あるはずのないもの
"RFO"は、淡々としたナレーションから始まる。
『この世界には超常の力、魔法が存在する。
魔法を使役するは、善なるものだけとは限らない。悪なるものが魔法を己の私欲のために使役するならば』
日本という現実世界を舞台にしているが、他のRPG同様、ストーリーというものが存在する。
『必ずこの世界に災いが降りかかる。その災いを止めるためには、真の善なる者の力がーー、いや、"大罪"に立ち向かえる勇気ある者の力が必要だ。そして、それは決して一人ではな』
ん? なんか、前見たナレーションと違うような。
『クエスト"大罪討伐"発生。クリア条件、大罪の殲滅。受注しますか?」
場面が切り替わり、クエスト表示画面が現れる。
え、まだチュートリアルも終わってないのに何かヤバそうなクエストが。そんなのクリアできるわけが。
『クエスト"大罪討伐"受注完了』
は? え、ちょっと待って。
『なあ、庭村なら、やってくれるよな?』
突然、無機質なAIの声が、どこか聞き覚えのある野太い男の声へと変わる。
『聞いてるのか、庭村。お前なら、な?』
いや、えっと、それは、だ。
「うぶ」
最悪の寝起きだった。
高校生の夏休みといえば、と聞かれると結構な確率で答えに出るのは、部活だろう。俺は野球部に所属しているものの、所詮はベンチ入り。うちの部活では、レギュラーではない部員の夏休み練習の参加は自由とされている。
そんな俺の夏休み初日はというと。
「庭村、グラウンド整備よろしく」
「大丈夫です!」
「庭村、ボール磨きも」
「大丈夫です!」
「庭村先輩、記録ってどうやって書けば」
「大丈夫、俺がやっておくよ」
マネージャーのいない野球部のマネージャーをやっていた。
「じゃあ庭村、後は頼むなー」
「大丈夫です、お疲れ様です!」
俺以外に唯一残っていた顧問の先生も職員室へと戻り、グラウンドには、俺一人取り残された。
時刻はちょうど正午。こんな真昼時には、他の部活も練習などしていないようだ。
野球部も、今日は午前練のみ。
「よし、本日のマネージャー業務終了」
『クエスト"野球部のマネージャー?"達成。報酬"木製バット"を獲得』
時刻は十二時半。部室に置かれたボール磨きを終えたところで、学校に着いた途端始まったクエストも終了を迎えたようだ。
報酬はバットらしいが、昨日のメモ帳と同じく、目立った変化はない。鞄に入る大きさでもないはずだが。
ちなみに、俺が自分の身体の異常事態に対して出した結論は、しばらくの様子見であった。
病院や然るべき研究機関に行くことも考えたが、状況が意味不明すぎる。そんな状態で行っても上手く説明できる気がしないし、まず信じてもらえる気がしない。
そして、今回の事件に"大罪"という犯罪組織が関わっている可能性があるため、あまり目立つ行為をしたくないというのも本音だ。
ガチャリ。
そんなことを考えていたからか、部室のドアが開く音がした瞬間、思わず体がこわばった。
「おー、やっぱりいたか。今日もお疲れ様だな、庭村」
同時に聞こえたのは、相も変わらずお節介な女教師の声だった。そのことに、内心かなりホッとした自分がいたことに驚く。
「......田中先生、どうしたんですか?」
「あ、お前、またあんたかよ、って思っただろ? 三十路近くのババアですいませんねえ」
「そんなことは」
「そういうのは目を見て言え、このやろ」
「いで」
田中美琴先生からの愛のこもったデコピンを頂いた。
「まったく。昨日言ったことを今すぐ実行しろ、とはさすがの私も言わないがな。ちょっとくらい人に甘えるってのを覚えたらどうだ、お前は」
呆れたような表情を浮かべながら、田中先生は俺の隣へ腰を下ろす。田中先生が言っているのはきっと、俺がマネージャーまがいのことをしていることについてだろう。
「ほら、先生の奢りだ、喜べ」
「......ありがとうございます」
ぶっきらぼうに顔の前に差し出された缶ジュースを俺は両手で受け取る。田中先生の片方の手には缶コーヒーが握られていた。
「と、まあ。私がここに来たのは、お前が将来このコーヒーみたいな社畜にならないかを心配しに来たのもあるが、お前に確認してほしいことがあってな」
無糖のコーヒー、つまりブラック。やかましいわ。心の中でそうツッコミを入れ、俺は田中先生の言葉に聞き返す。
「確認してほしいこと、ですか?」
缶ジュースのプルタブを開け、口にする。オレンジジュースだ。まあパッケージで分かってはいたが。
「ああ。これなんだが」
田中先生は、缶コーヒーを握る手とは別の手を自らのポケットに入れ、何かを取り出した。
「え」
それが何かを確認した俺は、思わず缶ジュースを握る手を緩めてしまう。
「ちょ、おい!!」
俺の手から離れた缶ジュースは、くるりと百八十度回転を行い、真っ逆さまに落ちていった。
当然、中身は部室の床にぶち撒かれるわけで。
「っ、すいません!!」
「まったく、何やってんだ。タオルか雑巾あるか?」
「あ、はい、タオルならボール磨き用のやつが」
手に持っていたタオルで慌てて床を拭く。手を動かしながらも、俺の頭の中は衝撃に満ち溢れていた。
......なぜ?
「にしても、このメモ帳を見た途端慌てふためくとはな。やっぱりお前のだったかこれ? 可愛らしくて私はいいと思うぞ?」
なぜそこに、黄色いくまさんの絵が描かれた表紙のメモ帳がある?
ちなみに、田中先生は茶道部の顧問です。