悪夢が追いかけてくる?!
前後編の予定です。
※改稿しました
「ですから昔からお伝えしておりましたでしょ…『ヒロイン』という方が現れると」
「あぁ、だがそんな人物がいたとして、本当にその通りになるのかと疑問に思っていたのだよ」
「あら、わたくしだって同じですわ。自分の夢なんてあやふやなものを鵜呑みにしてもいいのかと。でも、何かにつけその夢を見るんですもの、もう呪いだと思うじゃありませんか。ですから申し上げていたまで、です。それに……」
そう言って優雅に美しい所作でティーカップを持ち、目の前の優美な男を一瞥する。
「そのヒロインとやらの前に『ヒーロー』とかいう方はもう現れていましたし…」
そのまま目を伏せ、紅茶をコクッと一口飲み干す。
香り高い紅茶が喉元を過ぎる様子を、目の前の優美な男がじっと見つめていることには気が付かない。
「ヒロインも現実になりましたわね」
**
王宮の中でもここは王族のみ立ち入ることができる私邸の庭。そんな庭でお茶を飲めるのは、セシリア・シールが公爵家令嬢であり、このカルナ王国の王太子、セドリック・カルナの婚約者であるからに他ならない。
眼の前には素晴らしく美しい金髪に、キラキラのブルーの瞳、高い鼻と白く透明感のある肌、そしてスラリと均整の取れたスタイルで『カルナの太陽』とも称されるセドリックがじっとこちらを見つめている。
「そんなに見つめていただいても、今のところわたくしにもどうしようもありませんわ」
珍しくため息が出てしまう。
そんなわたくしに殿下はやや驚いた風に目を見開く。
「リアがため息とは珍しいな」
「わたくしにだって感情はございます」
「あぁ知っているよ。そして俺だけがそれを間近で見られることも」
「よくこの状況でご冗談が言えますわね」
「冗談じゃないさ。それに自分のことは自分が一番良く知っている」
「そうですか……」
知らず知らず、顔がうつむいていたらしい。
スッと頬に手が添えられ顔が上へと向かせられる。
「怖いかい?」
「いえ。……えぇ、多少は……」
「リアはリアのままリアらしくいてくれればいいから」
「ありがとうございます」
もしかしたら少し口角が上がっていたのかも知れない。
セドリックそんなセシリアを見て柔らかく微笑み、頷く。
そして、独り言のようにつぶやく。
「心配ないよ」
あまりに小さいつぶやきは、リアの耳には届いていなかった。
**
「じゃあリア、また学園で。」
「はい、セディ」
セディはいつもわたくしが馬車に乗るまで送ってくださる。
そうでなくても忙しい方なのに、こうお手を煩わせるのも申し訳ない。本当ならもっと自分がしっかりしていれば良いだけの話なのだけれど…。
輝く夕日が雲をオレンジ色に染め美しい風景を提供していたが、馬車の中でセシリアは膝の上で固く組んだレースの手袋で包まれた自分の手ばかり見つめていた。
ガタゴトと-実際は公爵家の馬車は最高級品なのでさほど中では揺れも感じないのだが-馬車はシール公爵邸へ向かって進む。
「リア帰ったの?」
公爵邸に着きエントランスホールに入ると、セシリアとよく似た顔つきの青年が顔を出す。
顔つきは似ているが、纏う色彩は全く違う。スカイブルーの髪に真紅の瞳、それだけでも周りを惹きつけるというのに、リューズ・シールは非常に整った顔つきな上、異常にコミュニケーション能力が高いため、常に人に囲まれているような人だ。
「はい、お兄様」
はぁ、今日もお兄様は素敵だわ。
「お兄様は今日もかっこいいですね」
「何言ってるんだい、リア。リアの方が何倍も素敵だよ、私の自慢の妹姫だからね」
といたずらっぽくウィンクをする。
「それで?殿下は何だって?」
「お話ししてきましたけれど、特に何も。いつもと…。」
「まぁ、そうだよね、今時点では疑わしい、だけだしね。でもねリアなにかあればすぐ言ってほしい。絶対に兄様が守るからね」
そう言って頭を撫でてくれた。
お兄様は美しい上にお優しい、いつもニコニコしていて…わたくしもお兄様みたいだったらどんなに良かったか。お兄様みたいだったら、今こんなにも悩むことはなかったのかもしれない。
**
今頭を悩ませているのは、学園に転入してきた一人の女子生徒のこと。子爵家のメイドだった彼女の母は彼女がお腹にいる間に子爵家を辞め、一人で出産したらしい。そして彼女が幼い頃に亡くなってしまった。実はそのメイドと子爵は恋仲で、子爵はずっとそのメイドを探していて、彼女が市井で暮らしていたところを探し当て、自身の子であると確認した後子爵家に引き取り、立派な淑女とするために王立学園に入学させた。
……まぁここまでは珍しくとも聞いたことがあるお話ですが、問題はそれをわたくしが『知っていた』ということ。
昔から怖い夢にうなされる事があった。
いつも最後は恐ろしいことが起こって、起きると汗びっしょりになっていた。知らない人、知らない場所、知らないこと……夢だから、と思っても内容が怖くて目が覚めてもしばらくは忘れられない。なぜなら、いつも最後にわたくしは全てを失って一人ぼっちになってしまうから。誰もわたくしの言うことを信じてくれない。まわりを見ても一様に冷ややかに、時には怒り、罵られる。どんなに手を伸ばしても誰も手を取ってくれない。友人だろう人達も、そして大好きな家族でさえも……。怖くて怖くて何度も飛び起きた。
それでも、自分が自室にいてベルを鳴らせば誰か来てくれたし、わたくしが泣いていれば母様や兄様の所へ連れて行ってくれた。しっかりと抱きしめてもらって、あれは夢なんだと思ってようやく再び眠ることが出来た。
夢のことなど忘れ、楽しく過ごしている頃にまた同じように夢を見る。その度に怖くて仕方がなかった。夢と分かっていても恐ろしかった。
それが、本当にこの世界のことなのだと気がついたのは、3歳年上の王太子殿下との婚約が整い、最初のお茶会に王宮を訪れた時のことだった。
**
何となく見たことのある風景。
でも、どうしてだろう?ワタシはここに初めて来たはずなのに……。
ぼんやりと考えているセシリアにリューズが声を掛ける。
「大丈夫?リア。殿下と会う前にお花摘みに行くかい?」
「はい。にいさま、行って参ります」
そのまま王宮の中を一人するりと進むまだ6歳になったばかりのわたくしに、両親と兄様は随分と驚いたらしい。
でも、何処に何があるのか知っていた。
それに対しての疑問も持たず……。
そのまま婚約者であるセドリック殿下と対面したわたくしは
「あ、あなた、もしかして夢の人?」
と目を丸くし、そのまま気絶してしまったそう。
目を覚ました時、どうして自分が王宮の中を知っていたのか、夢に出てくる人が本当にいたということを理解し、その後自分に起こるであろうことを思い出し、小さなわたくしは絶望し泣きじゃくりました。
セシリアが倒れ、原因が悪夢であったことを聞き、昔からひどい夢にうなされていたこと、また夢の中でセシリアを待ち受ける仕打ちを知っていた両親と兄のリューズはすぐさま王家へ婚約の取り消しを求めた。まだセドリック殿下と対面しただけであったし、さらにその際にろくに挨拶も出来ず気絶するという失態とも言える事態を引き起こしていたため、婚約取り消しは問題ないように思えた。
しかし、王家からの答えは「婚約の続行」であった。
理由としては、
シール公爵家以外の2つ公爵家とは既に現在の王妃、皇后などで縁組があり、血が濃くなってしまう可能性があること、適正年齢のセシリアが居るにも関わらず、シール公爵家以下の家から婚約者を決めることはシール公爵家を軽んじているとみなす風潮が起こる懸念があること、シール公爵家が王家と袂を分かつ可能性は王家として見過ごせないことなどが主な理由であり、それは確かに幼子の悪夢に王太子が出てくるから婚約を取り消してほしいとはシール公爵家としても押し通すことは難しかった。
そういった訳で、セドリック殿下との婚約はそのままとなった。最初は怯えていたセシリアも、兄のリューズと一緒に何度も何度も招待されるセドリックとのお茶会では時折笑顔を見せるようになっていった。1年も過ぎるとそこはさすが子供の適応力とでも言うべきか、すっかりセドリックとも打ち解け、お茶会も楽しみにするようになった。
**
「ねぇ、セシリア嬢、そろそろ僕もリアって呼んでもいいかな?」
今日は明け方まで降っていた雨のせいで、足元は悪かったため、園庭を臨むテラスでのお茶会だった。
色々なものが洗い流されたような青空と瑞々しい緑が眩しく、もうすぐ咲き始めるであろう蕾をわくわく-ただし表情にはほとんど出ていない-と眺めていたセシリアは、セドリックのそんな問いかけに思わず髪を揺らして振り返った。
「それは、殿下の思う通りに…」
「ダメだよ」
セシリアが返事をした上から被せるように、にっこりと笑ったリューズが口を挟む。
「だって僕らは婚約者だよ、いつまでも他人行儀にセシリア嬢なんて呼びかけていたらリラックスもできないじゃないか」
「いつまで婚約者でいるか、わからないじゃない?」
「…何か言ったか?リュー」
「別に本当のことでしょ。僕は君だろうとリアを傷つける奴は許さないからね」
「そんな事するはずないだろう。だからこそ、もっとセシリア嬢と親しくなりたいんだ」
「別にこれ以上は必要ないでしょ」
「でもさっきセシリア嬢は『是』と言っていたよ。ね?セシリア嬢」
突然兄と殿下が言い争いを始め、それがどうも自分のことのようだとわかったものの、どうしていいのか分からず、ギュッとドレスを掴みリューズとセドリックの間で首だけを風見鶏のようにフルフルと振っているセシリアを見る。
「僕とは随分態度が違うね」
「レディに対する態度と王太子を王太子とも思わない態度をとる輩とは違って当然だよね」
「ふーん、君がそうしろって言ったと記憶しているけど。まぁ、今からでも従者らしい態度にしてもいいんだよ。…王太子殿下、愚妹に過分なお情けをいただき光栄でございます。ですが、何分まだ幼く、充分な礼儀もございませんので、本日は失礼させて頂きます」
スッと臣下の礼をとるリューズを見て、慌ててセシリアもカーテシーを行う。
「し、失礼致します」
まだあまり深いカーテシーはぐらついてしまうわ。しかも慌ててたから、嚙んじゃいましたし…どうしましょう。
セシリアは、体はぐらぐら頭はぐるぐるとしているものの、ほとんど表情は変わらない。
「はぁ…。わかったよ、リュー。悪かった。いつものお前でいてくれ」
「最初から言わなきゃいいんだよ」
ため息をつくセドリックとは対象的にやはり笑顔のままのリューズが言う。
「まだ帰るなよ」
「あぁ」
「友達だろ」
「あぁ、そうかな」
「リアって呼んでもいいだろ」
「ダメ」
「チッ」
「王太子が態度悪いよ」
「今は友達だけだから」
「ま、そうだね」
「俺たちは親友だろ」
「かな」
「リアって呼んでいいだろ」
「ダメだって」
「なんで?」
「なんでも。言っただろ、今だけだって」
「今だけじゃない」
「そんなこと分からないでしょ」
「分かる」
「……あの、セドリック様、にい様、ケンカしないで」
急に入り込んできた可愛らしい声が震えている。
セドリックもリューズもハッとして声の持ち主の方を見る。
「ケンカはいや……。」
普段あまり感情が表に出ないセシリアだったが、若干眉が下がり口元がキッと結ばれている。
「ワタシは殿下にリアと呼んでもらっても大丈夫。だからケンカしないで、みんな仲良しじゃないの?そうやってワタシのことも要らないってする?夢みたいに…」
そして見る間にペールピンクの瞳が潤んでくる。
慌てたのは二人の方。
「ごめんね、大丈夫。もう仲良しだよ」
「そうそう、もう大丈夫」
「仲良し?」
「「うんうん、仲良し!」」
「じゃあリアって呼んでもいい?」
(今ここで言うの反則でしょ!)
口をパクパクしているリューズをまるっと無視したセドリックに、セシリアは滅多に見せない笑顔で頷く。
「うん」
その日、この国の王太子と公爵子息はお茶会が終わるまでぼーっと赤い顔をしていたため、メイドと執事に酷く心配された。唯一、元気だった公爵令嬢は二人が食べなかったケーキまでもくもくと食べており、迎えにきた侍女に呆れられた。
**
それから、リューズのアドバイスもあり、悪夢を見た際にはその詳細を覚えている限り記録し、少しづつセドリックにも話をするようにしていた。最初は驚き、あまり気に留めている様子がなかったセドリックだったが、やはり定期的にその悪夢の話が繰り返されると、セシリアをひどく心配するようになった。
「大丈夫、そんなことは夢だから。そんな酷いこと、僕がリアにすると思う?」
「…しないと思う」
「そうでしょ?だから大丈夫だよ」
「うん…でも、心配」
「うん、そっか。そうだよね。ねぇ、お家ではその夢を見た時どうするの?」
「いっぱい泣いて、それから母様と父様とにい様にいっぱい抱きしめてもらう」
「じゃあもし僕と居る時にリアが心配で泣きそうになったら、僕も抱きしめてもいい?」
「…うん」
「約束ね」
王家の園庭で咲き誇る花々を前に、もうすぐ8歳になるセシリアはセドリックと指切りげんまんをした。その日リューズは習い事のため同行しておらず、初めて二人だけのお茶会の日だった。
ついでにその日、セドリックは自分のことも「セディ」と呼ぶようにセシリアに約束させた。
「これはお父様とお母様だけが呼べるんだ。でもリアは僕の特別だから」
そう言われてセシリアは嬉しくなってしっかり頷いた。
**
二人で指切りをしたその日から、悪夢を見た次の日はセドリックは優しくセシリアを抱きしめるようになった。
リューズが何度かセドリックに文句を言っていたが、
「だって君たち家族はするんだろ?僕だってリアの婚約者だ。つまり家族になる人なんだから問題ない。それに、リアも約束したしね。そうだよね、リア?」
「うん」
悪夢のこと以外においてはあまり表情を変えない素晴らしく可愛い妹が、自分をキョトンと見つめている。
「ダメでしたか?にい様」
「ぐっ…」
リューズは引きつった笑いを妹に見せながら、後ろ手で激しくセドリックをつねっていた。
その後、セシリアも成長とともに少しづつ王太子妃教育を受けるようになっていった。現実と悪夢の区別もつき、様々な教育を経てセシリアは自分というものを確立していった。幼い頃とは違い、悪夢はもうだいぶ見ないようになっていたこともセシリアにとっては嬉しいことだった。夢と同じ人物がいたとしても、セドリックを始め、自分に酷いことをしてくる様子はなく、やはり夢は夢だったと思えたからだ。
それなのに……。
やはり悪夢はどこまでもわたくしを追いかけてくるようです。
**
その問題の女生徒というのが、どうやらわたくしの悪夢に出てくるヒロインというものらしく…この「ヒロイン」というのは女主人公ということのようで、とても可愛らしく誰からも好かれ慈愛に満ちた素晴らしい方でした。
そしてそんなヒロインをわたくしは妬み、蔑み、ヒロインがすることなすこと全てを否定していました。やがてそんなわたくしの態度に「ヒーロー」というものである殿下は嫌気がさし、健気に頑張っているヒロインに惹かれていってしまい、それはまた、わたくしの大好きなお兄様も同じで、そして、わたくしはヒロインにしていた数々の嫌がらせが元で婚約破棄されてしまい、公爵家からも追放され、一人国外へ……。
「はぁ」
いけませんわね、一人で部屋にいるとついため息が出てしまいます。
どうしてその女生徒がヒロインだと言うことができたのか、学園入学までの生い立ちや顔立ちなどがそっくりだったということもありますが、決定的だったのがピンクの髪。ピンクの髪は色とりどりのこの世界でもめったに(いえ、未だ見たことがありませんでした)見かけない髪色で、夢に出てきたときも、なんて綺麗な髪なのだろうと印象的で、怖い夢でも思わず見とれてしまうほど。
それが、まさか現実にいらっしゃるとは。
そのピンクの髪の持ち主が、今目の前にいる。
ふわふわと柔らかそうなその髪は、なんの色味も持たず真っすぐすぎてただ結うのも大変な自分の髪とは大違い。
やっぱり可愛らしい……。
髪だけじゃなく、大きいエメラルドのような瞳も血色の良い頬も、女の子らしい小柄な身体つきも……。色素があまり無い上に、ほとんど表情が変わらないので一部で『人形姫』と言われていることや、ある時からニョキニョキと成長し、男性の平均身長より高くなってしまった背のせいで『隣に並びたくない』と陰口を叩かれているわたくしとは大違い。ヒーローである殿下も、こんな可愛らしい方なら惹かれても仕方ないのかもしれませんわ。
でも、だからこそこの方の存在を知ってからは、極力近寄らないようにしていたというのに……。
セシリアが心の中で再びため息をついた時、ピンクのヒロインが口を開く。
「あの、初めまして。わたし、マリーローズ・ガバルデと言います。あなたがセシリア様ですか?」
「……はい」
貴族社会において、家柄が下の者が上の者に名前を確認するということは有り得ない。不敬に当たるからだ。だからセシリアもまさか自分の名前を確認されるとは思わず、目が何度か瞬いたのだが、確認されたので返事をしてしまった。本来なら不敬のため、返事などする必要はなかったのだが……。
「そうなんですね~、あなたがね。ふーん。あのー、これからは私、セドリック様に色々と教えてもらうことになるみたいなので、その辺りよろしくお願いします~」
上から下までジロジロと見たかと思うと、最後にニッと笑いマリーローズは去っていってしまった。さらに表情をなくしたセシリアを残して。
なんというか、予測がつかない方ですわ。
本来なら元平民であるマリーローズに王太子であるセドリックが接触することは有り得ない。学園であってもだ。
基本的に学園は、下位貴族と高位貴族でクラスに分かれており、合同授業以外は一緒になることはない。カフェテリア等は同じ場所だが、高位貴族のみが入れるラウンジなどがあり、下位貴族と高位貴族はあまり普段から触れ合いがないのだ。
しかしマリーローズに聖女の兆候が見られるということで、王太子であるセドリック、側近であるリューズ、近衛騎士団団長の令息である近衛騎士見習いのルカがマリーローズの護衛兼素質の見極めを任されることになっている。
これも夢の通り……なので驚愕はしなかったものの、半分諦め、半分恐れといった気分のまま、どうにも気持ちが晴れません。
もやもやした気持ちをセドリックやリューズに聞いて欲しいと思っても、マリーローズから挨拶をされた後、セシリアはなぜか全く2人に会うことが出来ない。学園には通っているし、リューズに至っては同じ家に住んでいるにも関わらずだ。
殿下はともかく、お兄様にまでこんなにお会い出来なくなるものなのでしょうか。
「お兄様は?」
今朝も朝食にいらっしゃらないため、お兄様付きのメイドに聞いてみる。
「すでに学園へ出発されました」
「そう……」
「あ、何か用事があったようです。朝早いのでセシリア様はまだ起こさずとも良いとおっしゃられて……」
メイドがやや慌ててセシリアに声を掛ける。
「あぁ、ごめんなさい。分かったわ、ありがとう」
最近いつもこの調子ですわ。
無理やり笑顔を作る。
普段表情があまり変わらないセシリアの笑みを見て、メイドは歓喜と安心と緊張を感じたが、それ以上は何も言わなかった。
セドリック様からは花や手紙やプレゼントは毎日のように届くし、お兄様からも同様にいつの間に置かれたのか手紙や花が部屋に置いてある。どれも今のわたくしには救いとなっています。
でも、会いたい。
手紙でも花でもなく、お会いして微笑んで欲しいと思ってしまうのは欲張りなのかしら。
あれから悪夢は見ていないものの、悪夢の通りに進んで行きそうで恐ろしいですわ。かといって、自分には何も出来ない、でも、殿下にもお兄様にも自分らしくと言われているのですから、いつものようにするだけですわ。
それからも、マリーローズは事あるごとにセシリアに接触してくる。
セシリアは精一杯マリーローズに見つからないように行動しているつもりなのだが、いつもと違う行動を取っても、マリーローズは突撃してくる。
もともと公爵令嬢であり王太子の婚約者であるセシリアに、誰も不敬な態度は取るはずもなく、だからこそ、マリーローズのような態度にどのような反応をしたら良いのか、つい考えてしまうともう姿が見えなくなっており、とっさに返事をするとどうにも明後日の意味に理解されてしまう。
その都度、
「わたし、そんなつもりで言ったんじゃないんです。なのに、セシリア様ったら酷いです」
だの、
「どうしていつも興味がないようなお顔をされるんですか?わたしのこと嫌いなんですか?」
だの、散々な言われようだ。
つい先日も、廊下を歩いていると急に目の前にマリーローズが立ちふさがった。大きな目に涙がすでに溢れんばかりになっている。他にも大勢生徒がいる中で一際大きな声が響く。
「セシリア様、私が平民だったからってバカにしないで下さい!」
バカにする?
心当たりがありませんわ。
だってこの方、わたくしの話なんて一度もきちんと聞いてくださったことがないんですもの。
「わたくしは何も……」
「あー、ほらぁそうやって知らないフリするの、ズルいです」
えぇ……知らないものをどうやってフリをするのでしょう。
「だっていつも取り巻きの方を使って私のこといじめるじゃないですかぁ」
取り巻きの方って、どなたのことでしょう?
本当に心当たりのないセシリアは返事も出来ずに立ち尽くす。
「ほら、今もすごい顔して睨まれてますもん、私。あぁ、怖い。もう怖いってセドリック様に言っちゃいますからね。じゃ、よろしくお願いしまーす」
言いたいことだけ言って、周りの生徒の視線を攫って、マリーローズは嵐のように去っていく。
睨むだなんて、本当に何のことを言っているのかしら。
セシリアがすぐに後ろを振り返れば、マリーローズの言っていることが分かったのかもしれない。けれど、振り返ることがなかったセシリアは心の中で首をひねりながらふわふわのピンクの髪を見送った。
また今日も、高位貴族のみが入れるラウンジへ入ろうとし騒ぎを起こしているマリーローズに出くわしてしまった。
「せっかく貴族同士なのに、交流がないなんて勿体ないと思いません?色々な方と交流することで隠れた逸材ってやつを見つけることだってあるはずですし、階級だけで判断されるなんて勿体ないでしょ。ね、皆様」
マリーローズが声高に言うと、ぞろぞろと後ろにくっついて歩いている下位貴族の令息令嬢達が頷く。
ラウンジの門番は頑として通さなかったが、困り果てていたところにセシリアが通りかかったのだ。
「マリーローズ様、ご意見は頂戴致しましたが、だからといってすぐにこちらを開放できるものではございません。本日はお引取りを……」
「えー、どうしてですか?!みんなと仲良くする気がないんですね、セシリア様はっ。セドリック様はきっと分かって下さるわ。そうだわ今からお話ししに行かないと。リューズ様もルカ様もいらっしゃるだろうし。じゃあセシリア様、よろしくお願いしまーす」
そう言って男爵令息と子爵令息と腕を組んだまま、マリーローズはまたぞろぞろと他の下位貴族の令息令嬢を引き連れてどこかへ行ってしまった。
何をよろしくなのだか分かりませんが、いつものマリーローズ様ですわね。
……それにしても、わたくしは全然お会い出来ないのに、マリーローズ様は今日も殿下やお兄様にお会いするのね。
ドウシテアナタバッカリ……。
「あ……」
これでは悪夢のわたくしと一緒だわ。
夢と現実は違うはずだもの。
わたくしがのまれてしまっては意味がないわ。ちゃんと前を向いていないと。
表情は相変わらず変わらないものの、ドレスをキュッとつまみながらセシリアは前を向いて教室へ向かった。