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あれからボークラーク嬢と何度も週末を共に過ごした。
道端の雪はすっかり解けて、まだ肌寒さは残るが緑が芽吹いて春に近づいてきている。街は春の花まつりの準備が進んでおり、子供たちの笑い声が時折響いている。
街は活気づいているというのに相も変わらずこの店はガラガラだ。そのくせ【本日コーヒーお代わり無料】だったり【全品半額】だったり【ランチタイムクーポン発行!】など………こう、客単価を下げて新規を取り込む方法ではなく目玉商品を作ったり話題になるような…
………俺が気にすることでもないか、あとせめて一年潰れなければいい、むしろ客が増えたら困る。
余計な心配だと頭を振り、テーブル一面に広がった紙をまとめる。今日は道路整備の効率化と税金の公表の仕方についてが議題だった。
「そういえば……」
「ん?」
すっかり気さくにしゃべることにも慣れてきたので、前々から気になっていたことを聞いてみることにした………
「あの……あの日…君が馬車に乗るとき、俺が呼び止めた日なんだけど…」
「…うん」
俺が必死に呼び止めて、学園中のみんなから温かい目で見られることになったあの日…
「その……顔を合わせてくれなかったのは……やっぱり怒ってたから…?」
覗き込むようにボークラーク嬢を見ると、赤い顔をしてパクパクと何度か声にならない声を出してから俺以上にぼそぼそとしゃべり始めた
「その……怒ってたわけではなくて……医務室に行ったら大げさに治療されて…頬に大きな化膿止めのガーゼを貼られて……その…まるで……歯を痛めたときみたいにされたから……」
恥ずかしくて…と消え入りそうな声でしきりに前髪を手でとかしはじめた
「え、あ、……それだけ?」
そう聞くとボークラーク嬢の恥ずかしそうにうつむいていた目が少し吊り上がり眉間に皺が寄った。それを見て急いで「嫌われたかと思ったんだ」と弁解する。女性が怒った時は早めに対応するのが吉だと父がよく言い聞かせてくれたのを思い出した。
「…嫌ってなんかないよ、嫌ってたら今ここにいないさ」
確かにと納得して、ボークラーク嬢の眉間の皺がなくなったことと、嫌われてなかったという事実にほっと胸をなでおろした。
話していてボークラーク嬢もしっかりエリアスが板についてきたと思う。男子生徒と話しているのとほぼ変わらない気持ちでしゃべることができる。
ボークラーク嬢は外に視線を移し、道行く人を眺めて微笑んだ。
「もうそろそろ花祭りだね……」
「あぁ…街も華やいできた」
花まつりでは町中に花を飾って、親しい人に花を贈りあう祭りだ。それに便乗して大通りには数々の出店が出て、音楽家を目指しているものは思い思いの音楽を鳴らす。学園が近いこの周辺では貴族の目に留まろうと血眼になっている。
「ぼ……エリアスは、婚約者と?」
未だに俺はエリアス呼びになれていない、誰もいない店内で意味があるのかわからないが、もし誰かが聞いててもいいように言葉に気を付ける
「……いや、たぶん向こうは別の人と行くと思うよ」
さっきの微笑みは消えて、ため息交じりにエリアスは答えた
「…前から思っていたけど、それはどうなんだ?あんまりだと思うんだけど……」
学園内での殿下の噂は半年前と比べてとてもひどくなってきている、王家の人が現状を知れば生徒全員、不敬罪まったなしだ。
「…仕方ないよ、正直なとこ僕も一緒に行きたいとは思わないし」
あきらめような表情で、鼻で笑うエリアス。殿下の話をするといつも遠い目をして、せせら笑うのだ。その表情を見るたびに、胸の奥のところが苦しくなる。
「無理は良くないと思う…でも」
「ありがとう、いいんだ、婚約破棄することは決まってるし」
衝撃の事実に息をのむ、遅れてエリアスがしまったと口を押さえた
「え、な、 もしかして、俺のせい……」
「違う違う違う!ごめん、なんでもない気にしないで」
気にするなと言われてもありとあらゆる悪行が脳裏を駆け巡る、学園で二人で会っていたことか、共同で嘆願書を書いたことか…あるいは
いっこうに顔が晴れない俺を見て エリアスが「言ってはいけないんだけど」と話し始めた
「決まってたんだ、婚約破棄は……婚約した時から」
「え…それは」
急いで周りを見渡し、滅多に来ないほかの客がいないか確かめた、よし居ない。
「話を聞いても?他言しないと神に誓うよ」
利き腕を胸の前に持ってきて神に祈るポーズをとる。エリアスはそれをみて少し笑ってくれた。
「…その、何ていうか……婚約者のお父さんとお母さんはとても仲が良くて、政略結婚だったけれども大恋愛だったんだって」
その話がエリアスの婚約破棄に何が関係あるのか首をかしげる。今の国王と王妃は仲が睦まじいのは国民もよく知っている。歴代のなかでもなかなかの愛妻家と評判で支持もあつい。
「だから、自分の子にも【恋愛】をして欲しいとのことで」
「まさか…」
「手頃な爵位の婚約相手を一度平民に落とし、時期になったら爵位を引き上げて、会わせて……だけだと、婚約者希望が殺到するから、体裁を用意したってわけ」
言葉が出ない、それは、すべての貴族に対する裏切り行為だ。
ほとんどの貴族は対処的に動いているわけではない、水面下で先に先に誰と手を組むか数年先の未来を見据えて行動している。ボークラーク家が王家と手を結ぶことで数々の貴族が均衡を保とうと動いているのに、それが最初から嘘だったとなると。
謀反が起きてもおかしくない。
「なら、君はそんなに頑張って勉強する意味が……」
言いかけて気が付いた、それを周りは許さないだろう。それにエリアスがもし手を抜いていて、計画がバレたりしたら……ボークラーク家も一緒に非難されることになる。エリアスが優秀な婚約者であることで、殿下を支えようとしていることで、ボークラーク家の無罪が証明されるのだ。
「……そんな…」
「そんな顔しないで、昔から決まっていたから、今更どうも思わないよ」
「それを婚約者は……?」
エリアスは首を横に振った。君はどれほどの重圧に幼いころからさらされていたことだろう。
あきらめて笑うエリアス納得がいった。だから、君は、殿下の話をするとき、そんな心無い目をするのか。ギリギリと胸の奥の痛みが広がってくる。
「それにね!次から学園で気にしてみるといいよ!」
学園内には何人も王家直属の召使いがいて、殿下とイザベル嬢をたまたま鉢合わせようと走り回っているらしい。
「安全装置がついた運命の出会いってところか…」
「いいねそれ」
エリアスの顔に笑顔が戻った。それを見てすこし安堵する。
はたと気が付いた。彼女は殿下と婚約しないのなら、いったい誰と……
「え、エリアス……」
「ん?」
「その、なら、君の卒業後はどう…?」
たとえ王家からの裏切りがあろうと、天下のボークラーク家だ、大変優秀なエリアスのことだ、引く手あまただろう。。彼女が幸せになる未来がまっているのだろうか………また胸の奥の方がずきりと傷んだ
「さぁ、父さんに何か考えがあるのか、知らない……今他国で勉強している兄さんが帰ってくるから後継者の問題はなさそうだけど」
「そう……」
「まぁ、貴族に生まれたからには、最低限の義務は果たしたいけどね」
貴族の義務、それは、民により良い生活を送ってもらうためにあの手この手を尽くすことだ。エリアスの言葉には、修道院に入りたくないとの意味が含まれている。神に仕えたくない。民に尽くしたいのだと。こんな目にあっても君は……国民のことを思うのか……
真摯なエリアスを見て、雷に打たれたような衝撃が走る。
衝撃の次に、俺の奥底から
この人と一緒にいたい、
と囁く声が聞こえる。
「フィン?大丈夫?」
「あ、あぁ。」
あまり大丈夫では無い、たった今気づいてしまった感情を落ち着かせる………。生まれて初めてもっと高い身分で生まれなかったこの身を恨んだ。
「エリアスはもっと人生楽しんでいいと思う……」
学園に入る前に父から教わった【誘い方】を試す、仕方ないと思わせるのがコツらしい。しかし…仕方ないと思わせるってどうすれば…? こんなことなら邪険にしないでもっとよく話を聞いておくべきだった…。
「え?う、うん。ありがとう。いまとっても楽しんでるから」
はにかむエリアスを見て、俺の頭はゴンッとテーブルに吸い込まれていった。自覚してしまった感情が心臓でドコドコ暴れ回る。頭をぶつけた俺を見てエリアスは心配そうにしている
「……それでも、いや、だから、…違う…」
「フィン?どうした?足りない資料でも」
「エリアス」
「うん?」
大きく深呼吸をした、思いを伝えるだけなら簡単だ、でも、その思いを実現させるにはハードルが山ほどある。今は行動あるのみ。
「一緒に花まつりに行かないか」
少々声は震えていた気がするが、俺の誘いを聞くや否や「行く!!!!」と元気な返事が返ってきてエリアスは喜んだ。
行ってみたかった、初めていく、と今から浮かれているエリアスを見ながら、俺は母が詰めた三本のネクタイのうちどれが一番上等だったかを思いだそうと必死だった。