3.逃げた先で
季節はめぐり、春の早朝。
小鳥の囀りが聞こえてのどかさを感じ、窓から差し込む陽気の温かさで春の訪れを感じる。
自分の体に馴染んできたベッドから起きた私は、大きく背伸びをして窓の近くに歩み寄る。
「んぅ~ 今日も良い天気だ」
風を感じ、清々しい気分を噛みしめる。
私は服を着替えて支度を整えてから、階段を降りて一階の台所へ向かった。
もちろん服は、男用の服。
先生はまだ起きていないらしい。
いつものことだけど、先生は朝が苦手だ。
と言ってもまだ朝も早い。
朝食の準備を済ませた頃には、ひょっこり起きてくるかもしれないと、半ば期待しながら料理をした。
始めたばかりの頃は不慣れで、よく指を切っていた包丁も、今ではそれなりに慣れてきた。
「よしっ」
朝食の支度は終わった。
時計を見て、先生の席を見る。
案の定、先生はまだ起きてこなかった。
「仕方がないなぁ」
そうぼやきながら、私は二階への階段をのぼる。
嫌々しているわけじゃない。
むしろ、起こしに行くこの時間は、ちょっぴり好きだったりもする。
トントントン――
「先生、朝ですよ」
返事はない。
これもいつも通り。
一回声をかけたくらいじゃ起きてくれない。
「入りますよー」
ガチャリと扉を開けて、ベッドに寝ているその人の顔を見る。
私よりも白い肌に純白の髪は、一目見た時に女性と間違ったほど綺麗だ。
何より寝ている顔が穏やかで幸せそうだから、こっちまで良い気分になる。
だけど私は、毎朝のように心を鬼にして呼びかける。
「先生、朝ご飯できてますよ」
「ぅ~ もうそんな時間なのかい?」
「はい」
身体を揺すってようやく目を覚ました。
眠そうに瞼をこすり、ゆっくりと重たい身体を起こす。
大きな背伸びと一緒に特大の欠伸をして、スッキリした顔を私に向ける。
「おはよう、アレン君」
「はい。おはようございます。レイン先生」
先生を起こした後は、先に私一人で一階へ降りた。
遅れて着替えた先生が降りてきて、一緒に食卓を囲む。
美味しそうな顔をして食べながら、先生は何気なく私に言う。
「今日も美味しいね」
「ありがとうございます」
「いや、お礼を言うのはこちらだよ。いつもありがとう、アレン君。私は物作りこそ得意だが、料理はからっきしだからね。君が来てくれて助かるよ」
「そんなっ! 感謝しているのはボクのほうです! 路頭に迷っていたボクを拾ってくれたから、今もボクは生きてるんです」
「はははっ、それは大袈裟だよ」
そう言って先生は笑う。
大袈裟……確かにそう見えるかもしれない。
だけど、私にとっては大袈裟なんかじゃないと思う。
家出をした私は、王都から遠く離れたこの小さな街リルドにやってきた。
お金も用意していたし、働く場所を見つけてるための準備をしていたけど、現実はそこまで甘くないと実感させられた。
用意した手は悉く失敗してしまったんだ。
今から思えば当然だ。
素性も知れない人を簡単に雇ってくれるはずもない。
そうして路頭に迷って、半ばあきらめかけていた私の前に、先生は突然現れた。
三か月前のことを、今でもはっきり覚えている。
今日のような晴れ晴れした日とは真逆の曇天。
暗い路地でうずくまっていた私に、先生は声をかけてくれた。
こんな場所に一人でいると危ないよ。
そうかそうか、行くところがないのか。
もしよかったらウチの御店に来てくれないかな?
小さなアイテム屋さんを営んでいるのだけど、一人で切り盛りするのは大変でね。
事情も深くは聞かず、先生は私を自分のお店に招いてくれた。
名前を偽り、性別を偽り、何もかも騙している私の言葉を疑わずに聞いてくれた。
それがどれだけ嬉しくて、安心したかを伝えられないのが心苦しい。
せめてもの恩返しに、私にやれることは何でもしようと誓った。
いつの間にか食べ終えた先生が、手を合わせる。
「ごちそう様。じゃあ私は、先にお店のほうを準備しておくよ」
「はい。ボクも片付けが終わったら行きます」
先生が先に部屋を出ていく。
私もせっせと朝食の片づけを済ませて、その後を追って家を出た。
お店は家の隣にある。
木造の喫茶店みたいにおしゃれな建物で、濃い茶色の木の看板には『マジックオーダー』とお店の名前が書かれていた。
玄関から入ると、カランカランとベルが鳴る。
「アレン君だね」
「はい。ボクは店先のお掃除をしてきますね」
「頼むよ。終わったら商品の整理を手伝ってもらえると助かる」
「わかりました」
掃除道具を持って私は店先へ再び出る。
使い古された箒で玄関の前を掃いていると、ふとお店の看板が目に入った。
マジックオーダーと聞いて、最初に何を連想するだろう。
このお店では、魔導具からポーションまで様々なアイテムを販売している。
街の人たちからは、困った時の何でも屋さん、と呼ばれていたりもした。
一番の特徴はこのお店で売っている商品は全て、先生が自らの手で作った物だということ。
そう、先生は魔導具師だった。
「すごいなぁ先生。魔導具師なんて王都でも数えるくらいしか聞かないのに」
そう言って、感心しながら思うことがある。
先生は一体、何者なのだろう。
私のことを先生が知らないように、私も先生のことを知らない。
このお店はいつから経営していたのか。
その前はどこで何をしていたのか。
私を見つけてくれたのは……本当に偶然だったのか。
聞きたいことはたくさんあって、知りたいと思う気持ちも本物で。
だけどそれを聞いてしまったら、今の関係が壊れてしまうような気がするから。
私は感じた疑問をそっと胸にしまい込んで、掃除を終えた。
「先生、終わりました」
「ありがとう。じゃあこっちも手伝ってくれるかい?」
「はい」
棚に並んだ商品を綺麗に並べ直す。
小瓶に入ったポーションは割れないように丁寧に。
魔導具も、効果別で探しやすいように並べていく。
見習いになったばかりの私には、ここにある商品のほとんどが新鮮で、手が届かない代物だ。
でもいつか、先生のようにいろんな物を作れるようになって。
そうして先生の役に立ちたいと思う。
どれだけかかるかわからないけど、時間をかけられるということは、私にとっては幸福で――
カラン。
「ん? お客さんかな?」
「みたいですね」
まだ開店時間には早い。
時折来る急ぎの要件なのかもしれない。
「アレン君」
「はい」
作業の手を止め、私が応対に向かう。
「いらっしゃいま――」
最後の一文字を詰まらせた。
そこに立っている人たちを、私は知っていたから。
いいや、正確には一人だけだ。
私が顔と名前と、性格も含めて知り尽くしている人物が……二度と会いたくない人物が、目の前に立っていた。
 





