15.国の裏側(1)
それは一瞬のことだった。
目を塞がれ、腹に腕を抱えられてしまった。
そして軽い浮遊感と、しゅるしゅるしゅる――となにかを巻き上げる音が耳に届く。
油断した。
ここは屋敷じゃないのだ。
一歩外に出て、ズドンと刺されることなんて当たり前にある場所だ。
とんっと、どこかに下り立った音がした。
私は担がれたままなので、どこにも下り立てない。
ようやく相手は視界を解放してくれた。
ここは屋根の上だった。
先程の家のすぐ上。貧民街が遠くまで見える。
「あんたが噂の魔女様か」
目の前に立っていたのは青年だった。
まだ20にも満たない程の見た目で、灰色の髪がざっくばらんに切られている。
彼は私を品定めするような目で見ていた。
「……魔女?」
そんなこと、言われたこともなかったわ。
「俺らの間では話題になってるんだよ。ガキが診察をしてくれて、それがピンポイントに当たって回復するって」
「医者は連れの方だけど」
と私はカンパネラを示す。
「いや。連れは手伝いしかしてないって聞いた。処置も縫合もお前さんがやってるんだってな?」
「……」
たしかに。
無理のある設定だったか。
手術まで大掛かりなことはできないけれど、傷の縫合を12歳の子どもがこなしていたら、変だと思うわよね。
「それで、何の用? いや、用を話す前に降ろしてちょうだい」
「あぁ、用って言うのは……俺の妹を治してほしいんだ」
「それならこんなややこしい手を使わなくても……」
と、言った時、後ろから抱きしめられた。
いつも嗅いでいる優しい香り。そしてそのぬくもり。
「アーさん、大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫よ」
カンパネラはほっとした表情を浮かべたあと、男を強い目で睨みつけた。
「……何をした?」
カンパネラの声は地の底から沸き立つような低い声だった。
「な……なにも……」
飄々としていた青年が、カンパネラの言葉に言いよどんでいる。
「カンパネラ。大丈夫よ?」
「……アーさんがそう言うなら」
「おっかねぇ付き人がいるんだな。……兄さん、そんなヒョロっこい身体でどんだけ力を蓄えてるんだ?」
「…………」
カンパネラは無言を貫く。
「……へいへい、答えたくないってか」
「えっと、妹さんを見てほしいのよね? 今日? それとも明日? できれば日が沈む前に帰りたいのだけど……」
「今日中に見てほしい。どうすればいいのか、何をすればいいのかがわからないから……」
「わかったわ。じゃあ、あなたと患者の名前を教えて」
「…………」
「何驚いてるの?」
「いや、そんなにあっさりと見てもらえるとは思わなかったからさ。医者っつう奴らは高い金を要求してくるのかと思ってた」
「だからわざわざ私を攫ったの? 私は攫われなくても、どんな患者でも診ているつもりよ。お金は出世払いで返してくれればそれでいいわ」
「小せぇのに態度はでけぇんだな。さすが魔女様だ。俺の名前はイヴァン、妹の名前はサーシャだ」
「わかったわ。……ごめんなさい、カンパネラ、帰りはもう少し遅くなりそうだわ」
「アーさんが決めたのなら、俺はそれに従いますよ」
そう言って、カンパネラは私をひょいっと抱き上げて、肩の上にのせた。
「か、カンパネラ。恥ずかしいわ」
「いやぁ、大好きなアーさんを他の男に抱っこされたっていうのが、ちょっとイラッとしまして」
カンパネラは笑顔で言いのけた。
……この竜、まさか嫉妬したというの?
いや、そんな、まさか……ねぇ。