42.リリィ・ヴィユノークという女(1)
王家のパーティーが終わった数日後、ヴィユノーク子爵の令嬢から手紙が来た。
どうやら訊ねたいことがあるらしく、私の家に訪問したいということだった。
父上宛や母上宛なら分かる。
けれど宛先は何故か私になっていた。
馬車でやってきたのは、二十代前半の女性だった。
私の見た目年齢よりも、母とのほうが歳が近そうだった。
「はじめまして。アナスタシア様。突然の訪問を失礼いたしますわ」
ピンクブロンドの髪をなびかせて、彼女は丁寧なお辞儀をしてくれた。
瞳の色は黄金色。とても綺麗で美しい瞳の女性だった。
手紙が来てから、ヴィユノーク子爵家について急いで調べた。
シャターリア家とはほぼ関わりのない家だ。この間の年明けパーティーでもいなかった。
それなのに、何故、しかも私宛に連絡が来たのか……。
「はじめまして。ヴィユノーク様」
「いえ、私のことは気軽にリリィと呼んでくださいませ」
「そんな、年上の女性に言えません。では、間をとってリリィ様と」
「はい」
リリィの笑みは花よりも可憐で美しかった。
◆
貴賓室でメイドがお茶とケーキスタンドを用意してくれていた。
今日のケーキはアップルケーキだった。残っていたらあとでカンパネラにあげよう。きっと喜ぶ。
リリィの瞳に曇りはない。
何か裏で企んでいるというタイプでもなさそうだ。
「あの、先日の王家のパーティーで貴方と話していた人について、少し気になって……」
「……私と、ですか?」
王家のパーティーではたくさんの人と挨拶を交わした。
王子の婚約者候補の筆頭だったから、私に挨拶する人はたくさんいた。
「エクエスという男性のことなんですが……」
と彼女は顔を赤く染めて言った。
エクエス……? そんな名前の人はいなかった。
「失礼ですが、そのような方はおりませんでした」
「いいえ、いました! 名前を変えてるかもしれません。あのシルクハットを被った、英国調の男性です。30代くらいの……」
彼女はあたふたとしながら必死に伝えようとしてきた。
シルクハットを被った英国調の男性――30代くらい。
ひとり、思い当たった者がいた。
「ルイス・ベイカー様のことでしょうか?」
「……ルイス、今はそう名乗っているのですね。おそらくそうだと思います」
彼女は俯いてしまった。
「ルイス様について、私はあまり存じません。貿易商ということと、元騎士であることと、お名前くらいしか……」
「貿易商……そうなんですね。よかった。ちゃんと生きていてくれたのね」
彼女はほっと胸をなでおろした。
どうも話がわからない。
「あの……リリィ様、答えにくければ答えなくてもいいのですが……ベイカー様とはどういったご関係で?」
もしかしたら、怨恨の相手かもしれない。
うっかり口を滑らせて、名前と職業を教えてしまったから、一応聞いておかなければいけない。
もしも明日ベイカーが消えたら、私のうっかりさが原因になってしまうかもしれない。
「そうですね。面白い話ではないのですが、彼は昔、私の家で働いていた使用人だったのです。私にとってエクエス……いいえ、ルイスは歳が近かったから、私にとっては兄のような存在でして……」
彼女の頬が少しずつ赤く染まっていく。
手遊びが多くなる。
「ある日、彼は失踪しました。突然いなくなったのです。私は事件に巻き込まれたのではないかと心配で、何年もずっと探していて……」
ほろっと、彼女の瞳から涙が溢れた。
「もう、諦めかけておりました。もう亡くなってしまったのだと、両親には説得されたのですが、私は一縷の望みを抱いてました。そうしたら……先日のパーティで彼に似た人を見かけて……」
彼女の涙は、堰をきったようにぼろぼろと溢れ出した。
綺麗な刺繍の施されたハンカチで彼女は涙を拭う。
「別人かと思いました。けれど、あの人はどうみても私のエクエスでした……。目つきも表情も別人のように変わり果てていましたが、きっと、いえ絶対に、エクエスです」
リリィはハンカチを握りしめて、断言した。
「アナスタシア様、どうか、彼との連絡を取り次いでいただけませんか? 私はエクエス――いいえ、ルイスと話がしたいんです」
「事情はわかりました。でも……どうして母や父ではなく、まだ幼い私なのですか?」
「彼は子どもが好きなんです。……あと、おおごとにしたくないのです。貴方のお父様に頼んでしまうと、家と商人の話になってしまいます。貴方のお母様に頼むと、もしかすると、変な噂がたってしまうかもしれませんし……」
お母様に不貞の噂がたってしまうかもしれない。
女性が突然男を呼び出すのはあまりよろしくない。それが貿易商であっても。
それに母は今、妊娠中だ。いらぬ気を回させたくない。
「わかりました。では、私から彼に手紙を出してみます。子どもからの手紙なので、イタズラかと思われるかもしれませんが」
「……お願いします。あぁ……エクエス……」
彼女は、ほぅっとため息をついた。涙で濡れた目元をハンカチで拭う彼女の姿は、どう見ても恋する乙女だった。
「それにしても、やはり噂通り、アナスタシア様は聡明な方ですね。とても12歳とは思えません」
……どきんっと胸が跳ねる。
「ち、父の教育が厳しいので……よく言われます……」
と、私は言葉を濁しておいた。
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