戦艦島という実験場
入学式が終わり、1年5組で自分の席を確認する急に不安になってきた。
八島大学の付属幼稚園に入園して、小学校、中学校、高等学校と一緒に進学してきた連中に囲まれていると、高校から入学した僕は完全アウェーという気がしてきたのだ。
しかも、その指定された席というのが窓際の最後列。
漫画では不良の指定席みたいな印象だし、時間帯によっては太陽の光が強く差し込むだろう。
だいたい、こんな隅の席、それだけで『おまえはボッチ決定』と宣言された気持ちになってくる。
別に友達なんかいなくても平気なんだからねっ、とツンデレっぽいセリフを心の中で呟いてみるが、いじけている暇があるなら近くの席の生徒と仲良くなるように努力するほうが建設的だろう。
しかし……一番近い、すぐ前の席は問題外。
人間を外見で判断してはいけません、と言うけれど、自分から好き好んでチンピラみたいな格好をしている奴は他人からチンピラだと見られたいからそういう格好をしていると思います!
右隣も……却下したいなぁ。高校1年で、その体格? と首を傾げたくなるほどの大男だ。
腹まわりがたぷたぷしているから普通ならデブということになるのだろうが、なにしろ身長が2メートル近い。縦も横も少々規格から外れた印象。
もっと大きな問題は、さっきから虚空を睨み、なにかブツブツと独り言を呟き続けているというところ。
「1942年1月の東部戦線でマイバッハ12気筒ガソリンエンジンがストールした原因は……」
意味がわからない――わかりたいとも思わない。
きっと宇宙とでも交信しているのだろう。
あるいは天使とか精霊とおしゃべりしているだけかもしれないが、どっちにしても僕には関係ない。
いちおう気になって頭の中で検索してみると、どうやら戦車オタクらしいことがわかった。
うん、やっぱり僕とは関係ないな。
共通の話題ないっぽいし。
その前の席は……こっちもやっぱりブツブツ系だ。
なんで僕の席の近くは独り言を呟いている奴ばかりなんだ?
こっちは赤い本を読みながらブツブツ呟いていて、なんとなく見たことのあるような気がしたので今度は頭の中で検索するのではなく、普通に過去の記憶を掘り起こしていくと、あれは確か本屋の参考書のコーナーに並んでいた大学入試の過去問を集めた受験勉強用だ。
高校の入学式の日の休憩時間に大学受験の勉強をしているわけか……勉強以外興味ありません、というタイプなんだろう。
名門大学に入学することが人生における勝ち組のパスポートとか本気で信じてるような。
まあ、学歴はあって困るものじゃないけど。
低学歴や三流大学卒のほうが人生イージーモードになる可能性が高くなるというわけでもないし。
むしろ、選べる選択肢が少なくて苦労することが多いだろうね。
「ねえ、それって大学受験用の参考書だよね? どこの大学を目指してるの?」
斜め前に身を乗り出してフレンドリーに話しかけたのに、あからさまに不機嫌そうなムッという唸り声と、邪魔する奴は殺す、というよう視線を向けられた。
半分腰を浮かせかけていたが、何事もなかったかのように、そっとイスに深く座る。
ほぼ同時に金色に染めた肩まである長い髪がくるっと旋回した。
すぐ前の席のチンピラだ。
とっさに僕は顔を伏せて寝たふりをする。
「ねえねえ、佐藤くん。そんなあからさまに避けられると、俺、悲しい」
どこからか声が聞こえてきたような気がしないでもない。
「ねえねえ、佐藤くん。そんなあからさまに無視されると、俺、悲しい」
面倒臭いな。
でも、騒ぎになるともっと面倒だから、しかたなく寝たふりをやめて顔を上げる。
「よく僕の名前を知っているな。悪いけど、こっちは君のこと知らない」
「成績順だろ。入学試験の点数の高い順から30位までが1組。31位から60位までが2組。で、俺たち5組が最下位グループ。クラスの席も121位があそこで、その後ろが122位という順番だ」
長髪&金髪野郎が廊下側の一番前の席を指す。
すると僕の周囲だと赤本くんが一番マシで、宇宙と交信中は順位にして一つだけ劣り、僕は2人より下で、見た目チンピラより下で、というか一番奥で、隅ということは、入試で最下位だった?
おいおい、と思う。
入試のとき、目立たないように平均よりやや劣る、中の下くらいを目標にしたはずなのに。
もし点数が1点とか2点でも不足していたら不合格だった可能性もあるわけだ。
危ないところだった。
「2人も欠席してるんだな」
気になっていた今日1日ずっと空いたままの席に視線を向ける。
教室の中央あたりと、僕の席のある列の先頭。病気とか事故とか欠席の理由なんていくらでも思い当たるが、入学式の日ともなれば少々の無理をしてでも出ると思うのだが。
「それがさ、どうも行方不明らしいよ」
「入学辞退ではなく?」
「噂だが島に入った記録はあっても出ていった記録はない。アパートにもいない。島中に設置してある防犯カメラにもひっかからない。底辺クラスになんとか滑り込んだ形だが、家族の前ではえらく喜んでたらしいし、友人たちには自慢しまくっていたとも聞くから、自分から姿を消す理由がまったくないとか」
「まあ、最下位で入学したとしても最下位で卒業するとは限らないし、もし最下位で卒業したとしても八島高校は世界でトップクラスの教育機関なのだから人並み以上の将来は保証されているといってもいいからな」
「そうそう。日本でも名のある高校には入学できたのに、ここの入試は落ちたなんて話はいくらでもあるんだし、この5組の連中だって一般的には充分に優秀だよな。だからさ」
声を潜めて、僕の耳に口を近づける。
「食われたんだってよ、なにかに――おっと、自己紹介がまだだったな。麻喜拓斗だ。大麻大好きみたいな名字だが、まあ、実際そっち方面やってる」
ドラッグ系の研究者志望ということか。
下っ端の売人レベルが八島高校に入学できるわけもないが、お勉強のできるチンピラがいてもおかしくはない。
逮捕補導歴があったり、日本本土では指名手配されている可能性もあるか。
あるいは麻薬密売組織を怒らせて逃げてきたとか。
しかし、ここなら日本の法律も関係ないし、麻薬密売組織が潜入できる場所でもないし、世界で一番自由に研究できる環境もある。
戦場にドラッグはつきものだ。疲労や眠気を無視して長時間の連続戦闘が必要な場面もあるし、確実に死ぬような作戦をやらされることだってある。
しかし、日本国内の大学で大麻や覚醒剤の研究は難しいだろうし、卒業後の進路だって困るだろう。
「僕のほうは遺伝子工学に進められたらいいと思ってる。主に人間の改良だな」
覚醒幻覚に比重を置いた薬学研究者志望と、超人を作ろうとする遺伝子研究者志望か。
戦艦島でなければありえない組み合わせだ……まあ、僕のほうは本気で遺伝子工学を勉強したいと思っているわけではなく、諺に言う門前の小僧という奴で父親がソッチ系が強い研究者だから、少しは知識があって、それらしく振舞うことができるというだけだが。
この戦艦島には小学校も中学校も高校も大学も一つしかない。会社も子会社とかで名称が違ったとしても資本関係を辿っていくと1つだけ。
そもそも戦艦島は『島』という名称になっているが、宇宙空間に浮かぶ直径10キロ、全長30キロもある超巨大人工居住地なのだ。
ここにあるのは年間売上高500億ドル――米ドル(ステイツダラー)で500億。円なら5兆円を超える巨大複合軍事産業体『八島重工』を中心にした八島グループの研究部門や製造工場だ。
日本国内にあっては自由に武器の輸出ができないし、どこかの国の法律に縛られていては効率よく人間を殺害する道具は作れない。
少々画像が荒いテレビでも、値段が安ければ買うというユーザーはいる。全員がハイエンドなパソコンを欲しがるわけではない。そして、made in japanだからといって、絶対的に優れているわけでもない。
だが、武器は性能さえよければ高くても買ってくれる国はいくらでもある。
適当に戦争や、そこまでいかなくても紛争や内乱が起きていれば、ほどほどに消耗していくから、いつでも武器は需要があった。
最初の工場宇宙船『八島』は全長300メートルほどだったのが、1キロを超えたころからスペースシップではなく、スペースコロニーに改装されていき、いまは地球と月の中間地点にぷかぷか浮いている。
また、最新兵器と、その性能をフルに発揮できる人材を数多く抱え、やろうと思えば一国の軍隊と正面衝突して力負けしないようになったころ、工場船『八島』を世間では『戦艦島』と呼ばれはじめ、いまではそちらのほうが通りがいい。
アメリカ、ロシア、ヨーロッパ各国の軍需会社と提携し、自国でできない法律的倫理的に問題ある実験なども引き受けているので、現在の世界情勢で戦艦島を武力攻撃する要素は皆無と言われている。
現在は製造だけに限らず、人材育成をおこなうところまで成長し、幼稚園から大学まであって、将来は八島グループに利益をもたらす製品開発するために日々、生徒学生たちは勉学に励んでいる。
勉学だけではない。警備員という肩書きの戦闘兵も育成している。
八島警備保障という会社は総合セキュリティーカンパニーという建前で、普通の警備員から戦争の作戦支援まで請け負う。
ロンドンに本拠地を持つG7RやスウェーデンのセキュリタスJHMなどと並ぶ世界でトップクラスの民間軍事会社だ。
戦争があるたびに肥え太る、世界でもっとも稼いでいる会社の1つであり、もっとも嫌われている会社でもある。
そして、そこで学ぼうとしている僕たちも死の商人の予備軍として世間からは疎まれているのだが。
「どんな研究でも好きなだけやれるというのは素晴らしい環境だよな」
「まあ、それが金になるかどうかは問われるが」
僕が答えると、麻喜はニヤリと笑った。
「たまたま興味があったもんが薬品の中で一番稼げるものだったことに感謝だな」
「入試のときは、やっぱり薬品で脳のチューナップして?」
「処理スピードと記憶容量の大幅アップだ」
「それなら普通の授業は問題ないな。むしろ、いつまで僕の前の席にいないかも。隣のクラスに移るとか」
「勉強はいいけど、体育とかがな」
「ああ……かなりキツいと聞くね」
戦艦島の体育は軍事訓練とほとんどかわらないという噂だ。
麻喜もそれを知っているのだろう、顔を顰める。
「それな」
「しかし、薬に詳しいならドーピングのことも知らないわけじゃないよな?」
「あれは死ぬほど練習しても届かないところにいくための神薬だ。飲んだり注射するだけで筋肉が勝手に増えたりはしない。ドーピングした上で人並み以上の練習をしないと。あるいは人並み以上の練習をしても体が壊れないようにドーピングするんだ」
「うーん……それなら脳の処理スピードに合わせて肉体を同期させる薬はないの? 脳をクロックアップしたら肉体もクロックアップするのなら、運動能力や筋肉だけが突出することもなくてバランスがいいと思うけど」
「ないな……ないが……それはおもしろいかも。ちょっと検討してみよう」
いきなり麻喜は深く考え込む。見た目とは違い真面目な研究者肌かもしれない。
親友になれなくてもいいが、昼飯を一緒に食べる程度の関係は築けそうだ。
見た目はチンピラだから、一緒の外を歩いたりする気はないけど。