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街の店の軒先にはコミカライズされたキャラクターの様に、擬人化・デフォルメされた鳩の人形やイラストのポスターが飾られている。誰そ彼時の、人気も疎らな大通りを灰色のコートに珍妙な三角の眼出し帽を被る救世主教の信者たちが巨大な鳩の山車を引きながら声を上げて練り歩いていた。
市内に宛がわれたマンションの一室でピアノの音が流れる。ショパンのエチュード作品第十番。
男は八十八ある鍵盤の上に指を滑らせながら、譜面台の上に置かれた波形グラフを眺めていた。
スタンウェイ&サンと銘打たれたグランドピアノの上には、何やら白く濁った液体が入った瓶が数個ほど置かれていて、それらがピアノの旋律に呼応する様に細かく振動を繰り返している。
「歴史的価値はないけど、今じゃ作り手がいないからね。こんなのでもビルが一軒建つ位の値段はするんじゃないかな」
演奏の手を止めること無く男は語る。
八階建マンションの最上階、月はまだ出ていない。今夜は新月。空には雲一つもないが、男の部屋の窓にはカーテンが引かれていた。
「曲を奏でる振動が天然酵母を活性化させるんですよ」
そう言って男は余韻を残すように最後の一音を奏でた。
「ピアノだけじゃなく、料理もするなんて思わなかったな」
ボクは居心地の悪さを感じながら、なるべくそれを顔に出さないように努めた。その効果が出ているかどうかは分からないが、相手の様子を見る限り、今のところは大丈夫そうだ。まあ、この男がそんなことを気にするかどうかは話が別だが。
とはいえ山崎相手には連戦連敗中なので、今日のボクがポーカーフェイスをモノにしたと考えるには未だ時期尚早かも知れない。
「ところで、仕事帰りにボクをこんなところに呼び出して、どういうつもりだ?」




