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秋が終わりを告げると、蟲たちの活動も穏やかに成ってくる。種にも因るが、多くの蟲が産卵を終え、次世代へと命を繋いで、地中或いは水中へと姿を隠した。
今や人類が品種改良を加え植林した食虫植物が野山に広く分布しているお陰で、防蟲音波が効いている市街地ではそれほど酷い蟲害は出ていない。寒暖差の激しいここ日本では大型の蟲種が繁殖しなかったのも幸いしている。しかし、それでもこのままでは、やがてそれほど遠くない未来に地球の覇権は人類から蟲に取って代わるだろう。
ーー或いは月からの訪問者たちへと。
「静かな季節になってきましたね」
所長室。定時報告を終えた山崎にリベットが声を掛けた。
「防蟲音波の市外線付近では特にそうじゃないですか」
「年がら年中、バチバチと五月蝿いからな、あの辺りは」
自分の肩を手で揉みながら白州が二人の会話に交った。
壁にある備え付けのコーヒーメーカーからコポコポと湯の沸く音が聴こえる。
リベットがスッと場を離れて人数分のコーヒーを用意し、三人はソファー席へと腰を下ろした。
「ところで、月生物についてですが」
カップにひとくち口を付けた後、リベットが言った。
「何か分かったのか?」
「まだ仮定の域を出ないのですが、山崎博士とも話してみまして」
リベットが隣を見る。
山崎が頷き、話を継いだ。
「あの音声、いや言語と言うんでしょうか……は、ある特定の粒子の動きを抑制する為のものだとしたらと考えてみたんです」
「ええ。高速に近い動きをする観測者たちの動きを止める、いや、或いは注意を引くと言った方がいいかな」
「観測者の注意を?」
白州は二人を交互に見ながら眉間に皺を寄せて唸った。
「物質に干渉する時、そこに観測者が居る、或いは視ているという事が重要なのではないかと……」
「どういうことだ?」
「簡単に言うと、既成事実と言いますか」
「事象の固定化ですね。ご存知の通り、本来、粒子などの物質は決まった動きをするものです。しかしミクロ単位のもの、それも多種多様なものが絶えず動く様はマクロの視点で見ればランダムに等しいものです。それを観測者に視させる事でマクロの視点でも、その『事象』を固定化させるのではないかと考えたんです」
山崎の例えに微笑ってリベットは捕捉した。
「つまり、航海士は他の侵略者を連れてくるのが役割では無くて、その『事象』を『固定化』させる為の補助が本来の役割なのではないでしょうか」
「私たちの世界に干渉する為の『既成事実』を、この世界に結果として『固定化』する為に」
記録にある限り、人類に対して無害ではある観測者の存在はここ何年、何十年も化学者たちの議論の的ではあった。後に侵略者と名付けられたものが現れる迄は。
ミクロレベルのプランクスケールの世界で、人類が未だ知り得ない粒子、もしくは異なる波長を持つ物質が我々の世界に干渉する為の『鍵』だとしたら。
普段は干渉しないが、確かに存在するもの。それでいて質量を持つ存在ーー例えるなら、ニュートリノの集合体が意志を持った様な。
リベットと山崎は月生物がその様なモノだと考えている様だった。
「なるほどな」
白州は頷いた。
「未だ我々の認知し得ない暗黒物質の中には、その様なモノが在ってもおかしくは無いのかも知れんな」
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「初めて知った時は驚きました。彼女は一世紀近く前の人だったんですよね」
山崎が部屋から退出した後、空になったコーヒーカップを皿に戻してリベットは言った。
白州はソファーから立ち上がり、部屋のカーテンを引いた。夜の帳が間もなく下りようとしている。
「残念なことに、生前の彼女は学会では異端扱いだった。価値が再評価されたのは亡くなって随分と経ってからだ」
「それは、月生物の存在が確認されるようになってから?」
「ああ、そうだ」
白州はソファーには戻らず、自身のデスクへと座った。デスクトップのモニターの電源が自動で立ち上がる。画面に表れたのは各国の研究所から送られて来た月生物のデータだ。
「本部は何て言ってきてるんだ?」
白州は画面に目を向けながら訊いた。
「……特に何も。こちらには連絡ありませんか」
「無いな。いや、一度だけあったか」
「差し支えなければ教えて頂けますか」
「ああ、お隣のイギリスで鳩らしき生物の群れが観測されたと。先月の襲来の後だったかな」
「鳩が……」
リベットは何かを考えながら、黙ってモニターを見つめる白州に向かって頭を下げ、所長室を後にした。




