第十話
セレスの気嫌の悪さは日を追うごとに増していった。スフェーンと出会って以来、自分に注目が集まらなくなっていったからだ。セレスにとっては、女子たちからの侮蔑の視線でさえ、気持ち良く思っていたのだ。 それがここ最近はどうだ? 女子たちに笑顔が増え、取り巻いていた男子が少しずつ離れていったのだ。
「何で私よりあの女が目立つのよ!?」
自室でセレスは叫んだ。手あたり次第、壁に向かって物を投げる。自分の思うように事が運ばないことがこんなにも腹立たしいなんて思いもしなかった。
「私は聖女なのよ!? 誰でもなれる存在じゃないのよ!」
(選ばれし存在のはずなのに、どうしてこんな惨めな想いをしなくちゃいけないのよ!)
セレスは自分の存在価値が失われている気持ちになった。 自尊心が強い故に焦燥も大きかった。
セレスはふと気づく。
――――自分の存在を示せる場所を。
「そうだわ! 明日から巡廻があるじゃない!!」
自分のためだけにある場所。 自分のために動いてくれる人々。 自分が輝く瞬間。
それらが全て詰っている舞台へ――。
スフェーンが明日の仕度をしていると控えめにドアがノックされた。
「......今、 大丈夫?」
声の主が親友だと気づき、スフェーンは部屋の中に招き入れた。
「ちょっと散らかっているけど、入ってきて良いよ」
「ありがとう」
「どうしたの、クリス?」
部屋の中に入っても扉の側から動かないクリスに向かってスフェーンは椅子を勧める。
「え~と、クリスはここに座って。私は、このままベットに座るから」
「うん。ありがとう、スフェーン」
ベットの上に広げられた衣類や小物類を見てクリスは、ようやく現実を受け入れた。
「......本当に明日、出発するんだね」
スフェーンが同行する事は極秘事項のため幼ななじみしか知らない。学校で話題になったとしてもスフェーンは話を合わせて誤魔化していた。そのためクリスには今まで見実味が無かったのだ。
「あのね、私ね――……」
クリスがスカート生地と一緒に握り拳を作る。
言葉が続かなく沈黙が流れるがスフェーンはじっと待ち続けた。
やがて、 ぽつりぽつりとクリスが話しはじめる。
「――――私も躍りたかった」
「うん」
「――――薬学は苦手なの」
「うん」
「――私だって魔法学では成績トップだもん」
「うん」
少し拗ねた表情が、いつも大人びているクリスを年相応に見せる。
「私、寂しがり屋なの。……――だから早く戻ってきてね」
聞こうとしなければ聞き逃してしまうぐらいの小さな声。
自分だけが連れて行ってもらえない悔しさをスフェーンにぶつけるのは違うとわかっている。でも、気持ちを整理しきれなくて、感情のままに任せようと思ったら、我儘よりも愚痴になってしまった。スフェーンが他の人達と話しているのに嫉妬してしまっていた自分がいた。
「ちゃんと戻ってくるよ。 戻ってきたら、皆の倍の六回転してあげる。私は薬学が得意だから教えてあげる。剣術も教えてあげる。二人でペアを組んでアゲットとジェードを泣かそうね」
「うん」
クリスの声は未だ小さく笑顔も無かったが始めて目と目が合った。スフェーンは少しばかりの安堵を覚えクリスとの約束をとりつけた。
「明日は朝早くに出発するんだよね~。起きられる自信が無いから起こしてね」
「うん」
「帰ってきたら疲れちゃって荷ほどき忘れちゃうと思うから手伝って欲しいな〜?」
「うん。任せて」
誰よりも早く「おはよう」の挨拶を交わし、誰よりも早く「ただいま」の挨拶を交わす。 何気ないあたり前の時間を一緒に過ごす約束を――。
「――スフェーン、これを持っていってくれる?」
笑顔を取り戻したクリスから渡されたのは小さな魔石がついたブレスレットだった。魔石の色を見てスフェーンは驚いた。無色透明――すなわち最高ランクの品。大きさは小指の爪程度だが、この無色透明さは紛れもなく一級品。価格で言うならば城下で大きな家が二軒買えるほどだ。......そんな品物を持っていけと?
「無理! 無理無理無理無理む〜り〜!!」
スフェーンはクリスにブレスレットを突き返すがクリスは受けとらなかった。それどころか、スフェーンの右手首に装着してしまったのだ。
「ちょっと、クリス!? こんな高価の物、落としたり壊れたりしたら本末転倒なんだけど?」
「大丈夫。 気にしないでつけていて」
「そんなこと言われても……」
魔石には魔力を高める効力がある。何百年何千年の時を経て大地や樹木から産まれるため、女神の加護があるとされている。それ故、御守りとして重宝されている。
「とある筋から頂いた物でスフェーンの所に届くことを願っていたから大丈夫よ。 捨てようが売ろうが、それがスフェーンの意志なら口を狭みませんわ」
「捨てないよ、こんな高価な物!」
(......生活に困ったら担保に出すくらいはするかもしれないけど)
「はぁ~。 何か違う緊張感が増してきた」
「ふふっ」
スフェーンとクリスは再び笑いあった。
「それじゃあ、 行ってきます!」
クリスに起こされたスフェーンは共に朝食を摂った後、男装して学生寮を元気良く出発した。