次の仕事と、その対策
ミミィの首に100万という値札がついた。
結構な大金だ。戦艦島で犬がいくらするのか相場がわからないし、わんこのおやつの値段からすると安くはないだろうが、よほど珍しい犬種でない限り日本の普通のペットショップなら飼い主よりもはるかに立派な血統書がついて10万とか、20万も出せば買えるだろう――いや、でも、ミミィは人間だ。
犬の遺伝子を少し混ぜたというだけで、基本ベースは僕とルイで、いきなり娘と言われても実感がわかないが、少なくとも犬とかペットだとは思えない。
そう考えると100万円は安すぎる!
人間はそんな金額では買えない!
角膜や臓器を売り払ったとしても、生命保険をかけるとしても、最低3000万円くらいの値打ちはあるはずだ。
僕が黙って考え込んでいるのを彼女は盗む計画を躊躇っているのだと勘違いしたらしい。
「100万よ、100万。米ドル(ステイツダラー)で100万の大仕事なんだから覚悟を決めなさいよ」
「100万ドル?」
「そうよ。気まぐれな犬が逃げ出すなんて珍しいことじゃないんだし、散歩中にうっかりするだけで欲しがっていた情報が貰えるんだし、その先も手を貸してくれるのなら貢献度に応じてボーナスが最大でプラス100万ドル。悪い話じゃないと思うんだけど」
本当に100万ドル?
本当に100万ドル!
犬1頭に100万ドルなら、悪い話じゃない。
驚くような話ともいえる。
その先の貢献度と言われても、ずっと手を貸すのは無理だからボーナスで2倍は諦めるしかないけど、100万ドルは充分に大金だ。
これがミミィでないのなら、即決で売るんだけど……かわいい娘に値札はつけられない。
まあ、それはそれとして――ちゃんと話をあわせておこう。
「100万ドルか……確かに散歩中に逃げることはあるかもな」
「そうでしょ、そうでしょ。よくあることだから、バレない、バレない」
「しかし、密出国の手伝いは知識も経験もないから……ミミィと引きかえで情報と金という条件なら……うーん……どうだろう?」
「島を出るのが一番ヤバいところじゃないの。そこは手伝わないで報酬は満額欲しい?」
「いまの僕は100万じゃなくて、200万にしてもらいたいとか、300万とか、がっつり交渉できる立場じゃないかと思うんだよね」
「……チッ! 足元を見やがって。あなたの将来に不幸が訪れますように」
「欲しい情報と、高校生の小遣いにしては多すぎる金額を手にした僕が本当に不幸になるのかな?」
「お金があっても幸福になれない種類の人間がいるらしいけど」
「そう考えると100万ドルと引きかえにミミィを売り渡すのは躊躇う気持ちになるな」
「じらさないでよ」
「いや、いの頭の中でシュミレーションしてみたけど、上手くいくイメージが湧かない。たとえば遺伝子の一部とかではダメなのか? 髪の毛を数本とかなら簡単に手に入るし、持ち出すのだって難しくはないだろう?」
「簡単じゃないから100万ドルの大仕事なんじゃない。まあ、絶対に生体でないと困るということはないけど、サンプルとして髪の毛レベルだとねぇ……もう少しなんとかならないの?」
「生体でなくていいのなら、死んだことにして、処分するという名目で持ち出せるかも」
「死体まるごとなら、ちゃんと価値はある。そのあたりの方法は任せるから、とりあえず連絡先を交換しておきましょう」
「机に手紙を押し込んでおいてもらってもいいんだけどね」
面白いジョークだと思うんだけど、ちっともウケなかった。
むしろ冷たい目で睨まれる。
「あなたのメールアドレスも電話番号も知らない。どこでなら拾えるの?」
実名登録のSNSをやっていれば名前しか知らない相手でも連絡先を調べるのは簡単だ。
うちのクラスでも検索するだけで連絡先の手かがりがつかめる生徒は少なからずいる。
しかし、僕の場合は隠せるものなら隠したいという方針なので、SNSもブログもHPもやってないのだ。
もちろん本名あるいはそのもじりでネットゲームのアカウントをとるようなこともしない。
インターネットのおかげで名前を知っていれば割りと簡単に相手と連絡をとれなくもない現代で、かなり努力してもメッセージの1本も送れないのが僕という人間なのだ。
まあ、そんな僕でも学校から割り当てられた学内ローカルネットのメールアドレスはあるし、学校や教師からの連絡が届くから1日に1度はチェックするようにしているが、生徒同士のやり取りは学校側の監視対象になっているという噂だから、こういう話では使えない。
僕は鈴木英子さんの電話番号を聞いておいた。
どうせ書類だけの幽霊会社か、借金まみれで行方不明になったオッサンの名義で購入されたSIMを挿した電話だろうが、報告できる材料は多いほうがいいに決まっている。
僕の方は飼育委員として支給されたスマホの電話番号を伝えた。
生徒会への報告とは別にひとつ保険をかけておく必要があるかもしれない。
教室に戻ると僕は麻喜に尋ねた。
「先月の終わりごろ、ものすごい筋肉痛で死にそうになってただろう?」
「脳の処理スピードを上げて、それに肉体を同期させればどうか、と佐藤に言われてその気になったが、試作品ができてみると、とても使いものにならなかったな。骨や筋肉にかかる負担が大きすぎる」
「あれ、もし残っていたら譲ってもらえない?」
麻喜は胡散臭そうに僕の目を覗き込む。
「あれ、本当にヤバいんだぞ。例えば佐藤が大麻や覚醒剤が欲しいというのなら、こいつは気晴らしがしたいんだな。それも酒や煙草より強い奴が欲しい気分だな、と思うだけだ。もし、それがきっかけで佐藤が中毒者になったのなら、おまえはその程度の人間だったというだけの話さ」
「脳の処理スピードに同期する薬なんだから、普通の脳の処理スピードなら問題ないだろ?」
「もちろん、問題ない。だけど、おまえ、できるんだよな? どういう方法か知らない。だけど、この高校に入学できたというのは、つまり、そういうことなんだろ?」
そうやって僕のことを心配しつつ、最後には麻喜は1本の無針注射器をくれた。
もちろん、中身は入ってる。




