悪夢の結末
「あの、わたし、別にセシリア様とセドリック様の仲を邪魔しようだなんて全然思ってないんです。でも、どうやらわたしって聖女の可能性があるみたいで、それでセドリック様も気にしていただいて……色々と良くしてもらってるんですが、それは本当にえっと、仕事の一つというか……。なのでこれからもたぶん一緒にいる時間はもっと増えると思うのですが、気にしないで下さいませ」
あぁ、本日もまたマリーローズ様と遭遇してしまいましたわ。どうしていつもわたくしの行く場所行く場所にいらっしゃるのかしら……。
それにしてもこれは……わたくし挑発されているのかしら?それとも謝罪されているのかしら。
どうやら敬語を使われてるようなのだけれど、端々にわたくしを下に見ているというか、不遜な態度が表れていて……。なんというか、とにかくこの方はいつでもこの調子。
いくらわたくしでも、疲れます。
それでもいつものように、
「そうですか、承知致しましたわ」
とだけ返事をするのが精一杯。
「え? 分かってくれたの? じゃあそういうことなので、よろしくお願いしまーす!」
マリーローズ様はニコニコと元気に走り去っていく。
貴族のご令嬢は廊下を走るものではありませんが……。
どなたかマリーローズ様にご注意して差し上げる方はいらっしゃらないのかしら。
バキッ。
後ろから振り向くのもはばかられるほどの冷ややかな空気が漂ってくる。
「なんですか、あの態度。公爵家のご令嬢であり、殿下の婚約者であるセシリア様への態度とは思えません。セシリア様、あのような態度をお許しになってはいけませんよ」
手に持っていた扇子が見事に半分になっていますわよ、ラナ様。
「セシリア様への態度も問題ですけど、一番は殿下への態度ですわ。この前も殿下の腕にしがみつこうとしていてたらしく……もちろん殿下は避けられたようですけど」
「まぁ、なんですかそれは!わたくしがその場にいたら、すぐに汚らわしい手を払ってやりましたのたのに」
素晴らしい行動力ですわ、エル様。でも……。
「ラナ様、エル様、わたくしのために怒って下さり、ありがとうございます」
公爵家ご令嬢のラナルザ様と、同じく侯爵家ご令嬢のエルーシャ様。いつもわたくしに寄り添ってくださる大事な友人達。
だけど、お二方ともこんな性格だったかしら……なんだか、どんどん影響が出てきますわね。
さすがヒロイン、といったところでしょうか。
**
「セシリア様はご自分の価値をわかってらっしゃいませんわ。公爵家のご令嬢であること、殿下の婚約者であることだけではございませんのよ。その美しい白銀の御髪、儚げなペールピンクの瞳、素晴らしいスタイル、あの背の高さですら羨望の的ですのに、ご本人はコンプレックスに思ってらっしゃるのよね」
「そうなんですのよね。あのスタイルの良さはあのお背の高さが引き立ててますのに!セシリア様は分かってませんわ」
「そう、そして誰にでも分け隔てなく接して下さる所……本当に尊敬致しますわ」
「時々お見せになる微笑みがもう、天使ですわっ」
そう、セシリアは表情が表に出にくい。
昔から兄のリューズとは違い、表情をあまり変えない子供だったが、王太子の婚約者となって以後の長年の王太子妃教育の結果、表情を変えることがさらに稀となってしまっていた。しかもセドリックの意向もあり、セシリアはほとんど貴族の間で開かれるパーティーに出たことがなかった。王家主催のパーティーでも広間には出ずに別室で王族に挨拶をする程度だった。このためセシリアについては色々な憶測が飛び交っていたのだが、学園に通うようになってからその容姿と近寄りがたい雰囲気から『白銀の姫君』と呼ばれるようになっていった。
その高貴で王太子の婚約者という立場から、視線一つで一軍隊が動かせるとも、瞬きだけで王家の影が動くとも言われているためなかなか一般生徒は近寄ってこない。だから余計に誤解されがちだが、それでも隠れたファンは多い。いや、実は地下組織でファンクラブができているほど人気があった。
ただし、ファンクラブの存在も自分がファンクラブの会員だということも、本当に秘密にしておかないとならない。
なぜならば、ファンクラブの存在を知った一人の男によって幾度も壊滅させられていたからだ。壊滅させられては密かに復活し、また嗅ぎつけられ壊滅させられる、どちらもどうしてメゲないのか不思議なループが出来上がっている。
今日も今日とて、自称会員番号2番のラナルザと、自称会員番号3番のエルーシャはファンクラブの秘密会合に出席し、セシリアの魅力について語っている。
そして当のセシリアはそんなクラブがあることも、そのクラブの自称会員番号1番が兄のリューズであることも、そのファンクラブを壊滅させるのが婚約者のセドリック王太子であることも、もちろん知らない。
「でも、本当に最近あの女が邪魔なんです」
「No.32様、よくわかります。そうですわ。あのセシリア様の泣きそうなお顔……。とてもじゃないですけど、許せませんわ」
仮面舞踏会さながらの仮面を装着し、胸の分かりやすい位置に会員番号(自称)をつけるのがこのクラブのTPOだ。ラナルザもエルーシャもきちんとTPOは守っている。今回は総勢28名が参加。会員番号1は最近忙しいのかあまり顔を見せていない。
「え、セシリア様がそんなお顔に……!!」
「No.56様、そうなのです!それなのに、いつもいつも気丈に振る舞われて……。下位貴族の方々がなにかとんでもない勘違いをなさっていますけど、それもそろそろ正していかないといけない時期ではないですか」
「えぇ、本当に。あの方たちはセシリア様をお近くで拝見する機会が少なすぎる上に、すぐに噂に踊らされて……。本当に貴族としての矜持があるのかしら?寄れば噂話ばかり」
「ここはこちらも対抗してマリーローズ様の噂話を流したらいいのでは無いでしょうか」
「あら、No.22様、それも確かにいい案だと思いますけれど、あの方が尻軽のサイテー女だということはもう明白であるのにも関わらず、殿下と親しいと勘違いなさってる下位貴族のおつむのお弱い方々は、全くその辺りを見ようともしてませんわ。むしろ上手くすれば殿下にも取り立てられるのではないかと妙な期待をもってあの方と親しくなる方や、わたくし達のセシリア様には足元にも及びませんが、見た目だけはお可愛らしく見えるようですし市井での習慣かお手を触れるようなことも多いので骨抜きになっている方も多いと聞いておりますわ。ですから、無駄なことかと……」
「相変わらずマリーローズ様の節操のない行動は健在のようですわね。殿下もリューズ様もお近くにいるはずですのに、どうして何もおっしゃらないのかしら」
「実は先日、セシリア様がお一人で教室にいらっしゃる時、いえ、わたくし、ちょうど教室の前を通りかかったらセシリア様がお一人で窓の外を眺めていらっしゃって。それがもう絵画かと思うほど美しくて、神々しくて、もしや女神が制服を着ていらっしゃるのかと……、あ、申し訳ございません、脱線してしまいまして。えぇ、それでご挨拶と思いまして、そうしましたら……あ、あのっ」
「どうされましたの、No.11様。なにかお辛いことでも?」
「あ、あのっ、いえ、えぇ、でも……」
「ちょっと、No.2様、近いです。どう見てみても貴女様が圧を掛けすぎですわ。ほら、No.11様、大丈夫ですわ、No.2様はわたくしが抑えておりますから、続きをどうぞ?」
「え、えぇ……あの……誰もいないと思っていらっしゃったのかポツリと『ご婚約者がラナ様だったら良かったのに』と『わたくしはやはりダメなのかもしれませんわ』とおっしゃっていて……」
シーンと一瞬の静寂の後は、正に阿鼻叫喚。
「なんですの、それは! 殿下のご婚約者は完璧な美貌のセシリア様以外誰がいらっしゃるというの! よりによってわたくしなんて、比べるまでもございませんわっ」
もちろんNo.2が誰であるか皆承知なので、誰もそこにはツッコまない。
「セシリア様がそこまで思い詰めていたなんて……もし万が一なことがあれば、わたくし黙っておりませんわ」
「わたくしだって」
「私だって」
「そうですわよね、皆様! セシリア様はわたくし達がお守りしましょう! あの性悪女から!」
No.3の高らかな宣言により、一同が「おー!!」と雄叫びをあげているその様子を一人静かに笑みを含みながら眺めている者がいたが、皆一様にセシリアを守る使命感に燃えていたため気がつく者はいなかった。
**
まともに殿下やお兄様にお会いできなくなってもう2ヶ月ほど。
本当に殿下はわたくしの婚約者として存在されていたのか、それこそ夢だったのではないかしら……。お兄様とももしかして本当はあまり仲が良くなかったとか?
「セシリア様お顔色が悪いですわ、大丈夫ですの?」
「ラナ様。ありがとうございます。最近なんだかよく眠れなくて……」
「…医務室へ行かれたほうが……。わたくし付いていきますわ」
「エル様……えぇ、ではちょっと行っていまいりますわね。先生にはエル様からお伝え頂いても?」
「でもわたくし、一緒に医務室へ」
「ありがとうございます、さすがに一人でも大丈夫ですわ。少し休んだら戻りますわね。先生へお伝えお願い致します」
「分かりましたわ、お気をつけて」
「ありがとうございます」
あぁ、お二人に心配を掛けてしまいましたわ。
悪夢は見ないのによく眠れない。
今が夢なのか現実なのか……いつもピンクのふわふわが思考を邪魔して……ほら、また……。
「あー、セシリア様だ。何してるんですかぁ?」
もうすぐ授業だというのになぜか廊下にいたマリーローズがスッと近づく。
「ちょっと医務室へ……」
答える義理はないというのに、質問されると律儀に答えてしまうセシリア。
「えぇー、それは大変! じゃあ私が付き添ってあげますねっ」
「え? いえ、結構です。」
「そうやっていつも私のこと避けますよね、酷いです!」
「……そんなつもりはございませんわ。ただ……」
「あ、いつものようにやっちゃったぁ。今誰もいないんだった」
「??」
マリーローズが急に雰囲気を変える。
「いい機会なので言っておきたいことがあるから、セシリア様、ちょっとお付き合い下さいな」
「え? でもわたくし今から医務室へ…」
「アナタが承知してくれたらすぐ済みますよぉ」
え?アナタ?
今アナタと??わたくしのことかしら?
マリーローズは、はてなでいっぱいのセシリアを強引に空き教室に押し込める。
「もうセドリック様はわたしが好きなんです。婚約者はセシリア様からわたしにするつもりなんです。だからセシリア様は婚約者を辞めて下さいね」
にこやかにまるで普通に挨拶をするかのようにマリーローズはセシリアに宣言をした。
まさかマリーローズ様から婚約者失格を言い渡されるとは……。
いつものニコニコとは程遠い、ニヤリという表現がぴったりな笑顔でセシリアを見上げて続ける。
「もう、あなたの何を考えているかわからない所が嫌なんだそうよ。あと、背が高すぎるところも。老婆のような白い髪も!」
改めて言われるとやはり落ち込みますわね。
「……そうですか」
「分かってくれたの。じゃあ、そう言うことなのでよろしくお願いしまーす!」
いつものマリーローズ様のお返事。
「承知したとは申し上げておりません」
「はぁ?」
「ですから、わたくしへの殿下のお気持ちやマリーローズ様のおっしゃることについてはとくに否定致しません」
「だったら……!」
「ですが、婚約者の交代については承知致しかねます」
「な、なんでよっ。そこが一番肝心なとこでしょ。だってもう分かったんでしょ、殿下に嫌われてるって。私のことが好きって。だったらさっさと婚約者の立場を譲りなさいよっ」
マリーローズはニヤニヤとした顔から目を釣り上げ、眉を顰め、赤い顔をして金切り声で叫ぶ。
そんなに大きな声でおっしゃらなくても聞こえていますのに……。
それに、こんな大事なこと、わたくしだけで決められることではないことは少し考えればお分かりになるはず。
「そう言われましても……。わたくしの一存では決められないことですわ」
内心かなりショックを受けているものの、表情はほぼ変わらない、というか、マリーローズには分からない。セシリアの落ち着き払った声で凛とした表情のまま淡々と告げられる言葉に苛立ちが隠せない。
なにしろ、こんな時でさえこの白銀の姫君が美しいと思ってしまうのだ。
「私の方が可愛いもの、こんな人形みたいなアナタよりも! だから殿下だって私に良くしてくれるし! 私の方が絶対殿下を幸せに出来るわ、だいたいセシリア様、殿下との婚約って勝手に決められたものでしょ、今愛されているのは私なの、だからもう譲ってよ」
「それは承知致しかねますと、先程から申し上げております」
「なんでよ!」
キッと睨みつけてくるマリーローズにセシリアは真っすぐ背を伸ばす。
どうしてもちゃんと言葉にしておきたい、わたくしにだって感情はあるのです。
「わたくしはわたくしなりに、殿下を慕っております。人の気持ちを勝手に決めつけられるのがこんなにも不快だとは思いませんでした。殿下がマリーローズ様をお好きなこと、わたくしを嫌っておられることは充分理解致しましたわ。それでも婚約者をわたくし自身が辞めることについては承知致しかねます」
「だから殿下は私が好きなの、だって私がヒロインだから! あなたは悪役令嬢、だからどうしたって無理なのよ、諦めて!」
その言葉で目の前にあの悪夢が蘇る。
ヒュッと息が詰まる。
幾度となく見てきた自分の悲惨な末路に目の前が暗くなる。
悲しいのは国外追放されることではない。
友人が、お兄様が、そしてセドリック殿下がわたくしを否定なさること。あの冷たい目を向けられること。
今までの陽だまりのようなあたたかい手を知ってしまった今は、夢で見たより恐ろしく感じてしまう。
「そ、そうだとしても、殿下から直接聞くまでは承知致しかねます」
「いいわ、じゃあセディから言ってもらえばいいのね」
セディ……。
わたくしだけが呼ぶことを許されていたはずの愛称。
あぁ、やはり、本当にもう殿下はマリーローズ様にお心を移されているのね……。
わたくしとは違いクルクルと変わる表情、弾けるような笑顔。
怒っている今でさえ、自分の感情を素直に表現できる彼女が羨ましい。
「あ……」
マリーローズが一瞬の動揺を見せる。
白銀の姫君が、表情を変えないまま音もなく涙を流していた。
「ほ、ほら、ようやく分かってくれたのね。そう、もうアナタは退場するときなのよ、悪役令嬢さん」
マリーローズが一段と近づく。
ニヤニヤとした顔に戻っている。
「アナタ、私のこの髪をフワフワでバカみたいって言ったんですってね。悪かったわね、フワフワで。私だってアナタみたいな真っすぐできれいな髪になってみたかったわよ、何をやってもフワフワふわふわ」
「そんなことは言っておりません……」
「嘘言ってもダメよ。でもね、セディはこの髪を褒めてくださったの。アナタとはまるで違うって言ってたわ」
「そう、ですか」
自分の髪がきれいだと思ったことはない。
それでもまだ幼かったころ、殿下が綺麗だと言ってくれた、それだけで切れなかった。
でも、もうわたくしの髪に殿下が手を触れることはないのですね。
セシリアはもう涙でまわりがよく見えていなかった。
気が付くと、マリーローズがセシリアの髪を掴んでいた。
「!!何なさるの。離してくださいっ」
「もう必要もないでしょ、どうせこれからアナタは追放されるんだから邪魔になるだけよ、目障りだから私が協力してあげる」
「失礼ですわ! お離し下さい! 痛い! やめて下さいっ」
どこから取り出したのか、マリーローズの手にはハサミが握られていて、セシリアの髪を切ろうとしていた。
やめて、切らないで。
殿下が一度でも褒めてくださった髪、いや、あの時の気持ちはわたくしだけのもの。
思い出まで奪っていかないで!
「やめてっ、やめてください! 誰かっ!!」
「あはは! こうすればアンタでも表情が変わるのね、良かったわね、それが分かって!!」
痛い、怖い。
なんて力でしょう、振りほどけない。
あぁ、もうダメ……。
追放されても、殿下との思い出があれば生きていけると思ったのに、それすらわたくしには許されていないのですね。
もう、もうこれ以上は……。
痛みと絶望の中、それでも髪を切られまいと抵抗する。
「ちょっと大人しくしてよっ、髪じゃなくて顔に傷付けられたいの?!」
「そこまでだ」
頭の痛みがなくなり、体が浮き上がる。
「え?」
「俺のリアに触るな、汚らわしい。おい、お前たち、公爵令嬢ならびに私の婚約者であるセシリア嬢への乱暴、しっかり確認したな。すぐさまあの女を捕らえよ」
「はっ!!」
バタバタと近衛見習いのルカを筆頭に、近衛兵がなだれ込んでくる。
マリーローズといえば、リューズにすでに床へとねじ伏せられていた。
「お前、リアに何てことを……。ここまで頭がおかしいとは思わなかった。このまま五体満足で帰れると思うなよ」
うめくマリーローズを容赦なく床に頭を押さえ込み、片腕をねじりあげているリューズからはいつもの笑顔が消えている。
セシリアを抱き上げたセドリックが囁く。
「怖い思いをさせてしまったね。ごめん。リアはそのままでいい。そのままずっと私の隣にいておくれ」
「どうしてっ! 私のことが好きなんじゃないのっ」
マリーローズが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「まだ吠える元気があるのか?」
「あっ……」
「代わるよ、リュー。それ以上したら息が止まってしまう」
「別に構わないけど」
「色々言い訳するのが面倒だから」
「……分かった」
そんな物騒な会話をしているリューズとルカ、そして床に這いつくばっているマリーローズには一切構いもせず、セドリックはセシリアの硬直した体を優しく抱きしめる。
「私にはずっとリアだけだ。今までも、これからも。姫の呪いを解くのは王子の役目だからね。不安にさせて悪かった」
「で、殿下……」
「違うよリア、いつもみたいに呼んで」
「で、でも」
「お願い」
「セディ……」
ギュッとそのままセシリアを抱きしめる。
ふわりとセドリックの体温と匂いに包まれる。
あぁ、良かった。嫌われてはいなかった。
本当はずっと不安だった。マリーローズ様の言う事はすべて正しく本当のことで、誰もわたくしの言葉なんて届かないのではないかと、あの悪夢の通りになってしまうのではないかと思ってしまう自分もいたから……。
安心したセシリアはセドリックの腕の中で意識を手放した。
**
リアを抱きかかえたまま王宮に連れてきた。
リューがうるさく何か言っていたが、構わなかった。
目が覚めた時、一番はじめにあの透き通るペールピンクの瞳に映るのが自分以外であることは許されないことだった。
サラサラと癖のないまっすぐな髪に触れる。指からすり抜ける髪が光を反射してキラキラと揺れる。
綺麗だ。
ほとんど色素のない銀の髪をリア自身はあまり好んでいないことも知っているが、どうして好きではないのか理解に苦しむ。夜などはほのかな光でも集めて、まるでリア自身が光り輝いているように錯覚する。俺もこの髪のせいか「カルナの太陽」なんてうれしくもない名前がつけられているが、リアのは違う。光が反射するとき、まるでプリズムのように光を虹色へ染め上げリアを彩る。
そう、リアだけだ。
リアだけが俺の心をつき動かす。
初めて会った瞬間から心を奪われた。
なんて可愛らしい子が婚約者なのかと嬉しくなった。
だから急に俺を見て倒れてしまった時には焦った。
しかもその後すぐにシール家から婚約解消の申し入れがあったと聞いたときには、それらしい理由をいくつも考え必死で両親を説得した。
何度も何度も誘い、ようやくお茶会が整ったときの高揚感。
しばらくはリューズの後ろに隠れていたセシリアが、初めて自分から話してくれたときの嬉しさ。
あまり表情には出にくいが、ちょっとした仕草や少しの変化で、充分感情豊かだと分かり、それが家族以外、自分にだけ理解できると思ったときの優越感。
厳しい王太子妃教育にも素直にまっすぐ努力する姿勢。
そして、時々、奇跡のように見せる笑顔。
どんなリアにも魅せられた。
成長するにしたがって、あまりに美しくなっていくものだから極力外部と接触させたくなくて必要のないパーティーには出席させなかった。それなのに、学園に行けばすぐさまあの美貌に皆が虜になった。あげくにファンクラブなんてものが出来、潰して回るのに苦労した。潰しても潰しても嬉々として立ち上げるリューズを恨んだ。
ヒロインなんてものが出てきても出てこなくても些末な問題だったが、どうしたものか本当にヒロインというものが出てきてからは、なかなかリアに会えなくなったり、あのピンク女が勝手に勘違いしたり、行動が全て裏目に出てしまうようで恐ろしかった。同時にこの恐怖に、さらにその先の考えたくもない結果についてずっとリアは悩まされていたのかと、それでもずっと前を向いていたのかと、愛しい想いが強くなった。
「俺が君以外に心を移すことなんてあり得ないよ…。早く目覚めて、俺のお姫様」
甘い声で囁くセドリックに、冷たい声が響く。
「おい、クソ殿下。よくも可愛いリアを泣かせてくれたね。今後すくなくとも半年はお茶会にはリアを出させないからね」
「いや、本当に申し訳なかった。でもまさかあのリアが泣くほど俺を好きだったなんて……。やっぱりリアと俺は結ばれる運命だったんだな」
「は? あれは痛くて泣いてたんだよ」
「いや、その前から泣いていたさ。リューも見ていたくせに」
「!! お前はっ! 仕方がないから今は君に預けてるけどね、君以上の優良物件が見つかったらすぐに鞍替えさせるから。大陸は広いんだしね。王国もこの国だけじゃないし」
「この国の公爵令息とは思えない発言だな」
「別にリアさえ幸せなら、どこへ行ってもいいし。俺の実力ならどこでもやっていけるしね」
リューズ・シール。
セシリアの兄であり、そのコミュニケーション能力と人心把握能力で王家の影をまとめる参謀役であり、王太子セドリックの幼馴染でもあるため、相手が王太子であろうと気安い。そしてセシリアを溺愛している。
このためセシリアが瞬きひとつで王家の影を動かせるという噂はあながち間違いではないのだ。
もちろんマリーローズの動向も逐一報告させ把握していた。ただ、どうしても聖女である可能性が捨てきれなかったため、決定的にセシリアに手出ししない限り、動けない状況でもあったのだ。そのために最愛の妹を危険に晒し泣かせてしまったことはリューズのプライドを揺さぶり、目下セドリックへ八つ当たり中なのだ。
「なら、もうすぐにでも結婚する」
「……君、リアのこと好きすぎでしょ」
「もちろん、リュー以上にね」
「二度目はないよ」
「二度目からは嬉し泣きだよ」
「守れよ」
「当然」
**
マリーローズへ充分な貴族教育をせずに学園に入学させ、王太子の婚約者へ不敬を働いたとして子爵家は準男爵へ降格となり、マリーローズは平民へ戻った。
一般社会と隔離された厳格な修道院と、一市民となり王都から遠く離れた田舎町でひっそりと生きていくことの2択をリューズに迫られ、一市民となることを選んだのだ。
「本当は国外追放でもしてやりたいけどさ、リアが『わたくしが夢とは言え、されて嫌だったことはしたくありません』って悲しそうに言うから。俺も優しいよね」
王太子の執務室の椅子に腰掛け優雅にお茶を飲むリューズはマリーローズがとある田舎町に着いたとの知らせを影から受け、セドリックに報告に来ていたのだった。
「そうか、ご苦労だった。これでもう二度とあのうるさいコバエがリアの周りを飛ぶことはないな」
「その表と裏の落差が激しいの、リアには見せないでよ」
「お前にこそ言われたくはないが…リアにはいつも自分の素直なところしか見せてないよ。いつでもどんな時も愛してるってね」
その、いつでもどんな時も、のためにお前がやってることがえげつないんだけど。
俺ですら知らないところで、どれだけ外堀を埋めていたことやら。
ま、そこまでの覚悟がないならリアはやれないけどね。
リューズは再度お茶を飲む。
マリーローズを見届けた影が報告と一緒に送ってきたお茶だ。辺境の田舎町の奥の森でしか採取できない貴重なもの。
セドリックも一口飲み、香りを楽しむ。
「さすがに美味いな」
「気が利くよね、さすが俺の部下」
「お前が指示したんじゃないのか」
「まさか、そんな私利私欲で動かさないよー、みんな優秀なだけ」
「……」
「今後はあの女も森へ入ることになる。慣れない森で行方不明になることもあるだろうねぇ。それか大怪我しちゃうとか」
優雅にお茶を飲む所作は変わらない。
声も雰囲気も何一つ変えずに平気でこういう事をいう男なんだよな、リューは。
「問題ある?」
「いや、ない」
「うん、分かった」
「そろそろそのシスコンなんとかしろよ」
「やだよ、いつまでもリアは俺の自慢の妹姫なんだから」
「あ、あと、例のファンクラブももう止めろよ」
「は? やめる訳ないでしょ。あの場でどれだけの情報回収できると思ってんの?」
「もう悪夢は終わったんだろ」
「いつヒーロー様が心変わりするかわかったもんじゃないしね。ま、個人的にあの会合は気に入ってるんだよね。皆がリアを褒め称える。素晴らしい光景だよ」
「だいたいお前だって悪夢ではリアを一緒に吊し上げて国外追放した内の一人だったはずだろ。お前自身に何が起こるかわからないじゃないか」
「は? 何言ってるの? この俺がリアに酷いことするなんて有り得ないじゃない」
「だから、俺だって同じだって昔から何度も……」
「俺は自分だから信用できるけど、お前は俺じゃないから信用出来ない」
「……お前、本当にさぁ……」
「なに? ファンクラブにお前も交ざりたいの? じゃあ特別会員にしてあげるよ、会員No100000で」
「そこはNo.1だろ」
「No.1は譲れない」
「ブレないな。……ま、いいさ、No.0を貰うだけだ」
「言うね」
「まーね」
**
どうしても結婚を急ぎたいセドリックが王家とシール公爵家をせっつき、リューズの「まだ早い」という猛反対もねじ伏せ最愛のセシリアと結婚したのは、学園を卒業した次の日だったという。どうしてこんなにも早く結婚が認められたのか、それは、聖女の力がセシリアに発現し、早く聖女を囲い込みたい王家とセドリックの思惑が一致したからに他ならない。
二人の間には、セドリックそっくりの色彩を受け継ぎセシリアそっくりの顔立ちの姫と、セシリアの色彩を受け継ぎセドリックそっくりの顔立ちの王子が産まれ、それぞれ、「小さな太陽姫」と「小さな月王子」と国民からも可愛がられた。
カルナの太陽と白銀の姫君は、その後も共に支え合い、王国の発展に寄与したという。
誤字脱字報告助かります!ありがとうございます!
また、ブクマ、評価、大変嬉しいです!
数ある作品から読んでいただき、ありがとうございます。