
「これは俺が一度被ってるやつだから
駄目だ。
俺にそんな趣味は無い」
俺が拒否すると、幼陽が執拗に懇願
してきた。
「いいじゃねぇかよぉ、俺たち義理の
兄弟じゃんかよぉ」
確かに俺の嫁は幼陽の実の姉妹で
あるが、それとこれとは話が別だ。
幼陽が俺から無理矢理赤色の仮面を
奪おうとする。
「だから駄目だって」
「いいじゃねぇかよぉ」
俺たちが仮面の奪い合いを始めた
ので、馬車が揺れた。
「お前ら、静かにしろ」
元譲が注意する。
それでも俺たちは奪い合いを止めな
かった。
「換えてくれよぉ」
「こぉとぉわぁるぅ」
揺れ続ける馬車。
元譲の苛立ちが蓄積されて行く。
しばらく奪い合いを続けていると、
手綱を握っている元譲がこちらへと
振り返り、俺たちに大喝一声しよう
とした。
「お前らいい加減にし」
その時、何かが馬車にぶつかった
音がした。
元譲は、眼帯によって片目が隠れて
いるので、振り返った時に前方が見えて
いなかったようだ。
「今、人を轢いたんじゃないか」
「わき見運転は駄目だってぇ」
「いやいや、お前らのせいだろうが」
元譲は馬車を止めて、地面に
横たわっている人物に声をかけながら
近寄った。
「おおい、大丈夫か」
元譲が人物を抱き起こし、その顔を
見て大声で叫んだ。
「妙才ぃ」
今しがた馬車で轢いたのは、
俺たちが救出に向かっていた夏侯妙才
その人であった。
「はああっ、妙才。嘘だろ」
俺たちも夏侯家の二人に駆け寄る。
「お前ら、一体どれだけ待たせる
つもりだ。おせえよ」
妙才が虫の息で俺たちを罵倒する。
「ええっ、どうやって逃げてきた」
俺は虫の息の妙才に尋ねた。
「仮面の男が現れて、俺を逃がした」
「俺たち以外にも仮面の者がいたのか」
虫の息の妙才を抱えて、馬車へ歩い
ていると、向こうの方から声がした。
「居たぞ、脱獄囚だ」
妙才を探していた追手がこちらを見て
声を上げた。
北部尉の頃だったら、褒めてやりたい
働きぶりだ。
「とりあえず逃げるぞ」
虫の息の妙才を馬車へ放り込んで、
「はいやっ」と元譲が馬車を走らせる。
俺は顔を追手に見られないよう
隠さねばと仮面を探したが、そこには
緑色の仮面しか残っていなかった。
「悪いな、孟徳」
赤の仮面をすでに装着した幼陽が
目の前にいた。
「なっ、幼陽」
仕方なく緑色の仮面を被る。
「うぐっ、何だこの悪臭は。
気が遠くなる」
元譲は自分に受け継がれた伝説の力を
信じ、輓馬(馬車を引く馬)の力を最大限
に引き出そうとした。
「俺の左目よ、今こそその力を
開放する時だぁ」
元譲が左目の眼帯を外した。
だが、人を四人乗せた馬車がそんなに
都合よく速くなることは無い。
「あちらは軽騎、こちらが圧倒的に
不利だ」
俺は仮面の悪臭によって遠のいていく
意識の中、この状況を打破する作戦を
急いで考えた。
「駄目だ、思考が集中できん」
絶体絶命の危機。
その時。
「孟徳さぁん」
遠くの方から、俺を呼ぶ声がした。
次回に続く。
「面白かったらブックマーク、
広告の下にある評価をよろしくお願いします!」