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白く、まあるい月から、黒いシミのようなものが滲み出てきて、それが徐々に姿を形作る。
月生物。
月の魔獣。
異世界からの訪問者。
ほろり、ほろり。パラリ、パラリと。黒く暗く深い闇を纏って獣が吠えた。
「ああ、いつ見てもおぞましいーー」
窓の外、淡い光を放ちながら絡み合う二つの巨大な怪物を眺めながらフィディックは呟いた。
「そういえば……響博士は微生物の研究をしていましたね」
「何と言いましたか、アレは」
リベットが同じ部屋に居るであろう人物に声を掛ける。
「ロイコクロディウム」
いつの間にか山崎が二人の傍らに立ち、同じように窓の外に視線を向けて答えた。
「自らを贄にする生物……まるでウロボロスの蛇のようだな」
「ウロボロス?」
山崎が訊ねる。
「古代エジプト文明にみられる死と再生の象徴ですよ」
フィディックは窓の外を眺めながら答えた。
自らの尾を咥えた蛇ーーそれが象徴するのは死と再生、破壊と創造、無限の循環。
遠くの、それでもありありと見えるほど巨大な二匹の竜が、夜空に浮かぶ月の光に照されながら激しく互いを喰らい合う。
咆哮ーーーー悲鳴。
或いは狂喜による笑い声か。短く高い叫び、低く長い唸りが地響きのように伝わり、その場にいる者の身を震わせた。
「人間とその他の動物の違いは何だと思いますか」
フィディックが訊いた。
「本能を理性で抑えられる事ですかね」
山崎が答える。
「そうですね。それもあるでしょう。しかし、それは『個』の存続に関わる事象に対して『種』としてのブレーキが掛かるのではないのかとも思うのです」
「それが理性の本質だと?」
「多分ね」
フィディックは嗤った。
「私はね、人間は無を有としてとらえる事が出来る地球上、唯一の生物なんではないかと考えています。つまり、想像力」
フィディックは視線を隣に立つ男に向けて訊ねる。
「山崎さんは、神は存在すると思いますか」
山崎は窓の外を眺めながら、質問に対して心の中で蔑みながら答えた。
「神ねぇ……僕は科学者なのでデータに基づかなければ何とも答えようがないですね。まあ、強いて云うなら、神が人間を作り出したのでは無く、人間が神を作り出したのだーーとでも」
「はは。まるでニーチェの思想の様ですね。科学者は一概に不可知論者かと思ってましたが、山崎さんは案外、ロマンチストだ」
フィディックは視線を窓の外へと戻した。
「『我々一人ひとりの気が狂うことは稀である。しかし、集団においては、日常茶飯事なのだ』」
まさに今、深淵を覗かんとする考古学者の呟きに、怪物を見たかのように山崎は顔をしかめた。
白州は椅子に腰掛け、グラスに注いだウィスキーを舐めながら、窓の外を眺める仲間の背に、誰へというでも無く声を掛けた。
「月には表だろうが裏だろうが、何も存在しないことは解っているんだ。月生物なんて呼んではいるが、奴らは実際のところ……」
「ーー異世界?」
誰かが答える。
白州は頷いた。
「私は航海士が地球への案内役であるという考えに間違いはないと思っている」
「目的が何かは知る良しもないですが、解っているのは我々人類にとって……いや、地球上の総ての生物にとって害のある存在だということです」
疲れた様にして山崎は眼鏡の奥の瞼を閉じ、指先で目頭の内側を揉んだ。
謎は多く残されている。
何故、繰り返し同じ場所へとやって来るのか。
何故、決まった数しかやってこないのか。
孵った鳩は何処へ逝くのか。
「侵略者などと呼んではいるが、アレも本来はただの荷物係なのかも知れないな」
「或いはその両方……戦闘員兼荷物係、ですか」
白州は腕を組み、窓の外を眺めた。
「どちらにせよ、本格的に航海士の捕獲を考えねばならない時期に来ている様だな」
「……手遅れでなければ良いのですが」
「このまま手をこまねいていれば人類は滅びるのを待つだけだ」
今夜は何十年に一度の紅い満月。
「やる、やらないの問題ではない。やるしか無いのだよ」




