2.失敗の記憶
朝食を終えた私は、部屋に戻り考えた。
どうすれば死の未来を回避できるのか。
考えながら、これまでの失敗の記憶を思い出す。
一度目の未来。
死に戻りの力を知らなかった私は、何の不安も不満もなく日々を過ごしていた。
パーティーから一月後、そんな私に縁談の話が持ちかけられる。
相手は名だたる上級貴族、ダンデイン家の嫡男ウェールズ様。
家同士の関係は良好で、人当たりもよく、とても素敵な方だった……と、最初は思っていた。
縁談から約半年後に正式な婚約を経て、私はウェールズ様の屋敷に招かれ、一緒に暮らすこととなった。
幸せだった。
私のことを愛し、私も彼を愛していた。
だけど、近くに来てようやく知る真実もある。
ウェールズ様は……浮気性で、女癖が悪かった。
私の知らない所で、別の女性と逢引きしたり、口説いたり。
あろうことか、私の妹にまで手を出した。
最初は我慢していた私だけど、それを知ってしまった時を境に、ウェールズ様に追及した。
浮気のことや妹との関係を含めて、全て知っていると伝えた。
しかしウェールズ様は惚けて認めなかった。
だから私は、妹のエルウィンにも直接話をした。
きっとウェールズ様に騙されて、良い様に遊ばれているだけだと思ったから。
それは私の間違いだった。
最初に声をかけたのは、エルウィンの方だったらしい。
知ったのは死の直前で、彼女はギリギリまで知らぬ存ぜぬを貫き通した。
そうして最後に、本性を現した。
「お姉さまのことが邪魔だったんですよ? ずーっと、いなくなればいいって思っていました」
毒で苦しむ私に向けて、エルウィンが告げた一言。
ニヤリと歪んだ笑顔を……今でもハッキリ覚えている。
エルウィンは計算高く、嫉妬深く、卑しい性格なのだと知った。
私に見せていた笑顔は偽物で、可愛い可愛いと思っていた彼女なんて、本当はどこにもいなかった。
そして迎えた二度目の未来。
私は妹の本性と、ウェールズ様の真実を知っていた。
だから私は、ウェールズ様との縁談を断った。
これで死の未来は回避される。
後は妹、エルウィンと距離を置けば良いと思っていた。
しかし断ったことが良くなかった。
ウェールズ様の怒りを買い、彼が雇った暗殺者によって殺された。
まさかそこまでやるのかと驚きながら、胸から流れる血を押さえて静かに眠った。
三度目の未来。
二度の失敗を経て、私は深く悲しみ自暴自棄になっていた。
そんな私を心配してくれた両親に、私は真実を告げた。
今から思えば、本当に浅はかだったと思う。
ウェールズ様のこと。
エルウィンのこと。
死の未来と、繰り返していること。
それらを聞き終えた両親は悲しみ、同時に恐怖した。
私たちの娘は悪魔に取りつかれてしまっていると、両親は信じてくれなかった。
そのまま嘆き罵倒され、屋敷の一室に閉じ込められてしまった。
食事も与えられず、誰とも会わず。
衰弱して一人孤独に最後を迎えた。
それから四度目は、しばらく落ち込んで時間を過ごし、一度目同様にウェールズ様の家に入った。
入ってから、私は逃げ出した。
ここにいたら殺される。
だけど結局、逃げ出した先で盗賊に掴まり、散々辱められて……その後は覚えていない。
五度目は引き籠った。
誰にも会いたくないと、部屋から出なかった。
そんな私を最初に心配してくれたのは、メイドのアンだった。
彼女は小さい頃からよく知っている友人で、まだ一度も裏切られたこともない。
心が弱っていた私は、彼女にだけなら伝えてもいいかもしれないと、真実を話してしまった。
話を聞いたアンは私に提案した。
「私がお嬢様の代わりになります。そうすれば、死の運命を回避できるかもしれません」
その内容は、彼女が私と入れ替わって、私のフリをして生活するというもの。
無茶ではあったけど、容姿や背丈は近かったし、変装の魔導具もあったから、不可能ではなかった。
彼女は言った。
私が私のままでは、いつか同じ未来にたどり着く。
そうならないように、私が代わると。
初めて、ちゃんと私の話を聞いてくれて、考えてくれたことが嬉しかった。
だから私は、彼女の提案を受け入れた。
そして裏切られた。
身を隠す場所に案内すると連れていかれたのは、今は使われていない小さな屋敷だった。
そこに踏み入った途端に、彼女は忍ばせていたナイフで私を斬った。
手足の腱を斬り、動かない状態で転げた私に、彼女は下衆な笑みを浮かべていた。
「ずっとこの日を待っていました……」
「ど、どうして?」
「お嬢様は知りませんよね? 私が……あなたの両親に潰された貴族の娘だったなんて」
「え……?」
彼女は語った。
自分の過去を、その恨みを。
復讐する機会を窺い、この十数年間を過ごしていたことを。
「ありがとうございます。これで楽に、あの二人にも近づける」
「ま、待って!」
「さようなら。気の毒には……思いますよ」
私が連れてこられた屋敷は、彼女の両親が使っていた屋敷だったらしい。
彼女は私に成り代わり、屋敷に火をつけて去っていった。
きっとその後で、両親や妹を手にかけたのだろう。
みんな、一度は私を殺したことのある相手だ。
それでも、私の所為で殺されてしまうのだと思うと、罪の意識を抱かずにはいられない。
燃え上がる炎に包まれ、後悔しながら死んでいく。
「はぁ、はっ、ぅ……」
記憶に新しい絶望の光景が浮かんで、呼吸が荒くなる。
できれば思い出したくないことばかりだ。
だけど、思い出さずにはいられない。
考えなくては、また繰り返すだけなのだから。
「どう……しよう……」
五度の失敗。
それぞれに違う流れで、最後は誰かに殺されている。
ここまで失敗を繰り返すと、どうしたって無駄なように思えてしまう。
考えられる手で、残っているのは……
「自分で死……」
言いかけて、私は首を振る。
それは最後の手段だ。
怖いからじゃない。
もしも、それですら繰り返してしまうなら……本当に私の心は折れてしまう。
絶望をただ繰り返すだけになる。
悲しいことに、自死が心の拠り所になっていた。
「他に手は……他に……」
まだ試していない方法。
婚約を受け入れても死に、断っても死に繋がる。
真実を話しても、引き籠っても同じ。
逃げ出しても……
「違う」
五度の死の中で唯一、周囲とは無関係の死を遂げた。
逃げた先で悲惨な目には遭ったけど、可能性としては一番あったはずだ。
この家が、貴族令嬢という肩書が、死に近づいてしまっている要因ではあると思う。
だったらそれを捨てて、この家から離れよう。
でもきっと、それだけじゃ足りない。
だから私は決意する。
部屋の鏡の前に立ち、長く綺麗な金色の髪を見ながら。
「……女を捨てよう」
貴族であること。
女性であることを捨てて、男性のフリをして生きる。
そうして、私ではない別人になれば、死の運命を回避できるかもしれない。
逃げたその先で、幸せになれるかどうかはわからないけど。
少なくとも今、このままの未来よりはずっと良い。
それから私は、数日かけて準備をした。
どこまで逃げるか決めて、町や道順について調べ上げ、庶民の暮らしも頭に入れた。
生きていくために必要なお金も、自分の持ち物を売って集めた。
準備が整ったのはパーティーから十日後。
夜遅く、みんなが寝静まった頃に、私は長かった髪をばっさりと斬り落とした。
今の私と決別する意味と覚悟を込めて、平民男性の服装に身を包み。
「――さようなら」
そうして私は屋敷を出た。
身の凍るような寒い風が、冬の始まりを告げている。
とても寂しくて、冷たい夜だった。