10.曹北部尉
「あっ、お待ちしておりました曹孟徳さま。
私、桃と申します」
女官の案内で、俺は尉(所長)の席へ至った。
詰め所の中は静まり返り、役人たちは就任の
挨拶を待っている。
宮廷勤めの時は、光禄勲(宮廷警護隊長)の
下っ端だったが、ここでは俺が一番偉い。
さあて、部下に舐められない様、
しょっぱなの挨拶でもかましますか。
俺は出来る限りドスの利いた声で声を出した。
「おでは(俺は)、ぜぇいばぞう(姓は曹)
だぼ、どぉう(名を、操)、ばぁざばぼぉ(字を)
、、、ゲホッゲホッ」
桃が口を隠して震えている。
こいつ、笑っているな。
このままではまずい。
「ばぁざばぼぉ(字を)、ぼうどぐぅ(孟徳)、、、
ヴェホッ」
駄目だ。普通の声で喋ろう。
「ふょ(よ)ろしくな」
しまった。
声が裏返って高い声になってしまった。
「ぷぅぅぅ、くすくすくす」
笑いを我慢していた桃が、耐えきれず
決壊してしまった。
「ごめんなさい。
乱世の奸雄って伺っておりまして、
どんな怖い御方が就任されるのかと、
皆で恐れておりましたので。ふふっ」
しまった、皆すでに恐れていたのか。
普通に挨拶すればよかった。
「こんな楽しい方が北部尉だなんて、
お仕え甲斐があります」
桃が涙を流して、腹を押さえている。
作戦通り、部下の好感を得たようだ。
ならばよし。
挨拶が済んだので、
早速公務に取り掛かるとしよう。
市中見回りの為、公務用の馬車が
置いてある厩舎へと向かう。
厩舎には帽子を被った役人が
弦楽器をかき鳴らしていた。
「アモーレッ」
帽子の男は外国語の歌を歌い終えると、
俺に自己紹介をした。
「俺の名は、青。御者(操縦士)だ」
青と名乗った男はそう言うと、深々とかぶった
帽子の幅広いつばをくいっと人差し指で上げ、
白い歯を見せた。
なんて気障な奴だ。
「これが俺の馬吏雄牛だ」
公務用の馬車には、どでかい獣の頭が装飾
されていた。
「いやいや、そもそも君のじゃないよね」
「さあて、見廻りと参りますか」
俺の突っ込みはガン無視され、
馬車の後方、一段高くなった席に座らされた。
「俺が発進の掛け声をかけた後に、
続けてゴッゴゥと掛け声よろしく」
手綱を握った青は、
片目をつぶって白い歯をみせた。
「バリブルーン発進。GO」
えっ、これは何の儀式だ。
こんなの、どの経書にも載ってないぞ。
俺がもたついていると、
青が両手の手のひらを上に向け、肩をすくめた。
こいつ、その自慢の歯をへし折ってやろうか。
「そいじゃあ、もう一回いくとしますか」
青は両拳を前に突き出し、
再び掛け声をかけた。
「バリブルーン発進。GO」
「ゴッゴゥ」
俺も消えてしまいそうな声で、掛け声に続く。
ようやく公用車が発進した。
晴れた日の昼間。
くそほど目立つ公用車で市中を巡回。
さすがは雒陽だ、道が綺麗に整備されている。
雒陽の北には邙山があり、
そこには皇帝さまの陵墓が点在する。
それらに護られているかのように、
都の北部には武器庫や穀倉が配置されている。
これらは反乱分子による国家転覆事業に
即利用が可能な為、慎重な見廻りを必要とされる。
俺の巡回時間は大体決まっており、
夜間などは他の者が見廻ることになっている。
初日の見廻りは何事もなく、順調に終わった。
ならばよし。
「こんなまっ昼間から堂々と悪いことする奴なんて
いるのか」
「おぉい、この書類ば署名のほうお願いしますばい」
俺のそんな疑問をかき消すかのように、
向こうの方から坊主頭で荊州なまりの男が
大量の書類を抱えて走ってきた。
「おいどんの名は黄、荊州男児ですばい」
黄は先ほど飯を食ったのか、
香辛料の匂いがする。
「刑罰執行の署名をお願いしますばい」
書類には違反者の名とその護送先が
書かれていた。
裁きはすでに済んでおり、
これに俺が名を書けば、違反者への刑罰が
執行されるらしい。
実に重要かつ簡単な仕事だ。
一通り署名を終え、俺は筆を置いた。
「お疲れ様でしたばい」
黄は書類を持ってどこかへ行ってしまった。
一日の仕事はこのような流れのようだ。
「おいどんは阿蘇山、
怒ればでっかい噴火山たいぃぃぃ」
「うわっ」
突然、別室から大きな声が鳴り響き、
俺は声を出して驚いてしまった。
誰も見ていなかったであろうな。
どうやら黄が書類の内容に沿って刑罰を
執行しているようだ。
「ぎゃぁぁぁ」
時折「ドカン」という衝撃音と
「パリィィン」と何かが割れる音も聞こえてくる。
俺が名を書けば、違反者への刑罰が
執行されるらしい。
ならばよし。
・・・・・。
何事もない昼間の見廻り、
書類への簡単な署名作業。
そして、素晴らしい仲間たち。
充実した日々は過ぎていった。
ならばよ・・・、
つまらん。
なんだこれは。
軽作業、楽しい仲間のいる職場ですってか。
こんな仕事をやってる奴が出世して
要職に就くからこの国はダメになるんだ。
「おいっ、桃っ」
「はいっ。曹北部尉、お呼びで」
俺の呼びかけで、桃が走って来た。
「確か君は武器管理担当だったな」
「古今東西、
武器の事ならお任せあれ」
太ももを露出した隊服の桃が
胸の前で手を組んで礼をした。
「早急にこういうものを用意してくれ」
俺は桃に、ある物の手配を指示した。
桃は右手の親指と人差し指で輪っかをつくり
俺に見せた。
次回に続く。
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