26
全力で夜の街を駆け抜ける。
馬の全力疾走はそう長くは持たない。街を抜けるまでもってくれれば…
馬の呼吸がどんどん上がっていき乗っていても体温が上がってきているのを感じる
風は凍てつくように冷たいが構っていられない
街の外に差し掛かると石畳が終わる、馬から伝わってくる振動が変わった。
「……見えた」
町外れの路肩にローブを被った人が数人立っている、暗闇に溶け込んでよく見ないと見落としてしまいそうだ。
馬の手綱を引き速度を落とす、まだ走れるまだ走れると勇む馬を落ち着かせる。
「お嬢様!」
真っ黒いローブのフードが外れると見知った顔が現れる。ボークラーク家の使用人だ。奥から別の使用人が新たな馬を連れてきた。
「ありがとう、ごめんなさいこんな遅くに」
今自分が乗っている馬から、新しい馬に飛び乗る。いちいち降りたりなどしない。
「いえ、滅相もない…あと道中に8カ所ほど待機させておりますのでお立ち寄りください」
フィンの領地までの道のりを一頭の馬で走り抜けようとしたら馬がダメになってしまう。
前もって先に出発したフィンと一緒に馬と付き人を多めに出させたのだ。これで最後まで走り抜けられる。
「街の交通整備助かったわ」
全力疾走する馬の前にうっかり飛び出して仕舞えば、飛び出した人も馬も私も、ほぼ命はないだろう。
馬に蹴られれば頭骨が割れるし、馬は足が折れてしまうと死ぬしかない。そこから投げ出される私も馬に轢かれるかもしれないしどこに投げ出されるかわからない。
それを懸念して私が通るルートに人払いを頼んだのだ。今日は公爵家で1番警備が手薄な日になった事だろう。
「…それで、そこの2人は」
最低限の人数でといったのに想定より多い… 申し訳なさそうにフードが外れる……
メイド長とメイドが顔を出した。
「あなた達……」
「申し訳ございません!お嬢様を最後に一目……」
「いいの、別に咎めるつもりはないわ。こんな遅くにありがとう」
メイド長は目に涙を浮かべている…最後の最後に彼女がこんなに表情豊かだったと知るなんて……
もう1人のメイドは、じっと俯いて チラリと私を見るだけだった。
「メリー…」
名前を呼ぶと弾けたようにメイドは顔を上げた、顔に「どうして名前を」と書いてある。
「あなたがカフェで淹れてくれたコーヒー、とっても美味しかったわ」
メイドは驚愕の色を顔に浮かべた後、目から大粒の涙をポロポロこぼした。
「…お、じょっさま……わたし…わたし…!」
「……また、淹れてくれる?」
「もっもちろんです!お嬢様がお望みとあれば…!どこでも…!!」
にこりと微笑むと、メイドは涙を流したまま微笑み返す。
乗っている馬が早く走らせろと落ち着きがなくなってきた、もう出発しなくては……
「「「お気をつけて、いらっしゃいませ」」」
気迫さえ感じる一糸乱れぬ見送りは、公爵家で毎日見たものだった。
「行ってきます…!」
そう言ってまた駆け出した。
街灯がほとんどない道は路肩に雪が積もっている。
満月の明るい月明かりが雪に反射して曇りの日中くらいには明るい。
これ以上ないほど上手く事が運んでいる。
殿下が雇ったゴロツキは、問答無用で捕まえにかかるプロ意識が高い奴らではなかったし
そもそも殿下が標的をフィンに変えなかった。
天候だって、空には星がさんさんと輝いている。当分崩れることはなさそうだ。
こんなに上手く事が運んでいるのに、
うっかりしていると涙がこぼれそうになる。
公爵家の娘として生きてきた今までと、これからと
歩けるようになれば、姿勢を正された
言葉を喋れるようになれば、言葉遣いを正された
考えられるようになれば、さまざまな知識を詰め込まれた。
全て殿下のために、
そうして正式に婚約を結んだ日、偽物の婚約者になれと告げられる。
拒否権なんてない、私は会ったことのない殿下の力になりたくて変わらぬ努力を続けた。
だって、偽物でも、その日までは私が殿下の婚約者なのだから…
殿下にあって初めて国政の話になったとき、殿下があまりにも的外れな事を言い始めたので、それとなーく、やんわーりと意見を出したら
「女が口出しするな、黙っていろ」
そう一蹴されてしまった。本当に頭を蹴られたような衝撃だった。
なら、わたしは、いったい、なんのために、
近寄ってくる人はわざと冷たい態度で敬遠した。だって、私に擦り寄っても最終的には裏切る形になってしまうから。
早く破棄したかった、何にも楽しい事がない、なんの役にも立てない
毎日が無気力だったある日、フィンと授業で一緒になった。
高飛車な態度をとって、どうせ煙たがられておしまい、なんの期待もしてなかった。
しかし、フィンは覚悟を決めた顔をすると 予想以上に前向きな態度で接してくれた。
一度集中すると周りが見えなくなるようでのめり込むように資料を見比べ始めたフィン。
適当に終わらせようと用意していた選択肢は彼に却下された。
彼は集中すると考えている事が口から出てしまうタイプらしく、こぼれ落ちた言葉を注意して聞くと、自分以上に真剣に課題に向き合っているのがわかった。
こぼれ落ちたヒントをかき集めて似合う資料をスッと差し出すとフィンは飛びついた
お、面白い…!
彼になら、自分の本当の意見が言えるかも、
勇気を振り絞って地図を指差しながら意見を言う。気合を入れすぎてテーブルを強めに叩いてしまった。
フィンは少し呆けたあと、私の意見に聞き入ってくれた。 彼と目が合う。
そこからはほとんど会話らしい会話がなかった、フィンの口からこぼれたヒントを聞いてテーブルに新しい資料をだす、もういらなそうな資料はかたして作業スペースの確保、頭の奥がパチパチとはじけるように痛く。走ってもいないのに息が上がった。
私は今、役に立っている。
生きている実感が湧いた。
出来上がった資料は、これ以上ない最高の仕上がりとなった。
私は興奮が冷めないのを実感した、それなのにフィンは粛々と帰る支度を始める……
思わず引き止めてまた話し合わないか誘うと、フィンは私よりも部屋の資料をみてごくりと喉を鳴らした
「お、俺でよければ……」
きっと彼はポーカーフェイスが苦手なんだろうと悟る。
そうしていくつもの話し合いをした。フィンの意見はまさに現場の息を感じる意見ばかりだった、
楽しかった。本当に楽しかった。
でもそれがまずかったのか、殿下に目をつけられた。
失念していた、この学園の中には殿下の従者が至る所にいるのに……
フィンは何も悪くない、悪くないのに、
彼は額に汗を浮かべて、馬車の停留所まで走って来てくれた。
その場にいなかったので誰かから聞いたのだろう、そのまま聞き流すこともできたのに。
そうして真摯に謝ってくれた、何にも悪くないのに。
一つの決意した。
このまま殿下の思い通りになってたまるか。
そうしてフィンとなんとかカフェで会う関係にこじつける。
あのカフェは私が用意したダミーだと言うのに、律儀に周りの席を確認して道路を警戒するフィンが面白くって未だに真相は話していない。
今、あの日走って私の元に駆けつけてくれたフィンに応えたい。
闇夜を駆け抜ける、東の夜空が明るくなってきたのがチラリと見えた。