12
馬車は柔らかく揺れる。何度か気を失いかけた。大きなあくびが出る。馬車の揺れも正直気分が悪くなり吐きそうだったが、幸いにも胃が空っぽだったので何も吐かずに済んだ。
馬車の揺れか目眩かわからなくなった頃、ドアが開かれる。差し込む光は鋭く、夏の気配を感じた。
馬車から降りると、白亜の豪邸が目に飛び込んで来る、夏の光を反射して前に見た時よりも光り輝いて見えた。
「こちらへ」
前回同様にメイドに案内をされて進む、荷物を抱え直した。大きなドアが開く。
扉が開くと緑の葉の刺繍が施されたワンピースを身に纏ったエリオットが現れた。涼やかな髪色と相まって夏の妖精のようだ。
「ようこそお…………いでくださいました」
拍手を送りたくなるような綺麗なカーテシーをしたエリオットは、俺を見て固まった。エリオットの顔を久々に見た。かわいい。
「こちらこそお招きいただき感謝します」
決まった台詞を交わして歩き始めようとすると、エリオットが斜め前に立った。なんだろうか。
「………エスコートしていただけますか?」
なんだエスコートか、あれ、招かれた側が、いや?俺がお願いして来ているから……うん?でもエリオットが手を差し伸べている、俺に、へへ
「よろこんで」
微笑んでエリオットの手を取ろうとすると、寸前で手を掴まれた、俺の手が上になるようにエリオットは寄り添う。
あれ、?普通、男が女性の手を支えるようにあるくのでは、え、でも、エリオットは背筋を伸ばして、凛としている。相変わらず綺麗、そういえばエリオットの手を繋ぐのなんてひさびさ、綺麗な手だな、ほそくて、ちいさくて、
エリオットが勢いよく俺の方を向いた、どうしたんだろう。大きな瞳はこれでもかと言うほど見開かれている。
エリオットと目を合わせる。見開かれた瞳にはシャンデリアが飲み込まれていて、こんなにきらきら光るものは見たことがない。星空を詰めたってこの輝きには敵わないだろう。
ボンッと音が鳴ったかと錯覚するぐらいエリオットの顔が赤くなる。きょうはどうしたんだろうか、具合が悪いのか、無理はしないでほしいが……
メイドが一つ咳払いをした。エリオットはそれを合図に前を向いて歩き始める、公爵家の床はふかふかしてあるきやすいな。
部屋についてソファに座ると、エリオットはメイドにあれこれ注文し始めた。
「暖かい紅茶……いえ白湯と何か食べるものを、消化にいいものを用意してちょうだい。それから……」
急いでとメイドに頼むエリオット、メイドはコクコクと頷いて急足で部屋から出て行った。ふふ
「そんなにお腹が空いていたのか?」
通りでさっきから様子がおかしいと思った。お腹が空いていたんだ。エリオットにも年相応の可愛らしいところもあるんだと微笑みながらエリオットを見るとエリオットは深い深いため息をついた、寮長がしていたため息に似ていた。
「またせた………かね」
公爵様が入って来たことに気付かなかった。急いで立ち上がり挨拶をする。
「いえ、お招きいただき感謝します」
公爵様はすぐに俺を座らせ、メイドを呼ぼうとした、が、エリオットが「手配しております」と制した。すごい、親子になるとエリオットがお腹が空いているのがひとめでわかるのか、俺もいつかエリオットの些細な変化に気づけるようになりたいものだ。
「……さっそく本題に入ろうか」
すぐにまとめた紙束を公爵様に渡す。深呼吸をもう一度した。
「拝見するよ」
そう言って紙をめくる公爵様は一枚目で動きが止まった。
「……平民の児童向けの無料学習機関の設立………」
「はい」
公爵様はとても苦い顔をした、それを見てエリオットの表情も曇る。
「……残念だが、この議題は何度か私たちも話し合ったことがある」
「…はい」
「まず、郊外に住む平民の子供は貴重な働き手だ。わざわざ向かわせる意味がない。それに無料……資金はどうする、教える教員は、とても現実的ではない」
公爵様は俺のまとめた紙束をテーブルに置いた。
「はい、公爵様、
紙の下の方に、数字が振ってあります」
突然の俺の申し出に公爵様はポカンと口を開けた、もう一度紙をめくる、確かに書いてある。だがそれがどうしたと言うのか。
「38と書いてある紙をご覧ください」
本来ならもう一部作れば説明もスムーズに行ったのだろう、しかしそんな時間はなかった。まぁ、全て頭に入っているので、不便はない。
怪訝な顔で公爵様はページをくる
「………農業組合の設立…?」
「はい」
俺は少し前のめりで説明した。
「郊外に住む平民のほとんどが農業に従事しています、農家は朝から晩まで作物の面倒をみなくてはなりません。そこでの子供たちは立派な働き手です。そこで、 組合費用として、一律の金額を納めたものに農業組合への加入をしてもらいます。」
「その農業組合で集めたお金で、最新の農機具を買います。組合に所属している農家たちでその農機具を共有するのです。1人では買えない効率的な農機具も、皆が合わされば買うことができます。そうすれば少し人手に空きができるはずです。」
「さらには、その農業組合には、作物の売買、流通もしてもらいます。一農家での小売には限界があります。周辺一帯の農家たちから買い、別の地域に住んでいる人に売る。そうすることでより大きな利益を得れるかと」
資料をめくる音がする。話しながらめくったページの数を数える。
「今ご覧の43枚目に作物の効率的な育成法が書いてあります」
公爵様は資料から目を離さない
「……この、育成法では多くの種類の作物は育たないのでは……?」
「はい、そこが今までと違うところです。
今までは食のバランスを考えて作物を育てていました。しかし、それは効率が悪いのです。その土地その土地に育ちやすい作物、育ちにくい作物があります」
「その土地にあったものを育て、各々が作物のクオリティを上げ、生産量を上げ、それを流通させれば、より良い出来の作物を全員が手に入れることができます。飢餓の心配もなくなり経済も回るようになります。余裕ができれば子供を学習させることも選択肢に入ってくるはずです。今までの農業が閉鎖的すぎるのです。」
「学習機関の長期休みは、貴族のような社交シーズンはなく、収穫期、植え付け期などを考慮すべきだと思います。算術を覚えた子供は重宝されることでしょう」
ツラツラと話していたが、相手のことを見ていなかった。
公爵様は食い入るように資料を見ている。見にくかっただろうか。
「……この、57枚目の、この絵は、何かね」
あぁ、それは……
「文章だと見にくいので 作物の必要量と過剰量がわかりやすいように図にしてみました」
俺が書いたのは縦軸に生産量、横軸に生産農家の規模が書いてある。そこに棒を見立てたグラフを書き、棒の高さで生産量がわかるようになっている。赤い線を横に一本引き、それより生産量の棒が上にいくと、価格の崩壊や作物の廃棄といった問題が出てくるデットラインを示した。
「前半は農業についての改善策ですが、中盤は小売、物流路の再確認、後半は学習機関を無料で経営するための資金案が書いてあります。」
「これは……」
部屋に紙をめくる音が響く。
説明不足があっただろうか、矛盾があっただろうか。
未だ、公爵様の眉間から、シワが取れない。
手が、震える。
「……にが、」
俺の言葉に部屋にいる全員が顔を上げた。
「何が悪かったでしょうか!!!ご指摘いただければやり直します!今すぐに!!」
立ち上がり叫ぶように訴える俺をエリオットがすがりついてくる。ごめん、ごめん不甲斐なくて、俺の精一杯でも、届かなかった、でも、まだ、できるなら、なんでもするから、
「お、落ち着きたまえ……座って、」
肩で息をするのを落ち着かせて、ソファに座る。まだ間に合うなら…まだ間に合ってくれ……
「正直に話そう、」
公爵様はよく通る声で話し始めた
「素晴らしい出来だよ。思った以上に素晴らしい……これは、内容もそうだが書き方にも価値がある。」
え、…それは、つまり。 エリオットが俺の腕を嬉しそうに掴んだ。
「少しでも、穴があれば 婚約を認めないつもりでいたが……ぐうの音も出ない。今後の手続きは全て私の方で進めておくよ、」
公爵様が、笑っている。 となりをみる、エリオットも笑ってる。
「それは、つまり………」
「娘との結婚を認めるよ」
その一言で肩も力が抜けた、同時に頭に登っていた血が一斉に降りてくるような感覚が体を支配する。
「…フィン!すごい!すごいわ!」
エリオットが笑ってる、おれは、きみと、けっこんできる。
思わず、笑みが溢れた。
「よか…………った」
こうしゃくけの、ゆか、は、ふかふかだ。
そこで俺の記憶は途絶えた。