1.楼桑の村
丞相さまが遺された書にて曰く。
むかしむかし、
孔子さまと言う偉い先生が国の平和を願って
「春秋」という本を書き記し、
未来へと残しました。
しかし、その願いは破られ、
自ら王を名乗る者たちによって国は七つに分裂し、
世は国と国とが争い合う戦国時代へと突入してしまいます。
孔子さまの本は焼かれ、
数々の聖なる教えは失われて行きました。
混乱の中、なんとか生き残った学者たちは、
本をひとつずつ、秘密裏に語り継いで行きます。
そして孔子さまは、もし国の平和が乱されても、
いつか「真の王者」が現れて正統な王位を継ぐであろうと予言し、その事を「春秋」最後の記事に隠していました。
「真の王位を継ぐのは劉の姓」であると。
数多の激しい戦の末、「漢の国」が乱れた世を治め、その王である劉氏は、神話の時代から続く正統を受け継ぎ「漢帝国」の「皇帝」に即位しました。
それから約四百年の刻が過ぎ、
「春秋」の加護は徐々に弱まりつつありました・・・。
「孔子さまの教えを悪用する偽皇帝、
俺が成敗してやる」
「孔子さまの教えを悪用する偽皇帝、
俺が成敗してやる」
木の枝を持った子供たちが、斬り合いのまねをして元気よく走り回っています。
ここは、時の皇帝さまが住まわれる「雒陽」より遠く北へ離れた端っこの地。
そこにひとつの村がありました。
村の大人たちは広場で、それぞれ自慢の番犬同士を闘わせて、賭け事をしていました。
そこからは、歓声、怒鳴り声、泣き声、笑い声と、様々な声が聞こえてきます。
遠くの土地から馬を買い付けに来た商人の集団も広場に来ていました。
彼らは国境付近で遊牧をして暮らしている人たちと商談をしているようです。
そんな様々な人々がにぎわう広場の片すみでは、青年たちが屯して、何やらヒソヒソ話しをしています。
「いいか、この丸がワンちゃんな」
一人の青年が、木の枝で地面に大小二つの丸を描いて言いました。
「ちっこいワンちゃんの時は、中型犬に賭ける。
ワンワン」
と、彼は犬の鳴きマネをすると、小さい方の丸をジグザグと消しこみ、大きい丸の横にそれよりも大きな丸を描きました。
「中型犬の時は、覇王級のワンちゃん。
ヴヴゥゥッ」
今度は犬の唸り声のマネをすると、一番大きい丸だけを残して、今度はその横に同じくらいの大きさの丸を描きました。
青年は、話に注目する仲間たちの顔をサッと横に覗いてから、「覇王級同士だったら賭けない」と言うと、持っていた木の枝を空へ向けて上にポイッと捨て、「これで百戦危うからずだ」と言いながら、顔の横から垂れ下がった大きな耳たぶを指で大袈裟に弾きました。
「ってな感じで、秘密の必勝法だって言って、村のおっさんたちから、お勉強代をせしめてきたぜ」
大耳の青年は悪い笑みを浮かべながら、懐から銅銭を取り出して仲間たちに配りました。
「兄貴も役者だねぇ」
大耳の青年の仲間たちが、ニヤニヤ笑いながら手を出して銅銭を受け取ります。
仲間の一人がつぶやきました。
「ちっこいワンちゃんが勝ったりして」
その時、広場の方で大きな歓声が・・・。
「結局、賭け事なんて運頼みだよな」
「蒼天さま、孔子さま、今日はお願いしますよぉ」
大耳の青年たちはそんな事を言いながら、大人たちからせしめた銅銭を持って一儲け広場へ賭けに行こうとすると、そちらの方から誰かが、大人数人を引き連れてやって来ました。
その男は、大耳の青年を見て立ち止まります。
「見つけたぞぉっ」
大耳の青年を指差して中年の男が何やら怒っています。
「お前の言う通りに賭けたら大損しちまったじゃねえかぁっ」
彼の横には、傷だらけでボロボロになった、とても大きな犬がいました。
どうやら青年の言う通りに自慢の愛犬に賭けたところ、勝負に大負けした様子。
そして愛犬までボロボロになって怒りは頂点に。
結果、怖そうな男たちを引き連れて、青年を捕まえに来たようです。
「おっといけねえ、さっそく蒼天さまの罰が当たっちまったか」
青年はその場の誰よりも早く、一目散に逃げて行きました。
その逃げ足の速いこと、速いこと。
彼には誰も追いつけません。
手負いの犬などは、もってのほか。
青年は村の路地を駆け抜けて行きます。
通り過ぎて行く桑の木々が、赤々と実を付けて初夏の風情を彩っていました。
「おっ、今年は桑の実が一段と美味そうだ」
年老いた男が、走り去って行く色とりどりの派手な服を着た大耳の青年を見て、広場に来ている村人に訪ねました。
「もし、あの青年は、どなたですかのう」
村人は、楼のようにノッポな桑の木を指差して、年老いた男に答えました。
「あそこにりっぱな桑の木が見えるだろ。
あの木があるお屋敷に住んでいらっしゃる『劉備』さまというお方だ」
「ほほう、劉氏のお方ですな」
年老いた男はそう言うと、軽く礼をして馬商人の集団の中へと去って行きました。
劉備は追手を撒いた所で、すっかり乱れてしまった襟を正していると、懐の銅銭が無いことに気がつきました。
「ありゃ、落として来ちまったか」
彼は頭をかくと、昨夜聴いた音楽を口ずさみながら自分の住むお屋敷へと歩いて行きます。
「ふんふぅん、ふ、ふふふふ、ふんふ」
お屋敷の門をくぐると、庭に劉備と同じ一族の「徳然」がいました。
彼は徳然に話しかけます。
「よう、こんな所で何してんだ」
「あっ、君はまた遊び歩いて」
徳然は言いかけた小言を引っ込め、軽く咳をしました。
「まあそんな事より、最近この村の近くに、『礼』のとっても凄い先生が引っ越して来られたらしいんだ」
興奮しながら話す徳然に、劉備が耳たぶをいじりながら無表情で反応します。
「へぇ、『礼』って孔子さまの教えの」
徳然は、目を輝かせて話を続けます。
「今からその先生の弟子にしてもらいに行くんだ」
「まあ、莚売りの俺にゃ関係ない話だな」
目を細めて耳の穴を小指でほじりながら劉備が
そう言うと、お屋敷の中から大きな声が飛んで来ました。
「あ、な、た、もっ、一緒に行くのです」
劉備が目を見開いて声のした方を向くと、お屋敷から全身藁まみれの女性が現れました。
次回に続く。
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