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取引開始




 あと5メートルというところで鈴木英子さんが無言のまま右手を差し出す。僕も右手を差し出した。


「ここ」


 鈴木英子さんは足元に置いたダンボール箱に人差し指を向ける。


 宅配便でいうところの120サイズだ。


 100万ドルって容積にしたら、どれくらいなんだろう?


 そもそも100ドル札を1万枚なのか、日本円に換算して1万円札で持ってきたのか、世界のどこに持っていっても通用する黄金ゴールド金剛石ダイヤモンドかもしれないし。


 一つ確実に言えるのは取引中止になるほどのクレームにならない程度に大きく、重くなるように用意したはずだ。


 こんなダンボールを抱えて追跡や尾行はできない。


 なにしろ中身が中身だから、そこへんのコンビニに持ち込んで宅配を頼むのも心配だ。


「そっちも見せて」


 僕も背負子を降ろしてブルーシートをめくりマダラの顔を見せた。


 鈴木英子さんはダンボール箱を開けて、こちらに中身が見えるように傾けた。


 こんな街灯もなく暗い場所で見せられても本物の紙幣なのか、よくできた精巧な偽札なのか、自宅のプリンターとかコンビニのコピー機でガッチャンガッチャン印刷した粗雑な偽札なのか、それどころか新聞紙を切ったものを束ねただけなのかすら、さっぱりわからない。


 少しずつ近づいていく。


 彼女も彼女で僕が運んできた遺体が本物なのか気になるようで、ダンボール箱の脇から動かないものの、身を乗り出すようにして1センチでも両目をマダラに接近させようとしてくる。


 僕の足は止まらない。


 ゆっくりとだが、2人の距離が狭まる。


「交換、でいいか?」


「……怖い人だったのね」


「どこが? 断れないような大金を積み上げたのはそっちじゃないか。怖いっていうなら、君の方だろ。その金の出所とか、バックにいる人たちはもっと怖いと思うけど」


「そうじゃなくてさ、死体でもかまわないと条件を出したら、本当に死体にして持ってくるところよ。目の前に超おいしいエサをぶらさげても無条件で食いついたりしない、それどころか提示された条件の最低ラインだけをギリギリでクリアーしてきた。従順じゃないよね、かといって完全に反抗的というわけでもない。そのために首だって簡単に絞めてしまえる。ああ……飼育委員会には殺処分用の設備もあるのかな? 二酸化炭素かなにかで楽に死なせるような機械とか」


「ちょっと待て。いつの間にか僕が殺したことになってないか? 寿命で死んだんだよ」


「こんな絶妙のタイミングで?」


「遺伝子をイジった個体は急に死んだり、元となった動物の平均的な寿命は参考にならないんだよ。知らなかったのか?」


 僕も知らなくて、つい最近仕入れた知識だけど。


 ルイがわざわざ嘘を教える必然性はないが、ウラを取った情報ではないので本当かどうか知らない。


 他に死んだ遺伝子強化体を見たことないしね。


「まあ、実験動物なんて、そんなもんかもね」


「技術的にまだまだ未成熟で不安定なんだろうね。でも、もっと完成度が高かったら100万ドルどころか、その何倍も価値が出そうだけど」


「今日のところは100万ドルで満足しなさい。私のほうも死体で我慢するから」


「情報の方は?」


「ホテル・アヴァロンって知ってる?」


「知らない」


「あなたの父親はホテル・アヴァロンに宿泊中よ。場所は……まわりの人にでも聞くのね。そういうの、よく知ってそうな知り合いが何人もいるみたいだから」


 僕と鈴木英子さんはすれちがい、お互いが持ってきたものの前に立つ。


「またね」


 100万ドル入りのダンボール箱に腰かけて、僕は片手をあげてマダラに挨拶した。


 返事したのは不機嫌そうに顔をしかめながら鈴木英子さんだった。


「そうね、ファーストの死体でも売りつける気になったら連絡ちょうだい」


 彼女の背中が見えなくなるまでダンボール箱に座ったままでいて、それからゆっくり立ち上がった。


 いままでイスのかわりにしていたダンボール箱は持ち上げてみると10キロ以上はありそうだった。


 紙は重たいと知識では知っていたが、確かにこれは重たい。


 とぼとぼとダンボール箱を抱えてZ地区を横断し、すぐ隣の地区に止めてあったキューマルに運ぶ。


 運転席にはトールが座っていて、僕が助手席に乗るのを待っていた。


 乗り込むのと同時に車体をブルッと震わせてキューマルは走りはじめる。








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