第一話
「はぁ〜。やっと、お家だ」
スフェーン・ハーキマークォーツは山頂に見える自宅を仰ぎ見て胸をなでおろした。五日間の学校生活を終えやっと掴んだ休日。ほとんどの学生は学生寮に残り休日は友達と買い物をしたり自習して過ごすのだが、スフェーンは違う。片道三時間かかる距離を往復してでも帰る理由があるのだ。
「ただいまー」
元気良く玄関を開けて入ってきたスフェーンを迎えたのは一人の青年だった。
「おかえり、スフェーン! ああ、今日も可愛いいね!!」
スフェーンよりも明るい銀髪をなびかせて青年は満面の笑みを向けながらスフェーンに突進した。
「げっ!? ディアン兄様?」
長兄の抱きつき攻撃をかわしたスフェーンは怪訝な表情をした後「何で家にいるの?」と冷淡な態度を取った。
「ひどい! ここは僕のお家でもあるもん。 だから僕がいても良いんだもん」
「そういうことを言っているんじゃない! 仕事は? って言っているの! !」
「今日はお休みだもん」
スフェーンは若干の苛立ちを覚えた。
(25歳にもなろうという男の語尾が 「だもん」って......)
中世的な顔立ちなうえに、色白の肌。天真爛漫な性格もあってか自分がこの語尾を使うより違和感が無いのが女として悔しい。
「五日前から休みって言ってたよね ! ? そんなに長期休暇が取れるわけないでしょ。 また仕事さぼったわけ?」
「さぼってないもん ! 働き過ぎたから自主的に欠勤しているだけだもん」
「それをさぼりって言うんでしょうが ! ! 」
山あり谷ありの自国領までの道のりを進み、やっとたどりついたと思った矢先のこの不毛な会話。
(ここに来て疲れがドッと出てきたわ)
「ーーまあ、良いわ。 一応確認するけど父様と母様はどこ?」
この質問には意味がある。誰が今、この家に居るかで目的の達成率が大幅に関係してくるからだ。
「新しいダンジョンが出現したから二人で一狩り行っているよ」
「そう。ならディアン兄様だけなのね」
ふふふ。 とスフェーンは口元を緩めた。
「二人が帰ってこれないように今のうちに結界を張っておきましょ」
そう言った矢先ーー。
「ーーふむ。 閉め出される前に帰ってこられて良かったな」
突然、スフェーンの背後から男性の声が聞こえた。聞き覚えのある声の持ち主に振りむく。立っていたのは騎士団の服装に身を包んだ青年だった。ディアンより少し若いが表情筋が乏しいのか実年齢より老けてみえる。
「......ブラッド兄様ーーーー。なんでいるのよ」
スフェーンは落胆した。深いため息とともに出た声は消え入るほどに小さい。
「ーー仕事は?」
相手は違うが本日二回目の質問だ。
「ない! 明日も明後日もない! 自宅謹慎だ!!」
ブラッドは胸をはって言い切った。
「馬鹿なの!? 二ヶ月前も命令違反して先週、自宅謹慎が解けて出仕したばっかだったよね? それなのに、もう自宅謹慎!?」
「どこにでも気が合わない奴はいるってことだ」
腕組みをしながらブラッドは達観した表情で言ってのけた。
「ということで、ただいま」
「おかえり~ ブラッド。久しぶりに兄妹そろったね。何して遊ぶ?」
ディアンからの提案にブラッドは考え込み、スフェーンは頭を抱えた。
「この土・日曜日で掃除をしようと思っていた私の計画が全部パーだわ。図体がでかいってだけで邪魔なのに家事が一切出来ないお荷物たちがいるなんて......」
スフェーンは膝から崩れおちた。大丈夫かと心配してくれた兄二人の顔を見て「くっ!」と下唇をかむ。
(これくらいの障害でくじけちゃだめだ!)
意を決したスフェーンは無言で兄二人を玄関から部屋の奥へと追いやる。バルコニーに面している窓を開け、二人を放り出した。
「一ーとりあえず兄様たちはバルコニーに出ていて。私が良いって言うまで部屋に入ってこないでね」
スフェーンは一方的に告げてガチャリと窓の鍵を閉めた。ディアンもブラッドも「えっ!?」と驚きの声をあげたが時、すでに遅し。スフェーンは部屋を出た後だった。
兄二人がどんなに「寒いよ~」「......暇だ」と嘆いていてもスフェーンは聞く耳を持たなかった。スフェーンがやらなければいけないこと。それはーー。
ーー掃除。
ハーキマークォーツ家は貧乏貴族だ。伯爵という高い地位を得ていても辺境の地にあるためこれといった特産物は香りの強いお茶だけである。それ故、慢性的に財政難が続いている。その結果、使用人を雇う財力が無く、自分たちのことは自分たちでしなければいけないのだった。
「まずは洗濯ね。それから...... 台所を片付けてリビングから掃除ね」
物心ついた時からスフェーンは自分の身仕度や料理、掃除といった家庭的なことは全部やってきた。それも全て両親や兄二人が壊滅的に家事が出来ないからである。おかげで、どう動けば効率的に動けるか計算できるようになった。
(よし! 時間はあるようでないからね。さっさと始めよう)
スフェーンは自室に入り制服を脱ぎ捨て、動きやすい格好に着替えた。そして、肩まである髪を後ろでひとつにくくる。この長さなのはスフェーンなりにこだわりがあった。本来、令嬢の髪は長いのが一般的だ。だがスフェーンは手入れが面倒という理由で短くしている 。本当はもっと短くしたいのだが夜会などでドレスコートをする際、短いと華やかさに欠けてしまうため、付け毛をしていた。だが、このつけ毛をつけたり外したりするのが大変なのだ。そのため髪がくくれるギリギリの所を保っている。
ー通り、水仕事を終えた頃には日がだいぶ傾いていた。床掃除を明日にしようか考えたが、どうせならやれるうちにやっておきたい。
ここが最後のふんばり所だと気持ちを鼓舞する。
「とりあえず、リビングだけでもやろう!」
スフェーンが箒とちりとりを持った時、玄関からチャイムの音が聞こえた。駆け足で向かい、配達員から手紙を受けとったスフェーンは驚いた。
「な、なんで王宮から手紙が来るのよ!?」
王家の紋章が入った紙質の良い封筒。見るからに重要なお知らせが中に入っているとわかる代物だ。
いつ帰ってくるかわからない当主である父のかわりに恐る恐る封筒を開ける。
「え~と、なになに? ......再三に渡る警告にも関わらず貴家は義務を放棄したため、爵位を剥奪するものとーーする? ......なおーー500万クォーツを納税すれば......取消とーーす...... る? ......ーーえっ? えぇーーーー!?」
スフェーンは目を見開いた。おそらく16年という短くもない人生の中で一番、声を張りあげた瞬間だった。
「ご、500万クォーツって、そんな大金うちにあるわけないじゃないの!? そんな大金があるならメイドを雇ってるっつ~の!」
どこから、この金額を算出してきたのよ? 根拠を示しなさいよ、とスフェーンは叫んだ。500万クォーツと言ったらメイドを三人程一年間雇える金額だ。
(ーーいや、それよりも......)
「再三って何?」
スフェーンはもう一度、通達文書に目を通した。自室に戻り、初等科で使っていた国語辞典で『再三』の意味を調べる。
「再三とは、たびたび。しばしば。副詞的に用いる。ーーそうよね。私もそう記憶している」
ーーということは......。
(これが初めてではないってこと!?)
なんということだ。 後が無いなんて......。スフェーンは真相を確かめるためバルコニーに
向かった。
「兄様! これどういう意味!? 今までこの通告書を受けとっていたの? 父様たちは知っているの? 」
ガラス越しに兄達の姿を見たスフェーンは一気に捲し立てた。
「スフェーン! 寂しかったよー。会いたかったよ~!」
「干からびる一歩手前だったぞ?」
ディアンとブラッドはスフェーンの焦っている表情を見ても、どこ吹く風。 思い思いの言葉を口にした 。
ダン!!
スフェーンは怒りのままに、窓ガラスをたたいた。
「一ーーーディアン兄様。ブラッド兄様。私の話、聞いてた?」
聞いたことが無いぐらいの低い声。それに重なるピシッピシッと高い音。見れば、スフェーンの拳と窓ガラスの接着面から放射線状に何本か線が伸び続けていた。
さすがに怒らせたらまずいと思った二人は、取りつくろうように口々に話しはじめた。
「み、見たことはあったよ! でも、ちゃんと出仕しているから大丈夫かなぁ~って」
「そ、そうそう。 何だかんだで貴族としての義務は果たしているから大丈夫......だと思っていたんだが」
「うんうん。僕たち、ちゃんと働いているよね?」
「ああ。たまたま二人、出仕していない時期がかぶっただけ......だよな?」
二人は身を寄せあってお互いに弁護し続けた。だがスフェーンは終始、無言を貫く。
スフェーンよりも頭一つ分高い二人には、うつむいているスフェーンの表情は見えない。それが余計に恐い。 おかげで饒舌になる。
「父上も母上も気にしなくて良いって笑ってたし、なんなら平民になっても良いよね~って.....」
「ダンジョンマスターとして生計を立てても面白いかも...... とも言っていたから大丈夫だ」
今まで黙っていたスフェーンは勢い良く顔をあげ二人を睨みつけた。
「ーーーー何が大丈夫だって? 脳天気な両親と顔だけが取り柄の兄様たちが平民として暮らせるわけないでしょ!?」
平民、舐めるな! と、スフェーンは怒鳴った。まるで事の重大さがわかっていない二人に説教を続ける。
「毎日毎日、 汗水垂らしながら仕事が出来る? 朝早く起きて休みなく夜まで働ける? 雇い主の命令を聞ける?」
そんなこと出来ないでしょ? と目を合わせて現実を教える。当り前のことが出来ないから爵位が必要なのだ。夜会や晩餐会など貴族の華やかさが欲しいわけではない。人に仕えることが出来ないから人の上に立つ役職が必要なのだ。
自分たちに出来ること。
ーー否。
自分たちにしか出来ないこと。
それは体を張って力の弱い者たちを守ること。高い魔力を持って生まれ、類い稀なる戦闘センスを持っているからこそ叶うことなのだ。ハーキマークォーツ家が辺境伯として高い地位に君臨する理由がここにある。
「状況が把握できたのなら、お金を稼いでこい!!」
スフェーンは叫ぶと同時に転送魔法陣を発動させ兄二人を強制的にダンジョンが多く出現する魔の三角地帯へと送り込んだ。
「私もこうしちゃいられないわ! ギルドに行かなくちゃ!!」
掃除は二の次ねと諦め簡単に身仕たくを終えたスフェーンは急いで町へと向った。