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「ふざけるな!」
怒号とともに陶器が割れる音が響いた。
その場にいた全員が音の方に視線を向けた、いつもは賑わいを見せている生徒専用のカフェテリアも今は皆が固唾をのんでいる。
あのボークラーク公爵令嬢が頭からコーヒーをかぶっていて、その頬には一筋赤い線がうかんでいるのだ。足元には王都で最近流行り始めた最新のカップとソーサーが見るも無残に砕け散っている。
「この女狐め…!」
殿下の目には憎悪と軽蔑の色が浮かんでいる。
「なにか、お気に障ることを、」
「言い逃れするつもりか!!卑怯者!!」
さらなる大きい声に、微動だにしないボークラーク公爵令嬢を除いてその場にいるほとんどのものが体を震わせた、
「あぁすまないイジー、君を驚かせるつもりじゃないんだ」
別人のような甘い声で殿下は隣にいる男爵令嬢に頬を寄せる。
カフェテリアの二階は王族かその関係者以外入ってはいけないと暗黙の了解があったが、あの令嬢が殿下の隣に並び始めてから殿下のお気に入り専用スペースと生徒は認識を改めている。
「いぇ、でも、あんまりおこらないであげてくださぃ」
イザベル男爵令嬢は栗毛色の髪を頬に寄せ、涙を限界まで浮かべた瞳で殿下を見上げた。
「イジーは優しいな、でもこいつと話を付けなくてはならないから少しまっていて」
殿下はイザベル男爵令嬢の前にテーブルいっぱいの菓子を用意してから、またボークラーク公爵令嬢を睨みつけた。
そうこうしている間に数分前とは比べて倍ほどの野次馬が集まり始めた。
「王家の婚約者という身に余る名誉をお前は受けているのに、その名誉に泥をぬったな」
泥を塗っているのはお前の方だと その場にいる生徒は心をそろえた。貴族では知らない者はいないボークラーク公爵令嬢は幼いころから王妃教育を受けていてこの場にいる誰よりも完璧なレディである。その公爵令嬢をぞんざいに扱い男爵令嬢にうつつを抜かしているのは殿下の方だ。
もちろん何人もの生徒があれでいいのかと公爵令嬢に話をしたが「殿下も息抜きが必要です、学生のうちしか自由にできませんから」と物悲しそう答えられ、黙るしかなかった。確かに、確かにこれから先、王族に自由は一切ない、何をするにも従者がつき監視され完璧を求められそれに答えなくてはならない。
だが、ボークラーク公爵令嬢があんまりではないか、と誰もが思った。
「泥を…… 身に覚えがありません」
「まだ言うか!!男子生徒と密会していたのだろう!!」
なんだって、先ほどまで静寂包まれてた生徒がざわざわと騒ぎ始める。とくに女子生徒はソワソワと「そういえばこの前」「あの時かしら」と目撃情報を共有し始めた。
ついにボークラーク公爵令嬢が!殿下ばかりであんまりだ!相手は誰だ!
「…どちらの男子生徒でしょうか」
「知らん、名前を聞くのもおぞましい、たしか、特待生とか言ったな」
知らんという一言に皆が口を開け、特待生という一言に皆が顔を青ざめた。
「それは……先生方から許可も」
「黙れ!見苦しい!!」
ボークラーク公爵令嬢の言葉はぴしゃりと遮られた。先ほどまでとは違った意味で周囲がざわつきはじめる。
殿下はアレを見ていないのか??
今朝学園内の掲示板に、エリオット・ボークラーク公爵令嬢とフィンレイ・ラウザー男爵令息の国内の疫病に関する改善、原因解明に関する報告書が掲示された。掲示板には詳細について興味があるものは教員室までと書いてあり、大勢の生徒が押し寄せた。
どの領地にも関係があり、いつか自分が被害を被るかもしれない、さらには生徒が作った報告書だなんてと興味津々で見に行ったが、すべて読み理解した者は一握りの生徒だけだった。
目の眩むような膨大な情報量、各地域で起きた疫病の病状に罹患者数、感染力、死亡率、事細かにまとめられており、地域別の感染ルートの解明、改善策と今後の予防、国民への勧告。
自分たちなら、一生をかけないと作れない量と質の報告書だ。
特待生のフィンレイ・ラウザー男爵令息は、今朝からボークラーク公爵令嬢に次いでこの学園では知らぬものはいなくなった。
男子生徒の密会……野次馬に来ていた生徒は小声で「殿下の勘違いだ」「あの素晴らしい報告書を見てないなんて」「自分は男爵令嬢に目がくらんでいるくせに」「王族の義務を果たしていない」と思い思いの言葉を交わしてる
殿下の耳には届かないが、その場の空気が不穏なものになったのは、殿下にでもわかったようだ。だが殿下は何か勘違いをしているのか、今度は得意げになっている。
「みなお前の醜態を知っているようだな、哀れな奴め」
腕を組みボークラーク公爵令嬢を見下す殿下に皆が眉間に皺を寄せた。
「ご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございません」
深々と頭をさげる公爵令嬢、下げたアクアブルーの髪からは茶色いコーヒーが滴っている。
「もう一度身の程をわきまえろ、当分俺の間に現れるな、不愉快だ」
殿下が吐き捨てるとボークラーク公爵令嬢は華麗なカーテシーを披露して、その場を下がった。
シャツにもじわじわと染みるコーヒーをものともせず、背筋を伸ばしたまま公爵令嬢はカフェテリアをあとにした。後からすれ違った者に聞いたが、ひき立てのコーヒーの香りがしたそうだ、まだ熱いコーヒーをかけられたに違いない。
公爵令嬢が立ち去った後、何も話を聞かず菓子を食べていたイザベル男爵令嬢に殿下はさらなる菓子を用意させていた。
その場にいた全員の心に、殿下への不信感が募っていった。